たとえば 私は このブログを
恩返しとして 書いている
私が自己最大にまで 初めて落ち込んでしまって
暗くて まったく光を放てなくて
それどころか
誰も近寄ってこないで
私のスペースに 入ってこないで
こんな私のところに
と 閉じてしまっていたとき
私は 友の死 という強力な出来事で
その暗い箱から 強制的に一度 追い出されたのだ
今になって思えば
そんな辛い気持ちになる 悲しい出来事さえ
私には 外へ出て 周りをみるキッカケになっていった
そして死というものが
生きているものに残す
言葉にできない 淋しさを
味わわせてもらったのかもしれない
それがあまりにも直接的に 私には響いて
他の大事な人のこと を考える時間にも変わり
私は死を選べなくなった代わりに
どうやったら暗い箱からもっと出られるかを
探してみようとした
そうして少しずつ 自分から 探してみたら
あらゆるところに 私へと響いてくる言葉を
紡いでくれる人たちがいた
ネットの向こうに 本の中に テレビの画面の向こう側に
それらは私にとって 光に思えた
一つひとつは 小さな光でも
それを重ねて受け取るうち ときに涙が出たり
ときに腑に落ちて そうか と思えたりして
私の中に光の粒が溜まっていき
やがてそれらは 私を
生きていてもいいのかも
という 気持ちへと つなげてくれたのだ
光の粒たちが 心のなかで
ゆっくり ゆっくり 回り出し
私のための 小さな 温かさ という銀河を
つくり始めてくれたのだ たぶん
そうしてやがて 私は
もう少し自分から
光を探そうと思えた
いろんな宗教の説話や 本や
生物や心の知識
宇宙のこと 生命のこと
自分という存在が 生まれ出ることができたのも
細胞レベルの神秘的な奇跡だと知ったりした
人と会って話をしてみると 悩んだり 苦しんだり みんなそれぞれ
心のなかに課題はもっていて
それをどうしていくのか 模索していて
テーマや環境は全然違っていても
自分を どうしたいのかの模索は 共通するところもたくさんあって
ああ 今までこんなふうに
他者を感じたことがないな と気づいた
これまでは もっと社会的な 表面的な立場や環境で 人を見て
わかってるとか わかってないとか
感じて 言ってきたように思えた
さまざまな人の 温かい気持ちは 一つひとつ 光になり
ホタルのような光が集まって ときには強くなったり
あるいはホタルのまま ふんわりと そばにいてくれるようになり
だから私はさらに 生きていっても いいんだな に
変わっていけたのだと思う
見知らぬ 誰かに 出会った 誰かに
遠くから あるいは直接的に光をもらえ
銀河を もたせてもらえ
今 私は ここにいる
そして恩返しに始めた このブログや見春屋で
誰かが 自分の光になったよと 伝えてくれるから
そんなふうに捉え 扱ってくれた あなた自身の力に対し
私もまた感謝して 光をひとつ いただけているのだ
今 ここで出会い すれ違い または 言葉を交わしあうことは
何かあなたにも 意味があるのだと思える
あなたの中に 小さくても 光が灯ればいいなと思える
その形は 怒りだったり 不満だったりしてもいいのだ
暗い箱の中にジッとしているよりは きっと何かを 変えるから
どんなに弱くても どんなに小さくても
人は 自分で 自分に合う光を集めることが 必ずできて
それを自分が選んで集めることで 心の中に銀河が回り出し
今まで知らなかった自分へと 導いてくれると思えるよ
その光を 選ぶという行為は あなた自身の中にすでにあった
あなたのために使える 力なのだ
そして集めていけば 必ずそれはいつか 回り出すのだ
それにたとえ今は 暗い箱の中に いるかもしれないあなたも
どこかで誰かの光に なりうるし
実はもう 光を 放っているのかもしれない
苦しい気持ちを 感じている それを共有し合うだけでも
何かが 変わり始めるのだから
そうやって 人は寄り添い集まって
一人ひとりが 輝きを放っている
その心の光を もし遠くから見られるのなら
たくさんの小さな銀河からの光が きっと
大きな銀河のように集まって 地球の上を 漂い
巡っているのだろうと 私には 思える