イメージとしての、鬱の話

病に達するかどうか、とか、

度合いのことではなくて。

 

鬱々とした気持ちのときに、私がやってるな、と思うこと。

または、鬱の病だったときの、

悪い(と捉えていた)自分を「見つめていたとき」の感覚。

今日はその、たとえ話です。

 

まず、広い野原、みたいなものを

イメージしてみてください。

公園でも、広場でも、原野でもいいよ。

 

タンポポがあって、シロツメクサの群生もところどころにあって、

他にもいろいろ、短い丈の草があったり、

ぽつぽつと樹木があったり。

 

そこをときどき訪れるあなたは、

広場の自然な心地よさを味わったりして、

いつもゆったりと、ときを過ごしています。

 

でね、ある日『たまたま』、

そこにモグラの穴を見つけました。

 

穴の近くに、今のところは

モグラがいそうな気配もありません。

でも、せっかくのシロツメクサの群生の横に、

せっかくの木陰に、盛り上がった土。

ときにはぽっかり、穴が開いています

(ここでモグラの習性として、あえて根がたくさんあるところには

わざわざ穴を開けないだろうとか、そういう類のことは、

気にしないでくださいね。あくまでもイメージです)。

 

ああ、今日はこの木陰を味わおうと思ったのに、

穴が開いてるよ。

そう思ったあなたは、その穴を埋めます。

 

さて、次に訪れてみると。

また、モグラが、穴を開けていました。

再び、景観が乱されたように感じたあなたは、

その穴を埋めに行きます。

 

さあ、こうなってくると?

 

そうです。最初に気がつくまでは、

「気にしたことがなかった」穴を、

あなたは毎回、探すようになります。

 

もともとそんな広い空間があるところに、

モグラが、いきなり湧いて出るわけはないので、

実は今までにも、穴はあったはず。

 

でもそれは、あなたにとって、今まではとくに

「悪いもの」ではなかったのです。

 

ところが、いったん気にし始め、

しかもモグラを『悪者』として認識したら、

あなたは、それに注意を向けることでしょう。

 

そしてダメだ、こんなの、せっかく心地よかったのに、

こんなのダメだ、ダメだ、ダメだ、

と、嫌な気持ちを徐々に積み重ね始めます。

 

ところがどっこい。

相手はもちろん、あなたではありません。

地中を自由に行き来できるモグラなのです。

つまり、あなたの感情や思いとは関係なく、

勝手に好き放題、するのです。

あなたが、ある日から、

モグラを「悪者認定」しただけの話。

モグラには、モグラの生き方があり、

どうしたって、地面に穴を開けるのです。

 

はい。そうです。

あなたがそれ以降、

モグラの穴を『悪』として注目し続ける限り、

不毛な穴埋めとモグラ批判は、そこから一生でも、続きます。

 

今まで、心地よかった広場も、

モグラ批判のため、台無しになります。

そのうち、たとえ穴を埋めても、

地面の土色のマダラ具合にさえ、

あなたはイライラし始めるかもしれません。

 

そうなったらもう、広場の自然な心地よさ、

なんて、消えてしまいますよね。

モグラめ! 腹が立つ、懲らしめてやりたい。

それだけになり得ます。

 

木も、花も、草も、以前と同じようにそこに存在してくれているのに、

同じ心地よさを提供してくれているのに、

モグラを気にして「批判して罵倒」して、

わざわざ嫌な気持ちになるほうを、

あなたが、選ぶのです。

 

モグラが、土を柔らかくしてくれること、

微生物を助け、その心地よい景観を保つことに

協力してくれているとしても。

 

そんなこと、あなたには、もう、関係ないですよね。

アイツは私を気分悪くさせるのだから、

悪いに決まってる! のです。

 

鬱々とした気持ちのとき。

あなたは、モグラの穴『だけ』を見つめています。

わざわざ、悪いことだけに、集中しているのです。

 

ええ、私も以前、まったく同じこと、やってました。

そしてモグラ自体が、この世から消えることがないように、

私の悲しい記憶は、いつ思い返しても、悲しいままです。

 

薄れてはくれます。別の見方をすることで、学びにもなります。

その点で、感謝できるもの、にもなりますが、

悲しい、というカテゴリーが「うれしい」に変わることはありません。

切ない、というふうに、色を少し変えるくらい、かな。

 

苦しい記憶も、やはりまた同じことがあれば、

以前ほどではない場合もあるだろうけれど

やはり、苦しさを感じることは、あり得ます。

 

だからこそ、言います。

あのさ。

それを「悪者」として、それ「だけを見つめる」、をやめない限り、

そりゃずっと、鬱々とした気持ちのままだし、

モグラは悪者のままだし、

あなたは幸せに、なれないわ。

 

自分から『悪いもの』に意識を集中させておいて、

なぜ私は、うれしくなれないのだろう? 

って、やってるの。

 

モグラの穴はこの先も、

10個でも20個でも見つけられるだろうし、

さらにはマダラになった土を見て、

過去のモグラのヒドさも頭の中で加え、

記憶の中の悪さ、まで付け足して、集中して見つめる。

見つめて、罵倒すること、可能なの。

証拠はある! 土はマダラだ! ってね。

 

そりゃ、ずっと、不幸です。

そりゃ、ずっと、鬱々です。

あなたが自分で、自分の見るものを

『変える気を起こさない』限り、

花にも草にも木にも、喜び、感じられません。

 

そこを流れる風、お日さまからの光、

優しい雨、柔らかい緑の香り。

あなたを包んでいる『他のもの』を

あなたが、見ないことを選ぶのです。

 

でね。

過去にさんざん(泣)、やったことのある私だから、尋ねるよ。

あなたは、いつまで、それを選ぶ?

いつまで悪者を消すことだけを、見つめる?

 

すべては、あなたの、選択次第。

あなたがいつまで、また、どこまで自分を苦しくさせるか、

それを、選べます。

 

モグラ自体は、この先も、出るでしょうよ。

あなたが気にする間は、ずっとね。

 

ならばいつ、何をきっかけに、あなたは、

『だけれども、心地よい世界』に、自分の集中を戻す?

いつ、『記憶まで使ってモグラを批判するだけ』の気持ちから、抜け出す?

 

それは、あなたが、決めていいんだよ。

変えるために、先に寝て、食べて、

心の体力、取り戻していいんだよ。

 

この世界ではいつだって、

そうするかどうかを、あなたが、選んでいいのだから。

 

2016_03_26_1

Photo by FraukeFeind
Pixabay

 

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