『見春屋』を始める前からの話ですが、
お話を聞いて欲しい、という状況になったとき、私は必ず、
その方が「なぜそういうふうに事態を理解されたか(受け止められたか)」を
知るようにしていきます。
というのも「その苦しい状態」を抜けていくにあたっては、
自分自身が視点を変えてみることが、かなり有効であるからです。
とくに話を伺うなかで多いのは、その方自身の身の回りの、
人間関係についての苦しみ。
誰かに対する思い、のお話です。
その際、いろいろご質問させていただくのですが、
「相手側の気持ちを変えるには具体的にどうすればいいか」
だけが、解決策では決して、ないのです。
この辺、とくに最初のころは、
私が単純に「話を伺う係」であると思われていたのでしょうか、
ご質問をしたら「私が悪いっていうんですか!」と
お怒りになられる方が現れることが、何度かありました。
たとえば私が「あなたご自身はどういう気持ちであられたか」と同時に、
相手の方はどうであったか、をお尋ねするだけで。
あるいは、相手の方の非をいろいろ並べられ、
私がそれに「賛同」を示さなかった場合に(ひどいでしょう、
という言葉に私が同意せず、あなたがそう、お受け止めに
なっているのですね、という姿勢であったときなどです)。
もちろん私も、すべてにおいて冷静なわけではありません。
たとえば「相手に思い切り殴られ、恐怖ですくんでしまって」
というようなお話をお伺いすれば「それは怖かったですね」という
お言葉を返したりもします。それは
「そのとき、その状況に遭遇したときの、その方の感情」
に対する「共感」です。
それは逆に、心がけるようにしています。
でも、一緒になって「それはひどい! 相手が悪い!」という
悪口を繰り返したり、相手の方を批判・判断したり、
「まあ、なんてかわいそうなんでしょう、よしよし」
などとという慰め方はしません(どうしてもそのときにいったん、
落ち着いていただくために、それに近いやり方が必要な場合も、
もしかしたらありえるかもしれませんが、極力)。
なぜならそれは、「かわいそうごっこ」につながるからです。
あなた、かわいそうね。相手、ひどいね。
相手が悪いのよね、あなたは悪くないわ、あなたはイイ子。
だから特別に「よしよし」してあげるわね、私はあなたの味方よ。
ってやったら、それ、私はいったい、何様でしょう???
母親? 自分に依存させたい? それで自分の存在意義を見出すとか?
上から目線で、相手を「力のない、かわいそうな人」として扱うなんて。
自分自身に「母親的な力(もっと言ってしまえば威力・権力)」が
あることを確認したくて、相手の弱った部分を利用しているとしか、
私には思えません(キツくてごめんなさい)。
事態の「解決策」なんて大それた発想は、私にはできません。
話をされる方が今、まさに「苦しい」、
その状況を少しでも「やわらげるため」に、ご質問するだけです。
そしてそれは「相手を変えるにはどうしたらいいですか」
という話にも、まずほとんどの場合、つながりません。
だって私には、その「問題となっている相手側の方」のことが
わからないからです。
その方がなぜ「ひどいと思われる」ことをされたのか。
そこにどんな意図があったのか。
お二方が並んでおられ、そこで直接、私が加わって
やり取りしているのではありませんから、
片方だけのお話を伺っても、本当のところは知り得ません。
ですから「もしかしたらお相手の方は、
こういうお考えをお持ちだったかもしれませんね」
という「推測」が成り立つことがあっても、
そこから即、罵倒、非難、には、つなげられない。
つまり私は「賛同」を、基本、示しようがないわけです
(何度もお話をお伺いし、ある種のパターンが見えてきた場合に、
相手の方はきっとこういうお考えだと思うので、
だから今回新たに、その事態が起こったのでは? といった形で
推測を深めることはまれにあり得ます。が、しかし、
そこまでたどり着けることは、やはり少ないです)。
そして、あくまで、私にできるのは
「その苦しい気持ちを、どうやったらやわらげられるかの検討」です。
その際に「相手側の変え方」には言及しようがありませんから、
「あなたの受け止め方を、まず、変えてみてはいかがですか」
という話になるわけです。
事態が変わらなくても、自分の解釈・受け止め方が変われば、
自分がその時点でまず、ラクになれることもあるから。
そういう意図でしか、話しようがないのですが、
私が「あなたの」、と言っただけでもう
「私が悪いって言うの!」という怒りにも、
つながりうるわけです……。
そういう事態になったとき、たぶん、その方が求めておられるのは
「賛同者」、かわいそうごっこの「慰め役」であられるのでしょう。
そして私がそれを「拒否」して、違うところへ話を進めようとしている、
さらには「私のほうを変えろだと!? 私が間違っているとでも!?」
というほうへ、解釈されしまう。
残念ですが「そうではなくて」というご説明さえ、する暇もなく。
ご自身の気持ち、受け止め方が変われば、
それは相手の方への態度や対応にも、おのずと現れます。
これは別に、引き寄せの法則でもなんでもなく、
片方の対応が変われば、もう片方も「おや? いつもと違う」って、
たいていの場合、思うはずなんです(ご自分も、そう感じませんか?)。
そこから。
自分の受け止め方が、対応が変わることで、
意外といろいろ、変わるんです。事態・状況、そのものも。
そういうことが、起こりうる。
なぜなら人間関係は、相互作用だから。
つまり、あなたご自身で、その問題となっている事態を
「結果として変えられる」ことにもなりうるのです。
だからこそ。
私には「解決策」を提示するなんて力はありませんが、
「お気持ちを整理する」お手伝いなら、少しはお役に立てるかも、
なわけです。ゆえに「視点変換」の話を、私は書きます。
「受け止め方」の話も、書きます。
それで少なくともまず、
お気持ちがラクになっていただければ、うれしいです。
あなたはそのとき、いかがでしたか。
相手の方は、いかがでしたか。
ではそのときの、その部分のお気持ち、または受け止め方を
「こう変えてみるのは、アリですか?」というようなことを
文章で、お尋ねします。
たぶん、そういうことを、私はやっているのです。
決して、あなたが「悪い」わけではなく。
別に最近、誰かから責められたわけでもありませんが(笑)、
ふと、こういう話をしてみたくなったので、
今日、ここで、お伝えしてみます。