頑張りすぎて壊れている人は

これ以上頑張ると 失敗することのほうが

ずっと多くなる可能性が高いから

頑張る以外の「気持ち」を持つことを選択していく練習を始めないと

自分を壊したまま 辛くなる一方なんだよね……

 

ただ まあ 私も自分で 頑張る 以外のやり方を知らなかったとき

自分の肩にどれだけ力が入っていたか 知らなかったから

気づき始めるには きっかけが必要だということも知ってはいる

 

私の場合 自分の「頑張る」の気持ちの

奥にある「おそれ」「おびえ」に気づいていったんだ

 

頑張らないと自分がどうなってしまうか

それを自分で どんなふうに「信じ込んで」いたのか

 

なぜ 頑張る を そんな「おびえの裏返し」みたいな信念 として 

自分の内側にガッチリ 食い込ませて植え込んで繁殖させていたのか

そういうのを一つひとつ 解きほぐしていって

そこで初めて自分が「恐れていた」気持ちに いくつも出会って

そのたびに うああ なんだとー! 何これ! と

ある意味 ビックリしたのであった

 

そして自分が 肩に力を入れっぱなしだったことも

そこでやっと気づけていった……

肩に力入ってる と 言われて心配されたことはあったけど

それ こういうことだったか……みたいな感じ

 

いやあ 歯はくいしばってたわ 肩はいからせてたわ

心の中は「恥をかかないか」でビクビクしてたわ

いろいろさんざんな「小心者」の自分を発見していく道のりだったよ

途中から笑えるようにもなったけれど けっこう泣いた

 

もうね その「何が何でも 何しても頑張る」は 

あなたには 合わない方法に なりかかっていて

なのに延々 まだそれ「だけ」でやろうとしてるってこと

気づいてもいい頃じゃないかな……

 

そんな人 たくさん いるような気がする

意地張って 孤高を頑張る も そのひとつだろうしね

 

今の私は 頑張る ではなくて

自分に嘘をつかない 

っていうのを練習してるんだ

誰から何を言われようと 

自分に嘘をついてまでごまかすことほど

自分に害を及ぼすものはないなあ……って実感したから

 

だから 「知らないうちに自分を力ませること」からも

脱することができるようになってきたんだと思う

かのお姉さん みたいな人も 

もう本気でどうでもよくて 放置できるようになってきたんだと

私は 正しさを 証明しなくてもいいんだし とか

けっこう 脱力することも ま 少しずつだけれど 覚えていけている

 

これって ラクチンで すがすがしくて 肚も座ってきた感じで

オッサン脳の私でも(私だから?) 

意外に合っている信念だなと感じる今日この頃

 

「おびえ」からやってしまう自分へのオオカミ少年状態 

自分にとって 何が本当で 何が嘘か わからない状態を

勇気を出してやめてみるっていうの 

けっこう いや かなり 大切かもよ?

 

2015_11_29

Photo by zzzArt
Pixabay

 

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