昨日、サブの「ひと休み」ブログで紹介した本でも
「信用」と「信頼」の違いについて書かれていて、
これは昨今、よく話題になっている
「メールやメッセージのやり取りが相手から返ってこない」
という不満にもつながっている話だと思えたので、少し書いてみる。
私がふだん、電話やメール、LINE、Facebookその他でやりとりしていて
日常生活でも気軽に会っている友人たちとの間では、
「都合をすり合わせ一緒にやる、その予定の連絡」以外なら
最初にまあ1往復、やりとりすれば
(報告だけなら片方のみ書く場合もある)、
その後、相手から返事が返ってこなかったとしても
お互いが、別に不満でも不安でもない。
たぶん、読んでもらえたんだろうな、でおしまい。
「既読」の案内表示が出るツールもあるから、
それだと確実にわかるしね。
なので、緊急の用事確認ではない、一般的な会話で
たとえそれが恋人であっても、
返事が来ない! と「怒る」意味がよくわからなかったのだ。
で、今回、本をきっかけに、今までの知識や記憶も
含めて考えてみたのだが、
怒ったり不安になるのは「自分の言葉がどう受け止められたか」を
確認しないと気が済まない、っていう面が、まずそこにあるのだろう、と。
習慣的に、自分が最後に送って会話を終わらせたい、という
感覚の人もいるし、「そうか」で終わって返事をしないタイプもいる。
それは、相手を知っていればだんだんわかることだし、
ある意味、選択の自由だと思う。
そして、律儀に「返すべき!」と思っている人から見れば、
返さない、あるいはすぐに返事しない人は「礼儀知らず」「恩知らず」
みたいに思えるかもしれない。
でも、たとえ心配や思いやりを発揮しての場合であっても、
「私が会話を始めたときは、あなたも必ず返しなさいよ!」
って、何かヘンじゃない?
相手にだって、たとえ忙しくない時間帯でも
落ち込んでるときや眠いとき、があるかもしれない。
急に食あたりになって、吐いてるかもしれない。
家族の誰かにたいへんなことが起こったかもしれない。
または「これ、返事が『そうですか』だけで終わるから、
もう返さなくていいかな、そんな短いのを返しても、逆に失礼だし」
みたいに思われている可能性だってある。
そして、相手側の事情、相手側の都合って、自分一人の想像だけで
確実に正確に、間違いなく把握できるものなの?
そんなの、わからないよね。「いつも」とかの決めつけになるよね。
なのに一方的に「礼儀知らず」だの「軽くあしらってヒドイ」だの
「嫌われたかな」「嫌がられたかな」って予想して、
落ち込んだり、動揺したり、怒ったり……。
おいおい、そこまで気になるなら、あとから
確認すれば済む話じゃない? って思う。
そして、そのとき同時に
あなたもまた、自分の都合(感覚)を相手に対して
「受け容れてよ!」って、要求してるんだよ
ってことに、気づいていてほしい。
私にはすぐ(必ず)返事ちょうだい! っていうのを求めてる。
大切に扱って! の欲求が、隠れてる。
「返事がすぐ来る」という状況そのものによって
自分が「大事にされている感」を確認したい、ってさ。
そういう、認めて認めて! なサインを
思い切り出していることもありうるんだよ。
とくに、自分が返事を書きにくいときは
すぐにあるいは別に返事を返さない、
そういう場合もあるなら、
じゃあ、相手にもそういうことがあるんだよ。以上。
それだけの話なのだ。
これは社会心理学の本などでも、また紹介した本にも
書かれている話だけど、
「必ず○○がある(はず)」という保証がある関係って、
「信頼関係」ではなく「信用取引」なんだよね。
返してちょうだいね、の確実性がないと、やり取りできないのなら、さ。
そしてそれは「駆け引き」や「優劣」「上下」につながる話で
損得勘定が混じる。それゆえにあなたは「自分のことしか考えない」
状態にさえ、陥りやすくなる。
「どう思われたか」の評価を、自分が気にするときはとくにそう。
相手の「気持ち」「都合」「事情」「状況」が視点から消えて、
つまり「思いはからい」の視点が消えちゃってて、
それよりも「自分」がどう思われるか、が中心になってるよね。
「自分」中心、自意識に集中しちゃう。
あなた、自分のことしか、考えてない。
ってことにも、なってしまう危険性があるのだ。
ねえ、相手から「信頼」されたいなら。
自分がそういうふうに「信頼関係」を築いてもいいかな、
と思える相手なら。
「あ、きっと事情があるんだろうな」って、
自分から先に、受け止めてあげなよ。
自分が先に、相手への信頼、つくろうよ。
「そんな、先に自分が相手を信じて
もし、だまされてたらどうなるの?」
うん、何かビジネスの取引でも始めるのなら、
その心配はまあ、有効だけれど。
そうじゃなくて心の関係、近づいて心を開いて会話して、
そういう関係を作りたい、と思える相手なんでしょう?
なのに、先にまず、疑うの?
「損したくない」って、あくまで自分を中心に、
自分を優位に立たせたいの?
その保証が先に必要なのは「信用」関係であって、
「信頼」関係ではないよ?
それを必ず相手に先に求めるのなら、あなたは「信頼」関係、
本当は築きたくないんだよ。
傷つくのが怖い。だまされるのが怖い。
わかるよ、でも意見の相違が起こったら、議論もケンカもする。
それは「当たり前」だよね。
先に相手が心を開いてくれたらいいじゃない?
うん、じゃあその間さ、
「私があなたを信頼できるようになるまでは」
相手にずっと「一方的に信じて奉仕しろ」と?
……わかるよね、無茶な話だってことは。
あなたが求めているそれって、
結局は上下関係、自分が「支配」したい関係だよ。
自分が上になりたいの。
自分の気持ちや都合に合わせて、常に相手をコントロールしたいの。
自分を中心にして「ちやほや」してね、の関係。
そしてそれは、信頼関係、ではない。
傷つくこともある。ケンカもする。腹も立つ。落ち込まされることもある。
自分だって逆に、相手に「そう思わせる」ことだってある。
でもそうなったら、お互いが「修復」を試みる。試みたくなる。
そういう「欲求」を持つことで「雨降って地固まる」、
「信頼関係」がより強固になる。
そしてお互いに「安心」さえできるようになる。
つまりは「ちやほや」されたいだけなら、
あなたは他者との「信頼」関係を結ぶの、すごく難しいままだよ。
じゃあ信じて馬鹿を見て、そうしたら?
うん、離れればいいだけ。
残念です、とても。そう言って、距離を置く、またはさよならする。
信じられた期間は、楽しい気持ちも受け止められました、ありがとう。
たもとを分かつときにたとえ、お互いに罵倒さえし合ったとしても、
そうやってケンカすることで
「自分が『これは大切にしたい!』と思う部分がわかったわ、
そういうの、学ばせてもらった」と捉えれば、
やがて、時間が経ったときに
「ありがとう」の部分を感謝できるようになり、
「ずれた」部分も「自分の学び」に変えられる。
そこがわかるようになれば、怖くなくなっていけるよ。
だって人間関係なんて、一生、練習するものだから。
だからまずは「ちやほや」、上位に立つことそのものを、
あきらめなさいな。
そして自分から胸襟を先に開いて、信じて、
ときには「馬鹿を見なさい」な。
関係性にリスクはつきもの、当たり前。
マイナスが「起こってしまった場合」は
ただ素直に、自分の糧に、しなさいな。
自分が心のやり取りを求めたい、そう思える関係の人を
「自分から先に信じる」ってこと。
やり始めれば、多少の失敗はあってもいずれ、
相性のいい人、必ず、必ず、見つかるよ。
信用、を先に求めつつ練習するよりは
よほど早く上手になれると、私には思える。
もう一度、繰り返して言っておくね。
そんなふうに、私を認めてちょうだい! って、
「相手からの評価で、自分の価値を決める」ような
捉え方をしてるってことはつまり、
「自分がどういう人間なのか」を相手に決定しろと求めている。
なのにその過程においては「自分のことしか考えてない」。
自分が認められたい。優位に立ちたい。安全圏にいたい。
相手の状況や気持ちよりも先に「自分」が優先。
それだと結局、相手への「思いはからい」も、難しい。
信頼関係を築きたいなら、
相手からの判断で自分を「認めよう」とするの、やめたほうがいいよ。
そして自分を「中心にする、相手より優位にする」
という発想そのものも、やめていくことをオススメしたい。
信頼関係を築く練習を、本当に難しくするだけだから。
今回はなんだか、偉そうな書き方になっていてごめんなさいね。
これもまた、流れのままに、です。ご容赦ください。