「前側」での努力を……

ここ何回かのブログで、

「前側で努力を続けている」とか

「コインの裏側だけの視点を使っている」と書いた。

 

この部分だけで実際、必死に『やる』、

感じて考えて行動することも、可能なのだと。

 

でもそれを続けていても、あなたは、

「自分が本当に楽な気持ちになって

よかった、と思えることが増えていく……」という状態には、

たどり着きにくいと思う。

 

なぜならそれはね。

ごめんね、以前の私がそうだったから

(そして今でも自分が戒めるようにしていることだから)、はっきり言うよ。

 

自分自身を「他人から認めてもらうために」酷使する

→そこで得る評価って、つまりは「自分のためだけ」である

→結局やっていることは、他者を、自分の自尊心を守るために利用している

ってことに、陥っているから、なの。

 

そこにどんな立派な、あるいは苦しい理由がくっついていようと、

「前側だけ」で努力を続けるって、そういうこと。

 

どうすれば私はこの人(社会含め)に認めてもらえるようになるだろうか

どうすれば私はこの人(周囲含め)から愛されるようになるだろうか

 

これは、本当にごめん「=イコール」

どうすれば私は

自分のことを好きになれるだろうか

なのよ。結局、自分で、自分を認めてあげたくてやってるの。

 

で、結果的にそれは(全部が全部ではないよ、もちろん、でも)

他者からしてみれば

なに「自分のことばっかり」に陥ってるの?

っていう、懐疑心にもつながりかねない。

 

自分を犠牲にすることで(そのために他者という存在を『使い』)、

自分を好きになろうとしている。

 

実際には、やり過ぎる人だけでなく、逆に動けない人もいると思うよ。

でも、自分を嫌うときにこの視点に陥っている部分で同じ、だと思う。

 

自分を嫌っていて、それを解消するために他者と関わりたいなら。

それは

他人を自分の都合で振り回す

という事態にも、容易に陥るのだ。

 

しかも、そのときって自分は「犠牲」になっているから、

尽くしているつもり、一生懸命やっているつもりだから、

自分ではそのことに気づけない。

ゆえに他者がそれを受け入れないと、速攻で、これまた簡単に

「裏切られた」「傷つけられた」「ひどい」「なぜわかってくれないの」

という視点にハマる。

 

他者とつながれなければさみしい、というのは

他者を経由して自分を認めてあげられるチャンスがなくなるから、

自分の価値が見えなくなって苦しい、でもあるのだ……。

 

だから言う。

そんなことしなくても、本当にいいんだってば。

前側で必死に自分を「高めて」いくよりもっともっと前に。

 

なぜ自分が、自分のことを

こんなにも認めてあげられないんだろう

 

という部分、そのガチガチの信念を先に解きほぐせ、

と、ごめんね、命令形使っちゃって、でも、声をにして言いたいのだ

(今日は大文字、色文字使いまくって、これもまたごめんなさい)。

 

そんな、他者を利用しまくるという「ややこしい」ルートを使わなくても

私は、『この私』であっていいんだ

と思うことのほうを「土台」にできるのよ。していいのよ。

というか、それを土台にするからこそ、

なんか、うん、これでいいのね、

これ、幸せかも

というところへも、勝手につながっていくの。

 

あなたは、他者を使わずに、幸せになっていい。

あなたは他者から誤解を受けずに、幸せになっていい。

単純に幸せ、であって、いいの。

 

罪も罰も、○×も、実はそこに存在していないんだよ。

それ、あなたの思い込みによる「空想」だから、本当に。

 

そして、そうなるために必要なヒントも、そうなるための答えも、全部

あなたが持っているのよ。

「前側」を自分が努力し続けたくなる(あるいは逆に、

もう怖すぎて動けない)、その気持ちの奥。

奥なのだから、そのガチガチになった部分の「理由」を知っているのは

あなただけで、『あなただから』その理由を見つけて、解きほぐせるの。

だって、ほかの誰が、その信念の「根っこ」のこと、知っていると思う?

 

ゆえに、これを「見つけてあげます」という人がおかしくて

「探すサポートなら、できますよ」という人のほうが

まともである理由も、わかるよね。

「見つけてあげます」の人もまた、他者を利用して自分を認めたい人だ。

 

そのために、自分の力だけでなく、本やカウンセラーや

その他いろいろなサポートを、

自分から選んで使ってみて、と言っているのだ。

 

すごい人たちは「なぜ、そう感じるの?」

「こうであったら、いけないのかな?」

という「問いかけ」を、バンバンしてくれるよ。

命令ではなく、説教でもなく、あなたに「質問」をし続ける。

その答えを知っているのはあなた自身

であると、皆さん、ご存じだからね。

 

どうか、「前側だけ」を見つめて努力しようとするその気力を、

奥を見つめてみる「勇気」のほうにも、使ってみてください。

 

他者は、使うためでなく、気づきのために、存在してくれているよ。

気づきを与え合える、という信頼関係を、あなたも他者と結べるのよ。

 

あなたの世界が、変わるよ、文字通り。

 

2015_08_09

Photo by DeltaWorks
Pixabay

 

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