今、何もできないからこそ、次がある。だから

できないときは、できないという状態を、しっかり、

感じていてください。ただ、それでいいのです。

その経験が、あなたを次の世界へと導きます。

 

渡辺和子さんの本を読みました。

タイトルを見て最初は「我慢が美徳」という内容なのかと思いましたが、

苦しみのなかにあってもまず、

自分が「自らをそこで咲かせてみる」ことが、

「自分のための『次』」へとつながっていく、というお話でした。

 

自身にも、他者にも、勇気を持って愛で、接するということ。

自分が、自分を、咲かせるということ。

文句をつけ、怯え、心配し、自分の未来を限定したり減らすような生き方でなく、

確かに、自分が咲く生き方を、自分で選んでいっていいのです。

 

できないときは、できないまま、そこで少し、待ちながらでいい。

理想を、以前のように巨大なサイズで「持ちすぎる」必要が、そもそもない。

できる範囲で、どんなに小さくてもいい、「自分から」咲く。

 

もちろんそこには、「選ぶ」勇気と「結果を引き受ける」責任は生じます。

でも、何もしないまま、自分に失望し続けることを

「選択しなければいけない」理由など、

本当に何もないのだと思えます。

 

暗闇を経て、初めてわかることがある。

そしてその後、薄明かりに移動してみて、またさらに初めて、

そこから先の新しい「世界」が見えていきます。

 

二・二六事件のとき、自分の1m先の目の前で、

父親が30人の敵に囲まれ、銃弾に倒れるのを目の当たりにし、

修道院に入り、たぶん、途中で結婚より修道を選ばれ、

若くして責任の重い仕事に就き、鬱による入院を経験され、

死をも考え、膠原病の治療による脊髄圧迫も経験された女性……。

 

その方の言葉は、キリスト教の用語を使われてはいるものの、

カトリックのシスター、という視点を超えたもの。

まさに苦しかったからこそ、会得されたものであると、

私には思えました。

 

なぜわからないの? と言って相手を攻撃したり、

言うことを聞かない人を殴るのでなく、

また、自分をむやみにそこで押し殺したりせず、

まずありのままに、自分から咲く。

 

すぐには受け取ってもらえなくても、陰徳を積むことのほうを選ぶ。

 

それによって「自分が」穏やかにいられるのです。

わかってくれない、と、押し付けたり、心で泣き叫ぶ必要はないのです……。

その相手がたとえ、自分の子どもであっても。

 

別に「暴力」については書かれていませんが、

なぜかそんなことを思わされた本でした。

他者へ「痛みを与える」ことは、結局、自分を傷つけるだけなのだと。

その反対に、見返り(効果)を期待せずに「愛を与える」ことは、

自分を「結果的に」、穏やかで豊かな気持ちにしてくれるのだと。

 

何もできないときにこそ、読んでほしい本です。

まさに、そこからでいいのだ、そこにいること「こそ」が、

この先、自分にとっての深い意味を、持たせられる。

それを感じられる本だと思います。

 

連続での書籍紹介を、こちらのメインブログで展開するのは

初めてですが、「自分の命」「自分の生き方の姿勢」について

説得力があったので、伝えたくなりました。ご理解ください。

 

Amazonリンク張っておきます。アフィリなしです( ̄∀ ̄)

2014_08_23_watanabe_okaretabasyo

『置かれた場所で 咲きなさい』
渡辺和子 著  幻冬舎 刊 ¥1,028

 

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