昨日書いた、前側の思考。
具体的にどんなものを指すかというと、
それは○○すべきでしょ!
それは○○であるのが当たり前でしょう!
○○に決まってるじゃない!
○○じゃないと、○○しないと、いけないのに!
という類の、
あなたの『もろもろの思い込み』のことである。
たとえばこれは、よく言われる例ね。
人を殴ったらいけない!
人を罵倒してはいけない!
そう思い込むあまりに、
しょっちゅう子どもに怒鳴って体罰を食らわせていたら、
親が目の前で見本を見せているのだから、子どもは混乱するだけ。
私は過去に、お姉さんの例も何度か挙げてきたけれど、
彼女は、認められたいあまりに暴走することがあり、
まわりにフォローさせたり、
まわりをイライラさせたりもする。
えーと、うん、それ、もしうまくいってると思えるなら、
ただの自己満足で、なんか視野狭すぎて、
却って迷惑なんですけど、という事態が起こるのだ。
さらにね、嫌いな存在である私に対しては、
関わりをできるだけ減らそうと思うあまりの、指示不足や、朝令暮改までやる。
それを指摘してもお姉さんは一切、謝らず、
前のは忘れてください、こうしてください。
などを平然と言い放つので、ほらほら、
2年目社員の男の子がびっくりしてこちらを見つめてるよー、
なんてことも起こって。
仕方ないからその男の子に、
大丈夫よー、こっちの処理の話だから、と、後から私がフォローすることになる(笑)
こういうのって、もうね、
あ、そう、わかった。次からそうするね、と流すだけだよ。
いちいち受け止めたくもない、面倒くさいから。
相手と私が「違う」だけだから。
じゃあ次からそうするね、という確認を取っておいて、
彼女がまた違うことを言ったら、
前に言ったことと違う、と気づいてもらえばいいし、
それを何度かやれば、元々は認めて欲しい子だから、
自分で慎重にやるしかなくなると思う。
……と、そんなふうに、周囲が冷たくならざるを得なくなっていくの。
ねえ。前側の努力だけしてる、その気持ち。
思い込みが強いと、その部分で、人に指示したくならない?
相手側の非の部分を示して、指導したくならない?
何かの、批判の言葉を相手に伝えたくならない?
あるいは、そうじゃないのに!!
と、ブツブツ独り言で文句を言いたくならないかな。
そういうのって、ときにさ、
100%、自分が正しいと思っている、
あるいは本当はそこまで強く信じてないのに、
常識的にこうであるべきだから、という大義名分を持ち出す、
心の奥では自分だってやりたくないのに、
無理してガマンして立派にやっているから、やらない人に腹が立つ……。
そんな状況に陥っている可能性もあってさ。
まあ、相手に正面切っての文句でも、それができないゆえの陰口でも、
持論を吐いて人を批判非難罵倒&指導したいタイプの人は、
この手のこと、たいてい、何を言っても「ケッ」って、なられるけどね。
『あなたが間違っているの!』って部分を、崩されないことも多いだろう。
ならばあなたが気持ち悪いから間違い?(^^;)あなたが法律?
「それは素晴らしい!」って言って欲しい?
って言いたくなるけれど、
そんな言葉は、残念ながら届かないのだ。
あと、これもまた、この前にも書いたけれど、
間違いだ! という種類のことを思い込んでいるなら、
あなたも同じく、それ、間違いだったりするかもよ?
そもそも相手と自分の「違い」を許さないのって、なんか「間違って」ない?
そういう言い方されたら、どう答えるかな。
やっぱり、
だって! ○○は○○○○だから、
○○○○○○するべきなんだもの!! って主張する?
はい。
つまりそういうのが、前側の思考です。
そこで終わらせてるよね、何かといろいろ。
そこだけでとどまって、そこで問題を解消するためにグチャグチャやるから、
かのお姉さんのように、
出来る人と見られたいあまりにトンチンカンな迷惑を他者にかける、
つまり結局、出来る人になれないまま、みたいな、ズレが起こることになるのよ。
何かを言われたときに脊髄反射みたいに、自分の中で、
だって○○じゃない! ○○なんだもの!
という気持ちが湧いてくるときには、
いつだって、このことに注意してみるといいよ。
あなたのその『だって』は、実はそれこそ、自分を苦しめる、
自分が望む方向と逆の結果を生み出す、
あなたにとっての
『諸悪の根源』
かもしれないからさ。
どうかいったん、そこでちょっとでいいから、立ち止まってみて。
そして「なぜこの『だって』を、私はこんなにも信じているのだろう?」
って、そっちのほうの答え、奥のほうの答えも、
どうか自分で勇気を出して、探してみてね。
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