前の記事で別リンク復活をご紹介した、あの映画。
私はすごい風刺で、
でも本質を突いていると思えるから、
繰り返し、お知らせしています。
人に勝ちたい、
認めてほしい、
それによって、やっと、
自分を認めてあげられる。
そういう方面で、今、自分が苦しい人が、
そのまんまの状態で人に勝っても、
望む人に認められても。
今度は失う恐怖が加わるか
孤独感に付きまとわれるか
になっていくのだと、思えるわけです。
折れたときの私も、
その方向のことをやっていた、と、
(私はね)そう感じています。
勝った、と人を見下す快感、
ほめられた、とうれしく感じる感情、
それね、一瞬で終わるよ。
で、次は、保とうとして
『さらにやる』しかなくなる。
まあね、勝負することを心の底から
自分がワクワクしながら
楽しみ続けていける
だけの強い精神力と体力と、
もし、人を利用したいなら
そのために必要な、
自分だけが得をするために他人を使おう
という方面の「視野の限定」を
ずっと保っていられれば別だけれど。
たいていは飽きて、たとえ成功して得ても、やがてむなしくなるだけ。
だって
分かち合えないもの、
その喜び。
まあ、見栄を張った寄付なら出来るだろうけれど、
それって noblesse oblige からはかけ離れた精神だし、
後ろめたいままの一生
とか
不安感だらけの一生
とかを、自分で延々、選ぶだけになっていく。
足元、スッカスカのまま、
なんだか常に何か、心地よくないことが起こって
イライラして、悔しくて、悲しくて、思い通りにならない。
あっちを解決したと思ったら、今度はこっち。
それが終わったら、次はあれ。
課題は次々やってきて、
それゆえに常に付きまとう不安感。
これをなくしたら、自分はまたダメ人間に戻ってしまう、
くだらない、何もない自分に戻ってしまうという不安感。
あのさ、自分が幸せになるのに、
自分の不安感を取り除くのに、
そんな手段、別に選ばなくてもいいと思えるよ。
だからといって逆に、
原住民生活に戻らないと得られないわけでもないしさ。
なのでビビってないで、
そのヘンな執着心、先にやめてみたら?
何を見つめて
何に気づいて
何に感謝できるか、
のほうを先に練習してみたら?
この映画はそういう視点のことを、教えてくれます。
なので、いいなあ、と思えるし、
自分のために、できればときどき、
見直したいな、と思えるのです。
ま、今は受け止めたくない人もおられるだろうから、
別に無理に納得しろとは言いません。
私とは違うな、ってことでもあるし、
それは尊重させていただきます。
だからそちらも、
私を認めてよ
をこちらには、押し付けないでくださいね、
ってこと、お伝えしておこうかな。
たとえば、
楽して儲かる、
そのために必要な読者増、
とかいう名目の数々の手法、
私には必要ありませんので。
協力してくれない人がいると(私もそのひとりですが)、
イライラして不安定で、
恨みも悩みも増えて大変ですね、その手法。
でも、あなたはそれをやりたいのでしょうから、
そこはご自由に。
はい、これって『違いの尊重』です。
自分のことも、相手のことも、違いを認めて、尊重する。
私は、常にそれを選んでいく、ということを、
今、学んでいるし、大切にしていきたいです。
それを知っていくと、自分が
あらゆる面で素晴らしくならなくても大丈夫なので、
まず何より、落ち着いていられます。
私は、そういうことを練習している人間です。
この感覚のことも、
よければいつか、知ってみてくださいね。
よろしくお願いしますm(_ _)m☆
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