認める怖さ

自分のこと 自分がゆるしちゃうのは

ただの甘えとか 感じているかもしれないけれど

ううん それ 逆にね

自分の行動に 良い意味で

責任とることになるのよ

毎日 毎時間 今 この瞬間を

「どういう気持ちで過ごすか」を

自分で選べるようになるからね

それは 自分に対して責任を持つことにも つながる

他者に 何かされても 振り回されないことを選ぶ とかさ

そう たとえば 他者から働きかけが 自分に なされた

それを「どう受け止めるか」

あなたはこれまでもすでに 毎回選んでる

怒り続ける

泣き続ける

批判されたと決める

慰められたと感じる

叱咤のようでいて 実は激励だと感じる

かわいそうな人だな と相手を捉える

こちらの思いは届かなくて残念だな と捉える

相手の問題だから 放っておこうと割り切る

何かされた と 捉えるか

この人は こういう行動するのね と捉えるか

それだけでも 受け止め方は ずいぶん違ってくる

わざわざ つらい記憶とリンクさせるかどうかも

意識的に 遮断する練習は可能なのだ

過去は「今この瞬間」では もはやないのだから

あなたが つなげることを自分にゆるし 自分で選んでいる ともいえる

厳しくてごめんなさい でも そのことに気づかず

された された と受動的な方面だけで ものごとを捉え続ければ

そりゃ何かあるたびに あなたは被害者で 過去の悪い記憶を引きずり

周囲はヒドイ人ばかりになってしまったりもして

苦しくなる場面は 増えていくよね

だからさ 受け止め方 捉え方自体を

自分のために 自分で変えたほうが

ときにはよっぽど ラクになれるんじゃないかと思うよ

恨んでいくよりは そんな被害者になっているよりは ね

自分のために これはこうしていい

こう考えていい

こう捉えていい と 変化させることは

決して 甘えや悪いことではなく

自分の選択を 優先する練習にもなると思える

それはやがて 自分の自信にもなるし

自分のことを 信頼できることにもつながるよ

だからさ

他者から何かされた

の部分で立ち止まり続けるのはやめて

それを自分は どう捉えるのか

どうやって 自分のために 良いものへ変えていけるか

どうすれば 自分に優しくて 良いものにできるか のほうへ

注力していったほうが

「じゃあ次にどうするか」にも

つなげやすくなるし

実際に 動き出しやすくなるよ

それにさ その練習って休むときもあっていいわけだから

いろいろな意味で気持ちは ラクになれると思うよ

とても抽象的な言い方に思えるだろうけれど

何をどう捉え 位置づけ こうだと決めるかは 

自分が選んできた そのことだけでも

怖くても きちんと認めてもらえたらな と願う

そして 自分が能動的に 何を見て何を次につなげるか

自力で選んでよいのだということも

実際に 練習して しっかり感じていってもらえれば と 願う

あなたは「振り回され続ける人」を

別にもう 選ばなくていいのだ

あなたが 決める それでいいのだ

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