鬱病という病のこと。はい、完璧なひとりごと

自分にとって苦しい方向の思い込みをして

それしかないんだ、という視野狭窄に陥ったあげく

自分を傷つけていくことしか(自死を含めてね)思いつかない。

 

これが、私自身が経験したり、

あるいは過去の、周囲の鬱病の人を見て感じたり、

または心理学・精神医学等の本などで学んだりして、

大まかに捉えることのできた「鬱病の症状の主たるもの」です。

 

「そういうふうにしか考えられない」という症状が、

風邪でいうところの「熱」「咳」「鼻水」のように、わかりやすく現れます。

 

あ、新型鬱病のことは、私はよくわかっていません。

特定の他者に対して、鬱になる場合があることは把握しています。

その他者のことを、自分にとって悪いほうにしか受けとめられない、って。

でも旅行に行けたり、友だちと遊べたりするときの「心理状態」については、

調べていないのです。また、その点を調べる・学ぶ予定もありません。ごめんなさい。

 

でね。

最初に書いた「自分に対する悪い方向への」思い込みは、

それゆえに自分の力を信じられない、という現れ方もする。

そうなると、先のことなんて、暗い予想しか思い浮かびません。

だって「このヒドイ私がやること」なんて、

「ヒドイ、ダメな結果」しか、生まないと思うもの。

ものすごくはっきり、そう思うもの。それ以外の可能性なんて、ナイナイ。

 

それも『視野狭窄』のなせる技でね、でも自分が視野狭窄になってるなんて、

イマイチ、わからないわけです。

 

ダメなものはダメに決まってるから、何がどうなろうと、ダメ。

失敗して当たり前だよ、だってできないのだから、私は。

 

こう書くと、ものすごく偏っていることがわかると思います。

未来なんて、誰も正確に予想できるはずないのに、

自分のことだけ、この先もダメ、絶対に悪い、と『すでに』決定させている。

 

ま、そこまで悲観的に物事を捉えて、悲観的なまま何かやれば、

上手くいくはずのものがそうでない可能性も含んでしまい、

実際、自分がわざわざ『ダメになる方向へ仕向ける』なんて事態も起こって

本当に失敗したりもする。

で、それを、また『ほら、やっぱり私はダメでしょ?』という根拠に使う。

 

わざわざ自分にとって悪いことをして、

『ダメな自分である自信』を高めていく、と言えば、イメージわかるかな。

 

不思議なんだよね、これ。

『ダメ』シミュレーションを脳内で繰り返すだけでなく、

実際にも、シミュレーション通りにやってみたりする。

そして『ダメな証拠』を集めて、ある意味、ダメな自分に安心する。

 

安心、という言葉は不気味でしょうが、本当に安心するのですよ。

ほーら、やっぱりね、って。

自分をどこか、それでもなお信じたい気持ちが、

そうやって、ゆがんで現れるのかもしれない。

 

これをさ。

正しいかどうか、なんて視点で見たら、

そりゃあもう、めちゃくちゃ、間違いですよ。

いいか悪いか、なんて視点で見た日には、

なんでそんなふうに受け止めるのよ! って、

普通の人なら、怒りしか出てこないだろう。

 

でも、風邪を引いてしまった人に「なぜ鼻水出すのよ!」

「そもそもなぜ風邪引くのよ!」って責め立てたところで、

風邪を引かない身体に変われるか?

 

「その、咳をするという症状が、絶対に許せない!」と誰かが言い張れば、

風邪を引いてる人が、咳をしなくなるのか?

 

そう指摘して怒ること自体、おかしいこと、気づけるかな?

そんなこと言ってる場合じゃないのよ、

熱、どんどん高熱になってるかもよ?

だったら肺炎を併発してる可能性、悪化してる可能性も、考えうるよね?

 

あなたの意見が正しいとか、

相手が間違ってるとか、

言ってる場合じゃないのよ、鬱って。

相手は間違ってるの、悪い思い込みをするという段階で、

そういう意味で言えば、間違ってる。

 

でもね、そういう「症状」なの。

そこを理解せずに、うまくいかなくて腹が立つなら、

それ、あなたも相手も傷つけ合うだけになるから、

さっさと手を引いて専門家に委ねたほうがいいよ。

 

あなたも本当に、傷ついてしまうから、

せっかくの愛と思いやりが、ものすごく変なことになる可能性、すでにあるから。

自分の意見に固執するの、相手を怒るの、とりあえずいったん、棚上げして、

現実的に、症状の悪化、止める対策のほうへ

全速力で走ってもらえないかな?

 

私は、私の感覚と過去の経験から、勝手にそう感じるのだけれど、

鬱病の人も、それを支えようと思った心優しい人も、

どちらも傷ついて欲しくない。

 

その思い込みは、外せる日が、来るから。

鬱を患った本人が、自分で気づける日が、来るから。

何がきっかけになるかは、

『きっかけが起こって、うまく使えてから』しか、気づけないんだけどね。

死ぬのはやはり怖い、と、どこかで思い続けるだけでも、

何かのきっかけに、つながる、変わるかもしれないから。

 

どうか、あきらめないで。

どうか、怒らないで。

どうか、どんなに苦しくても、

あきらめないで自分を、

相手を、ただ、見守ってあげてください。

 

切に、切に、心の底から、祈り願います。

 

2015_04_06Photo by Antranias
Pixabay

 

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