心地よい あり方 を選ぶ

自分が やりたいことで

かつ 心地よくなるものを

選択することは

自分自身を 

大切にしてあげることに

つながる

うしろめたいこと

心苦しくなること

気分がよくならず 不満が残ったりして

心に引っかかって 尾を引くようなことは 

見つめれば見つめるほど

やればやるほど

自分を イジメることになり

よい心地にはなれない

たとえば 他者を殴る快感は

あとから自分を 居心地悪くさせる

いくら自分を正当化しようとしても

心地悪いことは 変わらない

それによって 自分を嫌ったら

さらに心地悪さを 引きずるだけなのだ

社会など 何か「非難すること」に

わざわざ目を向け続け 罵倒を続けるのも

どこか 自分を正当化したいからで

自分を 正当化したいのは

どこかで実は 自分を 非難している部分が あるのかもしれない

ひどいことから 目をそらせ と言っているわけではない

私だって 社会のことを 口にする

でもそれは どこを目指したいかを自分で整理して

うん そのほうが より 未来が明るくなり

自分が 相手が 周囲が みんな 心地よく感じられるな

と思えるものを 改めて 自分に

気づかせるためにやろうと 心がけている

だって素敵な未来を 創りたいから

自分にとっても 周りにとっても 

心地よくなる方向のものを 選びたいのだ

だから 怒りも なるべく どこへ向かえばいいか を感じるように

その気づきのために 使いたいと思うし

なかなか 難しくはあるけれど 

おそれも できるだけ そう使いたい

そんなふうに 自分に心地よい方向のものを

毎瞬 毎瞬 選択することは

自分の『あり方』を変える練習だと

私には思えている

『やり方』でなく『あり方』

あり方が変われば だんだん やり方も 変えられるのだと

何か やるときも

できない と決めれば 実際にやっても 

うまくいくはずがない

それでもね

うまくできなくても

失敗しても

やったほうが 自分に心地いいときは

やることを選択すると あとから

「やれたことそのもの」が うれしくなる

他者の目ではなく

自分の目で 自分に

心地よくなったね

頑張って楽しかったね

ちょっと ほめてあげようかな 自分を

と思えることのほうを 選択する練習を積めば

結局 自分が心地よくいられる練習を 積むことになるのだ

行動は あり方を変えるための ただの手段のひとつ

そんなふうに 捉えられるようになると思える

だから これからも 私は

自分が 心地よくあること

そのための

心地よくなること を 選ぶ

それはいつか 必ず

他者もまた 心地よくあることに

つながると思えるから

win-winのほうが よりうれしいから

そのための 毎瞬のあり方の練習

言い訳や 自己正当化でない

ただ素直に よいと思えることを

なるべくたくさん 自分で選択したい

空が青くて心地よいな

目が見えて 青さを心地よく感じられて うれしいな

世の中が平和で 

だから空も見られる余裕が持てて ありがたいな

そんなのでも 良いわけだし

誰が見ていなくても

すがすがしい気持ちになりたいから

道端のゴミだって

ときに拾って捨てるのだ

何をか を 別に得なくても

何をか を 達成しなくても

そういう一つひとつを 自分がより多く選ぶことが

心地よいあり方だと 自分をうれしくさせるあり方だと

私には 思える

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