ああされた、こうされた、ひどい……

あのさ。

相手を主体にして人生を生きていたら、

いつまで経っても

『相手に要求する』しかないよ。

 

もっとああしてよ!

違う、こうして欲しいのに!

なぜ、やってくれないの?

 

それ、どんな命令?

あなたは王様で、相手は奴隷ですか?

そんなことない!

私はこうやって『あげてる』!

 

へー。

じゃあそれ、取引なんだ。

愛や思いやりでなく、

あくまで「自分が受け取る」ために、

相手に差し出すだけなんだ。

超・下心つきの取引だね。

 

だってそうしないと、

私は幸せになれないじゃない!

 

うん。

相手を主体にする、

相手に任せて、相手に頼る限り、

相手が自分を幸せにしてくれないと、

結局はダメだよね。

 

で、あなた自身の存在は、

それの、どこにあるの?

 

あなた自身の存在は、

ただの取引材料なの?

あなたはただの売り物レベルな存在なの?

 

自分を中心にしないわりには、

幸せになりたいと言って、

王様みたいに他者へ

取引命令、しまくってるよね?

それ、自分が幸せになるために、

相手を利用しようとしてるんだよね?

 

そんな取引ばっかり望むのであれば、

これからも、取引してくれそうな人、

探せばいいよ。

 

そして一生、

なぜなのよ、

なぜ私を幸せにしてくれないのよ!

って

相手任せの取引をした挙げ句に

相手に自分の良い扱いを要求して相手を批評して文句ばっかり、

つけていけばいいよ。

 

あなたが、

自分で自分を大切にする、

自分で、自分を、幸せにする、

という覚悟も責任も能力も、

何も鍛えないまま、

相手に文句をつける人生を選びたいなら、

それもひとつの生き方だろうと思う。

 

でもね。

これだけは言っておく。

「なぜ私は幸せになれないか」という疑問は、

自分の力を放棄している限り、

答え、見つからないから。

 

あなたが、

自分を自分で大事に扱う、という練習を

本気で先に始めない限り、

誰もあなたのことを、

そこまであなたを主体にして、

大切には扱ってはくれないからね。

やったこと、やり返されるだけ。

 

当たり前だよね。

相手には、いや、相手にだって

自主的に、自分の気持ちや思いを持つ権利が、あるもの。

 

あなたは、自分を捨てているのだから、

やはり自分を捨てている人、

たとえば深い人間関係から逃げたい人や、

相手に要求ばかりする人などにしか、

そういう意味では、構ってはもらえないよ。

 

相手からの「取引ではない自発性」が欲しければ

自分もまた、自身の、取引ではない自発性を知って、

練習していくしかないからさ。

 

自発性の愛や思いやりが欲しいなら、

取引ではない愛や思いやりを、

まず、自分に対して練習して、

それから他者へも、発揮していくしかないのよ。

出したモノが、還ってくるのだから。

他者へ自発的に行って、

還ってくるのを、その相手から、に限定して望むのなら、

それ、自発的なものでなくなって、取引になるんだよ。

 

このことがわからない限り、

あなたはずっと相手に不満を感じ、

ずっと満たされないまま、

ずっと王様のような取引を

奴隷のようなふりをしつつも

(しかも常に、相手に振り回されるというオマケつきで)、

やりたがる人、のままだわ。

 

そこは自分でしか、変えられない。

いつまで、他人に文句をつける練習、続けるの?

いつまで、相手に自分の幸せ、任せるの?

 

2016_02_27

Photo by OpenRoadPR
Pixabay

 

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