人との、ものとの、関係性。そして「命」の扱い。

すみません、つぶやきに近いです。

命の話も多分に含むので、こちらに書きます。

もともと「腹黒い部分を持つ(全部がそうではないが)」主義の人に対し、

過去、先にこちらが「時代ゆえ、といって調子に乗って

実はあまり先のこと考えずに、相手をひどく扱ったうえ、

最後には尻をまくって逃げ出した」という事実を持つとき

(そして形のうえではこっちが負け、相手が勝ったとき)。

その「腹黒い人」との関係性回復は、

よほど慎重にならないと、うまくいかない。

だって相手はものすごく、こっちを恨んでいるから。

しかも、腹黒いから。

つまり、今の時代ではあまり想像できないような

「超法規的手段」を、使えるから。

先にこっちが(ホント、ものすごく)ひどいことして、

なのにそのあと、関係修復をおざなりにして、

挙句、今、相手から「おまえが悪い」と、延々、責められたとき。

まず、放置してたこっちも、相当のタマだよね。

なのになんだかさ、

「なぜそんなに責めるんだ! アタマおかしいのか?」って

怒ってる人も一部に(それともたくさん?)いる。

いやいやいや、それ、すでに、違うから。

「今だけ」を見て怒ったところで、何もうまくいきませんよ。

ましてや相手の「超法規的手段」に対抗して、こっちも

「本当は個人レベルだったら犯罪になる」ような準備、しちゃうもんね、と

脅したところで、もともと相手のほうが「世界が極寒になりそうな」手段を

使えるんです。ええ、「最後は」勝ち目、ないです。

でも「個人なら犯罪になるような準備」をしたほうが、実は

(国内外での裏取引、等々まで含め!)儲かるもんね、と

ちょっぴりの期間(?)、超法規的手段の「真似ごと」をしてみたい、と

切望しているのが、わが国(の首相とその周辺)でしょう。

またもう……そうやって、過去のこともあんまり見ないけど、

先のことも、とくに見通すことを「わざとしない」ほうを選ぶんですね。

今現在の、自分たちの儲けや栄誉(じゃないけど本当は)を、優先。

しかもなぜか、側近も、NHKに送り込んだ仲間も、

周辺みんな、鼻高々。なぜか自信満々。

そのためには若者の命、ま、少々だろうしね、

その人の「運が悪けりゃ」って程度だろう、って、

勝手にそういう話にしておいて、使い捨てる予定。

この先(もしかしたらもうすでに)ガザ地区の子どもたちの命を奪う、

そのお手伝いもミサイル部品で実施。

でも、こちらはあくまで国際貢献であり、あくまで部品の輸出ですから。

その責任は「取りません」。

それからね、安全性は確認できたけれど、何かが起こったら

「今のところ、すばやい避難計画なんて作れなくて、

すぐそばの地域の人は絶対に逃げ切れないので、

あらかじめヨウ素配っておきます」ですって。

でも安全ですよ、とは『確実に』言う。

安全、とさえいったん「認定」しておけば、

何かあっても「想定外」なので、責任は「取らなくていい」のです。

体内被曝も「がんができる原因であった」と

「認めさえしなければいい」だけの話なので、被爆可能量、アップします。

だって、がんなんて、個人差大きいもんね、もともと。

「統計上」で確定「できなければ」、責任取らなくて済みますから。

発症した人には0か100、生きるか死ぬかしかなくても

「統計上」で○人に一人、の割合なら「原因と断定」しなくていい、とか、

そういう話。

あと、これはFBで見た、元自衛隊教育担当の方の取材記事から(抜粋)。

「政府は「徴兵制は憲法上許されない」といっています。
しかし、石破茂自民党幹事長は”徴兵制は苦役ではない”
”憲法上許される”との発言をしてます。
自民党の幹事長が許されるといってるわけだから、
政府が許されないといっても絵空事です。

”我が国の存立を守るためだから
苦役ではない”というのは、裏を返せば
”我が国の存立を守るために
苦しみはないんだ”ということです。
みんな笑顔で死ねということになります。

こればかりは完全に信用できません。」

(元防衛庁教育訓練局長・防衛研究所長
新潟加茂市長 小池清彦さん
赤旗 2014.07.27

引用させていただいたのはこちらの記事です
→かばさわ洋平ブログ
「徴兵制否定は絵空事」小池清彦加茂市長
http://ameblo.jp/takumiuna/entry-11900522522.html )

その少し前くらいから、同じことを感じつつある人が

あちこちのSNSにたくさんいて、

私はそれらを読んで考えさせられ、

調べて「なるほど」などと同感し始めていたところだったので、

元自衛官の「指導教官」のなかにさえ、

こう感じる人がいることにある種の衝撃を受けた。

こちらの勝手な「悪い想像」のレベルじゃないんだ、と。

うるさいと感じる他者を、過去もまともに省みず、威嚇したり、

一部の支配層だけの利益のために人の命をかくも軽んじることを、

今後もずっと「奨励する国であり続ける」ことは、やめたい。

日本は昔から「和をもって尊しとなす」理想を持つことができ、

「相身互い」で、火事のときには皆で家を打ち壊してでも延焼を防ぎ、

海外に留学すれば「笑顔で相手の意見を聞く耳を持ち、

なんとなく、なじみやすい人」と思ってもらえ、

海外に試合観戦に行けば、自主的にゴミを拾える。

被災地はモノ不足になる、で、需要と供給の自由経済の国なんだから、

物価を10倍に上げていいでしょ、なんて発想もしないでいられ、

半壊して電気もない店内で、並んで買い物もできる。

その心は、私たちがずっと、持っている。

もったいない、の精神も、強制になりすぎなければ、ステキだ。

英国にだってこの精神はあるけれど、

日本流は「使い方を工夫し、作り変えて使い続ける」ことまでする。

大人の浴衣は子どもの浴衣になり、やがて赤ちゃんのおむつになり、

最後には雑巾になって……というふうに、使われてきたのだ。

命を大切にし、心を大切にし、相手を大切にし、モノをも、大切にする。

そちらのほうをこそ、未来へ、伝えていきたい。

私たちは、民主主義国家の一員なのだから、

そっちを自分が選択することができるし

それを周囲に伝えていくことも、できるのだ。

「ほかのものへの愛」と言い換えてもいいかもしれないような、

人との、ものとの、関係性。

そっちのほうの、日本の良さを、伝えていこう。これからも。

ねえ、そっちを、選ぼうよ。

2014_07_31_pink_rose

 

 

 

 

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