先の投稿の続きで一つだけ、刷り込み、
という観点について、伝えておきたい。
「○○できなければ、△△をされてしまう」という思い込みを、
親や家族などから植え付けられている場合がある。
もっともひどい例が、言うことを聞かないと殴られる、
しかも命に関わる虐待レベルのもの、だろう。
あるいは、親にとってはしつけのつもりの「普通」の体罰、言葉でも、
子どもにとってはその内容の理解以前に恐怖心から
「言うことを聞かないと痛い目に合う、
よけいに苦しみを与えられる」という思い込みに
つながってしまっていることもあり得る。
このような刷り込みが起きている場合には、
やらなかった場合を想像するだけで、「恐怖」が湧いてくるだろう。
でも、覚えておいてほしい。
あなたがもし、自立できる大人の状態であるのなら。
その恐怖心は、やがて自分で外せる。
少なくとも恐くなった瞬間に、
「今でも○○できなければ、私は殺されてしまうのか?」と
自問することは、有効なように思える。
暴力によって実際、現状でも命の危険や身体的危険にさらされる、
またはあり得ないほど延々と、嫌な言葉攻撃にさらされるのであれば、
今すぐ、そこから離れることのほうが絶対的な優先課題だ。
そうではない、食事させてもらえず家にも入れてもらえず、のような
危機的状況が今すぐ、訪れないのであれば、
その恐怖心は「刷り込み」なのだと、
自分で気づいていくことが可能になる。
親の言うことをあなたはそこまで聞かなくてもいいのだ、もう。
そういう区分け、線引き、よい子であらなければいけない「枠」そのものを
自分が抱えてきたのだ、ということに、
自分で気づいていってもらえたら、と願う。
その思い込みを外すには、ものすごい勇気も、
たぶん、他者の協力も必要なことがあると思えるが、
自分がこういうふうに思い込んできたんだ、と
自分のために理解してあげることは
とても大きな一歩になると思えるので、
まず、少しずつでもいいから
「なぜそう思ってしまうのだろう?」
という疑問の感覚を持つところから、始めてもらえたら、と願う。