その1はここからどうぞ。
で、さて。
私たちは「本当は所有してるように思わせてもらえるだけ」のものを、
勝手に持ってきて使ってるくせに、アタマでなんとか「所有」しようと悩んでる。
次にその「概念」、アタマのなかの「思考」の話に移ります。
私たちが「ない」とか「ある」とか、考えるとき。
「明日は」「あのときは……」などと考えるとき。
それらは全部、アタマのなかの「思考や感情」でしかない。
過去も、未来も「思考」です。
過去が思考、というのはわかるよね、思い出。
自分が「記憶として持っている」ものであって、
「今、目の前のこの瞬間」ではない。
で、未来は?
これ、面白い表現を知ったのだけれど、
「未来というものを、私たちは絶対に捕まえることができない」。
意味わかるかな?
たとえば明日は○○する、という予定をアタマのなかで立てたとして、
それを実際に行うときって「今」になっているよね。
私たちがいるのは「常に今」。
どんなに先のことを考えていっても、
それを実際に体験するときは「今」、になるわけです。
ゆえに、私たちにはずっと「今」しか存在しない。
だから時間も「思考で捉えているもの」になる。
時間がない、というわけではない。空間、があるように、
太陽が東から西へ移動してくれることにより、それを「時計」という
もので区分けして使っている(ように感じている)だけ。
動作をすることにより「感覚的に今の瞬間が
連続するように思えるから、使っているように感じられる」もの。
実はそれなりに、アタマのなかのもの、時間。
物理学上で時間が四次元、というのも、そういうことなんだと思う。
空間までは、なんとか「所有」した気分になれるけど(家の中とかね)、
時間は所有できないし、連続性も概念でしかない。
私たちは常に「今」を感じられるだけ。
そんなことはない、私は生まれてからここまで育ってきて、
過去の私は小さかったけど今の私は大人だし、将来は年老いていく。
うん。予測とか、感覚的なもの、は、そうだよね。
でも、もしあなたが記憶喪失になったら?
過去の私を「忘れて」しまったら、小さいころの私って、
あなたのなかにも「存在」しなくなるよね?
つまり「小さいころの私」っていうのも、記憶でしかない。
将来像ももちろん、アタマのなかの「考え」なわけです。
あまりここばっかり語ると、不安を感じる人もいるかもしれないので、
次にいくけれど、要するに私たちは、過去の記憶も含め、
そうしたいろいろな「思考」「感情」を
まとめてきたものが自分、と、ふだんからなんとなく、
しかもずっと、捉えてきているわけです。
アタマのなかで「考えてきたこと」イコール私。
思考と私が常に一緒になっていて、
考えていることの内容総まとめが私、みたいに
なっているのだ、いつのまにか、ついつい。
さ、では「今ここにいるあなた」は思考、ですか?
身体もあるし、それを少しでも動かせるし、
五感でものごとを感じてるし、
食事もするし、寝るし、人とも話をする。
そのすべての「あなた」は、思考、ですか?
違うよね。思考はアタマのなかのもの、だと「知っている」はず。
未来や過去、ああなりたい、こうなりたい、とか、
あのときああだった、いつかはこうだった、とか
「アタマのなかでいろいろやっている」だけの話。
あなたはそれとは別もので「今、ここ」にいるのに。
「今、ここにいる、この瞬間の自分」はなかなかまともに見ず、
当たり前にして、常に過去を意識したり、未来を想像したりする。
次に所有するものを考えたり、失ってしまうかも、と思ってみたり、
延々とアタマのなかで「過去か未来のどちらか」だけを見て、
何かを「いつか未来に得よう」としている。思考・概念のなかに。
だって、「今」はまだ「足りてないことだらけ」だから。
感激することもあったけど、もう過ぎ去ったから。
飽きたから、もっと興奮したいから、つらいから、
もう一度ワクワクしたいから、「未来」だけを見る、または
イヤな過去を引っ張り出して原因を探し
今じゃないのに、まさにこの瞬間に! 「思考」だけで落ち込む。
で、「次」の何かを得るために(別に本当には所有してないのに)、
所有した気分になれるものまで「未来」に対して「思考」だけで求める
(思考がすべて悪いわけじゃないよ、でも今は、その話は置いておく)。
人間関係も所有の思考が絡んでるよね。
恋人は「私のもの」、家族や仲間は「私とつながっているもの」、
失う、失わない、思い通りに行く、行かない、
なぜ、どうして、過去に、いつか、
あの人が、私が、あれが、これが、隣の国が(笑)……etc.
ある、いる、と実感できる「今」はそんなに見ない。
過去か、未来ばっかり気にして「考え」を繰り出す。
で、そうやって、アタマのなかにしかない「思考してること」が
自分自身だ、とさえ感じる。
思考と自分を同一視するから「今、ここにいる」自分は吹っ飛び、
ずっと過去や未来の「何か」の思考、思惑、自分への評価、他者への要望、
言ってしまえばある種の欲をも含む考えや感情に、
自分が振り回されもしちゃうわけです。
その時間のほうが、ずっと長かったりする。
で、睡眠するときだけホッとするとか、アルコールやタバコなどで
自分を強制的にボーっとさせて、考えるのやめようとするとか。
……痛いよね、なかなか。
今、感じていることは、イコール私、じゃないんだよ。
それを「自分自身」だと思い込んで、思考の中身だけで
即、簡単に「私はああだこうだ」、自分を決める、
そんなふうに評価するのも違うよ、ってこと。それって単なる考え。
他者との比較も、いろいろ全部、あなたの「思考のなか」だけの話なのだから。
~噛みしめて欲しいので、ここで分けて、さらに次へつづきます(スマンね)