尽くす、という行為

……家族、身内、会社、その他、誰か・何かに

身を尽くしている、その瞬間。

もし「自己陶酔」的な

「私、この人に尽くしてる♪」とか

「がんばれている!」という、

ある種のウットリ感を受け取っているのだとすれば

(女性言葉の表現ですみません。たまたまです。

たぶん、男性の「稼いでるor仕事してるオレ」なども同じかなあ……と)。

その段階で、すでにあなたは「お返し」を

しっかり受け取っている。

達成感や自己満足、という「幸せ」を。

で、そのうえさらに、まだ

「なぜ、こんなにやってるのに」

「なぜ、わかってくれないの」

「なぜ、伝わらないの、あなたは返してくれないの」

となるのは、もしかしたら。

単なる欲張り、求めすぎ、って話になるのかも。

その危険性がどうしても、そこには含まれる……かも。

少なくとも「尽くせる対象」がいてくれる、あってくれる、

自分がそれをできる状態にある、

その「状況自体」はすでに、幸せだよね。

たとば国が内乱、真っ最中の地域の人たちは

そんなこと考える余裕もないよ、きっと。

だからまずはいったん、その幸せを

もっとしっかり受け取って、

味わいを噛みしめてみても、いいのかも。

選んできて、今、その状況にたどりつけた、

今の自分自身についても。

これ、意地悪かな、すみません。

でも、ふと、そう感じた次第です。

今日はここで止めてみます。

 

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