どうせ死んでも良いのなら
その前に
今まで自分が やったことのない方法を
試してみても いいのにね
やったことのない 視点の使い方
やったことのない 対処方法
どうせ死んでも良いのなら
失敗したところで 大したことないのにね
だって失うものすら もうきっと ないのでしょう?
なのにそういうチャレンジはしないまま
私が悪い あの人がひどい
とかいう視点だけに 自分を縛り付けたまま
死を選ぶの?
自分を消したくなるくらいにまで
自分の気持ちより他人の気持ちを優先「させなければいけない」って
その決めつけ さすがに変じゃない?
自分は「誰かの心の奴隷」として成功しなければ!
って言ってるのと 同じことだよ それ?
そんなのじゃない? 疲れたから?
ならば先に休んでみればいいじゃない
どうせ死んだら 全部失うのだから
別に先に 休んでみたっていいじゃない
休めない? つまり自分が感じることは封鎖して
他人の思惑に当てはまる人間にならなくちゃいけないの?
それもまた 何らかの 奴隷じゃないの?
なぜそんな 見栄を張ったまま
死を選ばなくちゃいけないのか
その見栄の元って いったい何なのか
自分が 何を頑固に決めつけているのか
そういうこと 全部 知ってから 死ねばいいじゃない
なぜその辺りの 原因探しは 無視するのかな
つまりは その「死にたい」って
今の状況から ただ逃げたい というのと同義語じゃない?
そんなことから 見つめてみるのはどう?
それにさ
逃げたければ
別に死ななくても
そこから逃げて いいんだよ?
どこまで 自分を縛り付けたら 気が済むのかな?
死ぬのなら その前に 先に その縛り付け やめたら?
立派であらねばとかいう
変な理想に 振り回されている状態であることを
いい加減 認めてみてもいいじゃない?
だってどうせ 終わりにして良いのだから
それこそ 何を試してみてもいいよね?
だったら 一度くらい
自分の気持ちをいちばん大切に
してあげてもいいのにな と
私は そう思うよ
あまりにも苦しいときは
まず先に逃げて 次に自分を休ませてあげて いいんだよ……?
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