「自分の気持ちを大事にする」っていうのは……

自分の気持ちを

いちばん大切に なんかしたら

自分のことしか考えないという

自分勝手な『ワガママ』と

即 イコールになる

 

そう捉えて 自分の気持ちを

きちんと ていねいに扱うこと

怖がる人 いるようだけれど

 

逆に 自分の気持ちをちょっとしか「感じない」で

言いたいことも 半分くらいにして

それで相手がどう受け止めるかを 見つめすぎるほうが

私から見れば よほど

『自分だけを見る』の罠に 陥ってると思えるよ

 

だってそれ つまりは

自分がどう思われるか

を いちばん 大事にしてるから

 

相手の「気持ちの奥」にある

『なぜあなたはそう感じるか』のところは

あとからしか 見ようとしないもの

 

反応された部分を まずまっ先に捉えて

「ああ そう思われた」

「そう受け取られた」

「そんな人間だと思われた」

そっちの 自分に対する評価のほうで まず頭が いっぱいになって

次に自分が『どんな人間だと受け止められたか』の詳細を 必死で捉えて

そこに起こった誤解やズレを解くには?

あるいはうまく反論するには?

と 対策を考える

 

……ね? 自分のことで頭いっぱい っていうよね それ

自分への評価の部分だけ 見つめてるって言えるよね

 

「私は こう感じるの」

「あなたは そう感じるのね」

そんなていねいなキャッチボールは しなくなってるってことだから

 

またさ 自分が感じることを 大事にしないで伝えない

そういうキャッチボールを 大切にしないままでいると 

全員が全員ではないけれど 中には たまにさ 

何かが起こって 今度は 自分が後ろめたくなったときにも

勝手に自分の内側だけで

仕方ないよ だって私 こんなにたいへんなんだから

ゆるされるよね いいよね って自分を「正当化」して

相手には説明しないで それこそワガママな振る舞いして

そこを突っ込まれたら 逆ギレする人もいるんだよ

 

相手に 後ろめたいその思いを 伝えなかったのは 自分なのに

わかってくれると思ってた! って 怒り出す

 

まあそれではね そりゃあれこれ 問題起きますよ

結果として 自分が感じることも

相手が感じた その根本のところも

大切に扱わない 全然 大事にしないからね

 

たとえ最初は怖くて 難しかったとしても

あるいは疲れていて どうしても説明が面倒なときでも

あとで逆ギレするくらいなら その前に

ごめんなさい 今は説明 無理

でいいんだよ そこはせめて 伝えなよ

 

そしてもし 相手の受け止め方が 自分の意図とズレていたら

そのズレ「私は悲しい」よね?

ならば まず「悲しい」って 伝えていいんだよ

 

どう思われたから こう だの

それはきっと ああだから だの

説明や言い訳を思いつくより先に

私はそれ 悲しい って まず素直に伝えなよ

 

あるいはさ 自分の意図とのズレを合わせる

そんな「つじつま」部分の説明さえできず

もう 相手の顔色 うかがうことが

顔色に合わせて 話すこと変えるほうが

いちばん問題なく過ごせるから とか思ってる?

 

あのさ 私の知っている範囲で

そういう 相手の顔色だけが 本当に大切だったと話してくれたのは

相手からの一方的な暴力を受けて おびえていた人とか

ある理由からどうしてもしばらくは そこに勤め続けなくてはいけないのに

相手がものすごくワンマンな雇い主だとか

あるいはもう お金のためと割り切っているがゆえの

すごい上顧客の人への追随 おべんちゃら とか……

 

自分の過去の苦しみとして そうした話をしてくれた人たちは

ブログや著書や講演で それがいかに偏りを持っている苦しみだったかの実例として

自身の体験を伝えてくださり

それぞれそのとき 大きな問題を抱えていて

本当に 命を護るためだったとか

本当に お金がそのときどうしても必要だったから とか

そうした すごく明確な意識で 

自分が感じることの『封印』

あえて わざと やっておられたんだよね……

 

それは ある種の 覚悟を持った割り切りだった

それもまた 自分を護るための選択だったの

その人たちは 自分の存在の根源 護るために

そのとき 割り切って 覚悟持って 気持ちを封印してたんだ

だから自分の気持ちは 感じないと「決めること」ができていた

 

自分の気持ちを 大切にしないっていうのは

意識してやるなら それくらいの覚悟が必要で

辛くて たいへんなことなんだよ……

 

でも 日常において

自分が感じることを 大切にしない人は

そんな覚悟や決意までは していないだろうから

ただ ひたすら おかしな具合のことが起こって

問題がねじれていって たいへんなだけになると思えるんだ

 

だって私は私のこと 嫌いなんだもん!

そんな 大切になんか したくないんだもん!

こんな私みたいな人間にそんなこと する気になれない できるはずない!

うん そう言い切れるのなら さ

なぜ 相手に

自分を大事にしてほしいって 望むのだろう?

自分ではやらないことを なぜ他人に 求めるんだろう?

そこは 矛盾してるよね

 

そして何より

あなたが大切でないものを 他人が大事にしてくれたところで

あなたは 本当に心からは 喜べないよ

だって 信じきれないもの それ

泥団子にダイヤモンドの膜を かぶせたような具合に感じられて

誤解してるんじゃないだろうか

今だけじゃないだろうか

またすぐ 悪いところがバレて

嫌われるんじゃないだろうか ってね

 

せっかく目の前の相手が 

あなたを今 まさに

大切にしてくれているのに

あなたの不安 消えないままなんだよ

 

だからさ あなたがもし 自分のこと 大切にしてほしいって

相手に対して今 本気で望んでいるのなら

そして自分の気持ちを「感じる」ことを

命がけの問題として抱えたある理由から 封印しているのではないなら

(もし封印している場合は まずその環境から離れることが何よりも優先

物理的に対処できる部分を まっ先に実行することが いちばん重要だよ)

 

あなたが 誰よりも先に

自分を大切にして いいんだよ

自分を大事にして いいんだよ

というより あなたが自分を嫌うことを やめるのが先なんだよ

 

大嫌いな自分 

そこをきちんと 見つめてみようよ

なぜ そこまで 否定しなくちゃいけなくなったか

なぜ そこまで 嫌わなくてはいけない存在なのか

ひも解く必要があるのは そっちだよ

 

なぜ 私は他人の顔色ばかり うかがってしまうのだろう

なぜ 自信がないのだろう

どうすれば 他人の顔色 うかがわないようになれるのだろう

解きほぐすべき問題は その部分じゃないんだよ

 

あなたが今 まさに思い込んでいる

ダメな自分 どうしようもない自分

そっちのほうだ

 

自分のダメさは 自分のひどさは

自分がいちばんよくわかってる?

 

本当にダメで 本当にひどい人って

自分のことしか 考えてないよ

自分のこと どこか嫌ってるけど

それはもうまったく 見ないことにして

自分のことだけ 可愛がってるよ 表面上はね

そしてそれを貫くためにも

特定の人物以外の その他の顔色なんて うかがわない

 

だからさ たとえば振り込め詐欺だって お手伝いできるの

自分はお金儲かるもんね いいもんね って正当化して

そういう方面のひどさを 発揮できる

 

見る人が見れば そういうひどさだって

かなりの Help me! な

SOS信号なんだけれどね

まあ その話は 今はいいや

 

つまりはさ 自分が嫌い! って明確に意識できる人は

本来の意味では ひどい人ではない

ということは あなたは いや あなたがたぶんいちばん

自分のことを 今 わかっていない

 

そう『今は』だけれど

いちばん自分のことを 理解していないと

私には ごめん 思えるよ

 

そしてまた 自分を嫌いと思えてしまう

その気持ち自体が どれくらい苦しいことかは

私も 過去に知って それが苦しかったからこそ

「自分の思い込み」にも気づけたんだ

 

苦しみって 自分を知るきっかけにもできるよ

わかっていなかったことを 気づけるよ

私自身の話だけじゃなく そんな例が 本当にたくさんあると 学んできて

だからこそ今 私もまた あなたは自分のことわかってないよ と 言えるんだ

 

相手の顔色 知る前に

相手にどう思われるかを 知る前に

自分が自分のこと どう捉え直せばいいか

そっちを知ってほしいと

心から祈るよ

 

あなたは あなたが思っているほど ひどい人じゃないから

絶対に 絶対に それは 違うから……

 

2015_04_26

Photo by jr_juninho_210
Pixabay

 

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