自分を、この世から消したくなるのは
自分を罵倒することに疲れたから、
状況を自分でコントロールできなくなったから、
この世界の現状に疲れたから、だよね。
でもそれ、自分を罵倒しつつも、自分を守ろうとして
(立場や自分のいる意味、みたいなものをね、守ろうとして)
選びたくなるのかもな、と思えるよ。
少なくとも、私は過去、消えたかったとき、そうだった。
ダメな自分が大嫌いで、でも気持ちの奥底では、最後の手段みたいに、
そうやってどこか守ろうとしてた、自分を。
そこには、実は、自分を大切にしたい気持ちが
ちゃんと隠れていて、
本当は「ふつうにまともに」大切にしたいからこそ!
ダメな自分を「叱り飛ばす」形で
あれこれ、説教を、自分に続けてきたんだと思う。
そこに、ときには、自分をわかってくれない
他者への文句も挟みながら、でも本当は同時に、
相手にちゃんと立ち向かえない(あなたが
想像するところの勝ちを得られない)って部分で、
自分をバリバリに叱ってるんだよね。
うん、それ、心の奥で
自分の最後のプライドを守る、
自分を守るつもりでいる感覚、になっているとは
思うけれど、そう思ってるのになぜか、
それよりも「こんな自分を罰したい」が勝ってしまってて、
自分を究極に痛めつけてやりたくもなってる(罰したい、ね)。
かなり視野の狭い、しかもマゾ的な発想になってるよ。
そんな自分を、見たくない、感じたくないんだよね、もう。
そこまで追いつめたのは、自分自身なんだとわかってるし。
で、そこまで自分を追いつめた理由のひとつってね。
本当に望んではいない「やり方」ばかり採用して、やって、
やることで得られる「結果」ばかりを自分で採点してきたから、だよ。
あるいは偏った考え方の他者の採点だけを
自分が信じてきたから、なんだ。
すでに今まで、やりたくない「やり方」を、
自分から選んでおきながら、
うまくできなければ罵倒してきたの、自分のこと。
だったらさ、そこ、やめてみようよ。
もう自分は、消えてもいいのだよね?
だったらその前に一度くらい、真剣に、
素直に、自分を、まともに、大切にしてみようよ。
「やり方」「結果」の前に、自分の「感じること」を
ちゃんと、つかんであげようよ。
何かを「実行して実現」させるより前に
「自分が何を感じていて 何がうれしくて何が嫌か」を
もっとまともに捉えてあげていいと思えるの。
他人の目を気にして、見栄ばっかり張る前にさ。
それがたぶん、本当の意味での「自分を知る」第一歩だよ。
どうせ消えてもいいのなら、そこをちゃんと一度くらい、
やってみてあげたら? 自分に、さ。
感じることに、素直になる。
素直に、それを表す。
かんしゃくを起こしたり、激泣きまでしなくても、
自分のこと、自身に対して、他者に対して、
楽に表現できるようになるよ。
そしてそれができたらね、これだけは絶対、保証する。
「私の中の世界」が、変わる。
かつ、それがわかり始めてから、さらに自分の感覚を
大切にして、感じ取って、素直に表現(欲ばっかり見つめて、
他者へ不満だけを「ぶちまける」こともなくなるよ、
自分の感覚と気持ちを、本当に感じてあげられたらね)、
できるようになったら?
時間の差はあれ「私の周りの世界」、
つまり現実も、変わり始める。
だから今はまず、今の自分の、本当の叫びを、
最初に逃げずに聴いてあげてください。
カッコつけずに、非難もせずに、聴いてあげて。
消えるのは、そういう「やったことのないチャレンジ」を、
ちゃんと感じてみてあげたあとでも、全然、遅くないよ。
勢いだけで、消える前に、さ。
どうかな?
Photo by condesign
Pixabay