生きていく時間の「過ごし方」としての、タイトルの話。
まず自分に対して、『次に』(そのあと)さらに、他者に対しても、
恐いから、イヤだからやるのか(やらないのか)、
うれしくなれるから、心が温まるから、やってみるのか。
どちらの「理由」から物事を見て、選択して、動くか。
思い切り単純化して捉えてみたら、
結局は、そこなんだよね。
しかも、自分にだけ愛を、でもなく、
他者にだけ(自分を認めてほしいから)愛を、でもなくて。
そこを実際にやれるかどうか、に必要なのは、
別のものを選択してみる「勇気」なのだと思います。
練習してみてから、やっと初めて、自信も確信も、付いてくる。
ということで。
表現を追求され続けている陶彩画家、
草場一壽さんのFacebook記事と、
もう一つ、このことにまつわる話だと感じた記事を、
シェアしてみます。
焦らなくてもいい。でも『自分が』選ぶ、選んでいいことを、
どうか、忘れないで。
逃げるというのは、自分を「消す」こととは同義語でないよ。
逃げるときさえ堂々と、自己を「消すことなく」逃げてよいのだから。
この話は全部で4つあるので、遡って読んでいただいてもいいかも。
ジム・キャリーって、素晴らしい哲学、持っているんだね。
そしてもう一つの記事。
失ったもの、無いものだけに目を向けて
「行けない」「出来ない」「無い」って毎日、つぶやき続け、
自分にとっての悪い面ばかりを、見つめながら生きる?
それとも、どうしたら新しい「喜び方」を見つけられるか、
自分から、模索してみる?
このご夫婦の生き方は、そういう選択肢の、ひとつの表れ。
恐れや恐怖心や不平、不足、不満ばかりを、自分の土台にするのか、
『自分を含めた』愛を土台にするのか、の話なのだと、
私には思える次第です。
そんなことすら考える余裕がないなら
そこまで疲れ果てているのだから、
まずは『ちゃんと本気で』休んでいいんだよ。
最後に、このご夫婦の話を教えてくれた、
沖縄出身のアメリカ在住ヒーラーさんに感謝。
Photo by virandek, Sonnenstrahl
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