いつも読ませてもらっている方の記事で。
自分と関係が深い他者に対し、
その相手を自分の所有物であるかのように
扱っている場合が……というコメントの言葉を読みました。
そう扱われている側の、心の重苦しさに思いが至って、
ちょっとゾクッとしましたさ。
夫婦間、親子間、恋人間、古くからの友人間、
とくに女子同士の間では中学、高校辺りで
どちらかが所有物扱いしてる関係って、
結構身近な例であったように感じる。
特別な庇護っぽいもの、何しても愛しい、みたいなもの、
あるいはまた、命令する側とされる側の明確な役割分担。
友達間の場合、その二人は完全にワンセット扱いになってたし、
周囲の私たちもまあなんか、入れない関係だし、と見ていたなー。
女子高では、友人の話だとさらに疑似恋愛感情も絡んで
ドロドロしていた面があったらしいです。
うーむ(^^;)
あと、大学生か、社会人初期の頃……だと思うけれど、
ありましたよね。私の作品です、という、お母さま側の発言。
当時、母の「指導」をどこか重く感じていた私は、
うーわー!! これ、さらにキッツイ重苦しいバージョンだ、と
思えてしまい、こりゃさぞかしご大変だったことだろう……と
思わず、そのご苦労に想いを馳せてしまったのでした。
他者を、所有物扱いする。
その後、私はそのすごい例をいくつか見る経験もしたのですが、
所有物扱いされた側はたいてい、人間関係で妙に萎縮しています。
そして所有物扱いしている側のほうは、
たとえものすごくワガママに振る舞っているように見えても、
思い遣り発揮しまくっているように見えても、
ある意味どこかの面で、相手に依存しています。
そんなことできるのは、その相手しかいないから。
だから、支配型の場合なんかは、萎縮している相手が
立ち直ることを許さない。有り得ない、って話になる。
ましてや自分から離れていくなんて許せないから、
離れることに協力している相手側の知人などに、
余計なことをして、みたいな阻止攻撃を仕掛けてくる。
この規模を大きくしたのが、怪しい新興宗教の脱会希望者と、阻止したい側の
もめごとにつながるんだろうな、なんてことさえ感じてしまうくらい、
激しい攻撃だったりもするわけですよ、個人レベルでも。
扱う相手の気持ちを見ず、考えをまとめる時間も待たず先回りして、
結局は自分側の有利不利や決めつけによって相手を
どうこうしようと当たり前に思えるのが本当、不思議に思えて、
私はある例で一度、なぜなのか尋ねてみたいと本気で思ったのですが、
ヘタすると怪我を負うことになるから、と止められたこともある(笑)
しかもそれ、扱う側ご本人からの忠告で。
聞かれたら殴るかもよ、ってのを
自分で正当化できるんだ、もうあらかじめ!
と、本気で驚いた。
これは無理だ……通じないし、所有物扱いされてる本人が
本気で戦わない限り、抜けられないや、と思えたのでした。
端から見ていると、所有物扱いする側って、おびえています。
おびえて、疑ってるのです、相手からの信頼を。
だったらそんなやり方、しなければいいのに、怖いから試そうとする。
で、試し始めたら今度は、相手が耐えてるの気づいてるわけだから、
今やめたら、相手が怒ったりあきれたりして
離れる可能性があるってことにも、気づいてるみたい。
ゆえによけい、その立場を止められなくなる
→嫌われちゃうかも、どうしよう
→逃げていかないよう所有物扱い激化
→さらに不安
→激化バージョン継続
なんて例も、あったりするわけです。
思いはからいを徐々にでも発揮すれば、いいだけなのにね。
耐えてくれている相手に、勝手な指示や押し付けの思い遣りだけでなく
思いはからいを少しずつ発揮すれば、
似て非なるものだけど近い面はあるから、
きっと少しずつ、上手移行していく練習を、積めるはずなのに。
そうしたら、嫌われるかも……とか、おそれることないのに……。
そのひどい悪循環の例だって(あるご家族だったのだけど)、
耐えている側はちゃんと、支配してる人のことを、愛していたのに。
支配側の人だけが、それを本当には信じられなくて、
ずっと相手に、表明しろ、と求め続けていた。
どれほどご自分に自信がなく、
この先いつまで「自分は嫌われるかも」と
日々、おびえていかれるのだろう……と、
最後のほうは、切なくなったのでした。
自分がされたらイヤなこと、他者にしないでおこう。
……ある意味、信頼関係の基本は、それだけなのに、なぁ。