認めてもらえなかったように、自分が感じた。
お前が欠けているのだよ、と示されたように、
自分が感じた。
お前はダメなところがあったんだよ、と言われたように、
自分が受け止めた。
お前では役不足だと言われたように、
自分が受け止めた。
うん。
傷ついた、と、受け止められるんだね。
そういうふうに、自分が、感じるんだね。
そんな気がするんだね、今日は。
あるいは、今日も、かな。
それは、別の見方をすれば、
自分を理解してくれようとは結局、せず、
我欲と自己都合をたくさん押し付けてきて、
さらにそれを正当化したいという相手の気持ち、
そういう、とても重たいものから、
自分を解放してあげられることができた、
やっとそこから、抜け出すことのできた、
初めての夜、になるかもしれないのだけれど。
今は、今夜は、そんなふうには受け止められないよね。
悲しい、が先に、湧き上がってくるよね。
うん。
だったら、泣きなよ。
たくさんたくさん、目が溶けちゃうくらい、
わんわん、泣こうよ。それでいいから。
あなたのために、
あなたが流せる涙は、
本当はいつだって美しいし、
いつだって、優しいのだ。
間違った思い込み?
そういうのって、人の中にある「部分」の話だよ。
部分だってこと、今は気づいていないだろうけど。
それ、みんな持ってるし、
それでも、いいじゃない、っていうか、いいの。
普通で、当たり前のことなの。
でもね、少なくとも自分のために泣ける人は、
優しさを上手に発揮できる、
その萌芽を、自分の中に備えているのよ。
だから優しさの出し方、
その新しい練習、これから少しずつ、やってみればいいだけだよ。
お疲れさま。
たくさん泣いて、泣きながらお湯に浸かって、
身体を温めたら、
ちゃんと、疲れもやってくるから。
そうしたら、今日は、
泥のように、眠ろう。
自分のための、新しい夜の、始まりだから。
本当に、お疲れさまでした。
しばらくは、責めるほうでなく、受け止められたよいもの、のほうも感じて、
その経験ができた事実を、自分でちゃんと、味わって。
そのうえで、なお、放心するほうを、
泣き疲れるほうを、選んでみてね。
そんな練習も、新しく、始めてみてね。
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