イライラする。
悔しい、悲しい、ツライ。
そうやって長い間、自分を嫌うことがあるかもしれない。
そんなときに起こりがちなのが
自分ではこれ以上何も、上記のような受け止め方を
変えるつもりがなく、
自分のことは嫌いなままで、
誰かに、代わりに何とかしてもらおう
としてしまうことです。
たまたま最近、ある人に一部、
お伝えしたことでもあるのですが。
「私は自分を否定し続けて
自分が嫌いだから、
感情その他全部、自分のことを
乱雑に扱うけれど……、
あなたは私のこと大事にしてね、
でもって、いずれ、
私をこの状態から救い出してね」
というのは、なんとなく変じゃないか、と?
その代わりに
差し出すものは何でしょう。
自尊心かな? 時間かな? 感情かな?
そして相手の言うことを信じすぎて言いなりになって
相手が自分を誉めてくれて
そうしたら自信を取り戻せるの……
って本当に?
そのやり方で本当に、
自分のことも好きになれるかな?
相手側が、依存が起こらないよう
すごくすごく上手に導いてくれたら
もしかして、うまくいくかもしれないけれど。
相手のほうも、頼られきったら、
それでその人に自信つけさせようとしたら、
すごい努力と忍耐力が、通常は必要でしょうね。
あなたは自分を好きになっていいんだよ、ってことを、
その人からすがられないようにしつつ、伝えたり、
でもいろいろ「あなたの意見は私には絶対だし」と判断も感情も
こちら任せにされてしまうから、その辺も距離感保ちつつ
全部面倒みたりして……。
あるいはもし、相手側のほうもうれしくなって、
すがられるのが好きになれば
共依存、になるのだろうと。
でもたぶん、共依存になった(なれた)としても、
今度はお互いに相手へ頼るから、
いつも信頼感の点でもめることも多くなるでしょう。
相手がいないと自分がダメになるから、
お互いに拘束しまくり。
……苦しそうな気がします。
少なくとも、私には苦しいです。
ヤバい方向の宗教の「気持ちの使い方」も、
それと似ている気がします。
その教えだけが本物、絶対、信じる、すがる、
主催者、教祖的な人のほうは「まあうれしい、
ありがとう、もっともっと」みたいな。
一時的に楽になれたとしても、
根本的には楽になれそうにないかと。
そんな頼り方をしなくても、
「もう、今この段階で
とりあえず先に自分のこと、
うん、まず最初に認めてあげよう。
まずは苦しんでる自分そのもの、
今のありのままでも、
どうやら、いいらしいから。
そして自分が心地よく感じる範囲のこと、たとえば
誠実さだけ、追いかけよう。
楽しさだけ、うれしさだけ、
落ち着けるものだけ、追いかけよう。
うまくいってない感情のほうに自分の意識を集中させ続けるの、
まずはそれをやめよう。
自分が、自分の感じる「良いこと」を大切に。
そこをもっとていねいに、たくさん拾う練習しよう。
自分のなかにはいつでも、そういう感情があることを
普通に認められるように。
何に注目すればいいかな?
何からなら、始められそうかな?」
とか感じてみて、実際に練習してみる。
そのために、気持ちを吐き出して整理してみたり、
感謝できそうなものを見つける練習などをしたほうが、
よほど、自分にとって永続的な効果のある、
よいものを生み出せていけると。
そしてやがては、自分をその部分から認め始めて楽にするからこそ
気持ちを切り替えるためのヒントも思いつき、
苦しんだ経験からも何かを学べて自分の糧にできると、
私には思える次第です。
さて、いかがでしょうか。