追伸:胸襟を開くってことは

先に書いた話のなかで、胸襟を開く、ということに対する、私の感覚。

それは、相手がどう受け止めるかの部分を、

相手に任せる。

自分がどう伝えるか、どう受け止めるかは、

自分できちんと考える、感じる、

ってことだと思える。

相手の受け止め方まで、自分が望んだ通りになるよう

コントロールしようとするのは、支配したい、上位に立ちたい、ってこと。

裏を返せば、そのためには「したくもない、へりくだり」をも

しかねない。せざるを得なくなるかもしれない。

それをするくらいなら「こう感じるんだけど、どうだろう」って、

へりくだらずに、または怒らずに、

相手にきちんと相談したほうが、

よほど自分のためにもなるんじゃないかな。

その相談自体を受け止めるかどうかも、もう、相手の判断だしね。

相手に聞く耳がない、受け止めてくれないなら、

それが続くことによって、

私は苦しくなる、悲しくなる、

自分の気持ちに折り合いがつけられなくなる、

って、伝えていけばいいのだと思える。

それでももし、まだ届かないなら、その相手との信頼関係が難しいってことだ。

信頼関係を作りたい、と思えるような、

自分にとって大事な相手であるのなら、なおさら、

自分の気持ちを大切にして、それと「同じくらい」に

「相手が感じること、その中身についての相手側の自由を尊重する」

という視点も、大切にしていきたい、と。

あくまで対等に、真摯に向き合う。

ヘンに手抜きせず、自分の気持ちにも嘘をつかず、思いを伝える。

駆け引きでも甘えでもなく、ね。

そういうのが大事だ、と思えたタイミングのときには

真摯に、丁寧に、たとえ表現がヘタでも言葉を伝えられる程度には、

相手を先に信じてもいいのでは、と、私には思える次第です。

 

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