(前回の内容につづく話ですが、タイトル変えます)
さて そうすると
他者の存在は 無視できないというか
無視しないほうがよい
そんなふうにも 受け止められるだろう
ではもし 他者への協力として 自力を意識して
頑張り の部分を 変えるのだとしても
そもそもすでに 他者より劣っている自分は
いったいどうすればいいのだろう
そんな疑問が湧いてくる人も いるだろうと思う
他者より 劣っている
これがまた 自分の内側での
勝手な 自己基準である
自分さえ頑張れば と
近いものがある
他者比較なのに? と思われるかもしれないが
比較しているようで 実は比較していない
なぜなら「劣っている自分」が
自己完結で 確定しているからだ
あなたの価値も
あなたの頑張りの 具合も
ともに 最初の段階で
自分が 足りないと
自分だけで 決めつけているのだ
それは 謙虚さ ではない
謙遜でもない
あきらめ あるいは 思い込み
あるいはときに「卑屈」にさえ
つながる 決めつけである
これらの違いは何だろうか
謙遜 謙虚 卑屈 を
まず辞書で調べてみよう
広辞苑の古い版だから
今はまた 表現が違うかもしれないがお許しいただきたい
▶謙遜
へりくだること。
▶謙虚
謙遜で心にわだかまりがないこと。控えめですなおなこと。
▶卑屈
気力がなくて品性の卑しいこと。いくじのないこと。
(以上 広辞苑 第二版補講版より)
卑屈の説明が かなり厳しい
執筆者の方が 嫌いな言葉だったのかもしれない……
一応 手軽に調べられるデジタル辞書でも引いてみようか
▶卑屈
いじけて、必要以上に自分をいやしめること。また、そのさま。
(以上 デジタル大辞泉 より)
謙遜 は 言葉上でへりくだっている状態
たとえば心のなかでは自信満々でも 謙遜 だ
つまりこれを自分で感じたら 注意信号かもしれない
もし 出来ていることを 他者が認めてくれなければ
「こんなに頑張っているのになぜ!?」 という
怒りにも つながりうる気持ちだからだ
謙虚はそれに比べ 心にわだかまりがない へりくだり
心のなかでもすなおに 控えめで すなおに へりくだることだ
つまり 他者からほめられたら
ほめられたこと自体は 受け止めているのである
そうですか そこまで出来ているというふうに
あなたは受け止めてくださってるんですね
ありがとうございます そのお気持ちを
私もすなおにまず 受け止めます
でもせっかくなら 私は まだまだ もっと
自分を伸ばしたいと思います
ですからこれからも『さらに』出来るよう頑張ります
そう 『さらに』の手前の部分 一定のところまでは
自分が出来ていることを 傲慢な気持ちなしで
自分でも認められていることが わかるだろうか
これが 謙虚 だと私には思える
そして卑屈
気力 いくじ がない状態で
必要以上に 自分をおとしめている
しかも いじけている
出来ていることを 自分で認めないだけでなく
もしかしたら どうせできないもん わかってもらえないもん と
ハナから放棄して すねてさえ いるのかもしれないのである
最初にまず 自分が出来ていないと決めつけるのは
謙虚ではなく もしかしたら卑屈に近いという意味が
これで少しは おわかりいただけるだろうか
今よりまだまだ伸びたい と思うことと
出来ていないと 決めつけることは
全然 違うのである
私もたぶん この点で いろいろ勘違いを していたように思う
最後に 少しだけ 怖い話
卑屈さと 先に話した
「自分は頑張っているのに!」「なぜ伝わらないんだ!」が
セットになると どうなるか
ふん じゃあ 他人の気持ちなんて 考えないもんね
どうせ他人なんて 自分を理解してくれないんだからね になる
さあ それをさらに ひどい開き直りへと進ませると どうなるか?
自分さえよければ に変わるのである
振り込め詐欺の受け取り役の人が
以前 テレビニュースの記者に 突撃取材されそうになり
電話の向こうで「どうせオレは おまえらより 儲けてるもんね!」と
意味不明に近い言い訳を言い放って電話を切っていた
まさにこんな感じである
自分の卑屈ささえ 自分で認めたくなくなり
他者には意味が理解されにくい 思い込みの理由により
自己正当化+他者への責任転嫁+攻撃をするのだ
あるいはまた 自分のすごさをどうしても
世間に思い知らせてやるという 恨みの方向へ突き進めば
たとえば秋葉原の事件や オウム事件の
犯人につながっていくのだと 私には思える
もちろん普通は ここまで突き抜ける前に
きちんと思いとどまれるけどね……
さて 実はまだ話は続く予定である
ここまで少し わかりづらいかもしれないが
オチはちゃんとつけるつもりなので
もうしばらく お付き合いいただければ 幸いであるm(_ _)m