つらくて苦しくてよく眠れなくて昼夜の境がなくなっているなら、
まずはそこを、抜けてみる。
その暗闇を抜けちゃいけない人なんて、
そもそも、この世に生まれてないから。
で、抜け始めたら、ときどき、じわじわ、問いかけ練習開始。
カエル姉さん、相変わらず良い説明、よいカウンセリングだなあ(*^^*)
最後に記事をシェアするので、ここからの話を読んだあとは 、ぜひ
カエル姉さんの記事を読んでね。
このとき、自分も、他者も責めない。
何がどうなっているか、ただその「状態をひも解く」だけだから、
責めないことだけは絶対的なルールにして、
それから、やってみてください。責めても無駄だから、今は。
たとえば、気になることが起こった。
私、もしかして相手から責められている?
そんなふうに思えた。
こんな感じで、何かが自分のなかで引っかかるとき。
それは、とてもステキなチャンス到来です。
自分が「なぜそう思えるのか、その根拠は何か。
本当に責められているとしたら、
あるいは責められていないとしたら、
それぞれの場合、自分はどう感じるか。
さらに、そんなふうに反応した自分自身について、どう感じるか」
を、言葉にする。
非難批判採点なしで、ただ観察して紙に書く。
きちんと紙の上へ、言葉に表して書く。
この作業をすると、記事(およびその先のリンクの人の話も)にあるような、
「私が、こう感じてるな」に、ちゃんと真正面から『出会う』ことになる。
私が、こう感じてる。
なんだ-、こう感じてたのは、私か…。
これだけ。
責めないで、落ち着いて、他人ごとみたいに見つめてみると、
「感じていた自分」を、見つけられるのだ。
まずはここまでを、練習してみてね。
で、この視点に慣れてきた「あと」で、やっと少しずつ、
だったら、私は、
そんなふうに思ってきた私のことを、
どう思いやって(言葉がけして)あげたら、いいのかな。
どんなことを話したら、この私という人、楽になるかな。
これについて、どう捉えたら、心地よくなるかな、
自分が、もっと、割り切れるかな。
そもそも、なんで私はこんなこと、
思いついちゃったんだろう?
みたいな捉え方を練習するのです(*^^*)
この「私はなぜ」って部分を、
他人ごとの視点に慣れないうちにやっても、
難しいかな、と思えるんだよね、私には。
焦ってすぐに、答え、欲しがっちゃうからさ。
あのね、答えがどうこう、じゃないのよ。
そういう、今までやってたパターンの、
結論っぽいもの、まだ出なくていいの。
自分を、冷たい目線で(つまりバカにしながら)見るのでもなく、
罵倒するのでもなく、がっかりするのでもなく。
知らない人に、状況はこれこれ、こうである、
と事務的に説明するかのごとく、やる。
それくらい静かに、自分を眺めるの。
自分の心の、そのまま状態を「見つける」ことって、そういうことなんだな、
と、自分が理解していく、
ただ、そういう自分がいるということを、意識してみる。
ね、練習、必要そうでしょ? これ。
そのあとで、と書いた「どうすれば」よりも、
実は100倍くらい(いやマジで)
なんだぁ-、そうだったかー
の部分のほうが大切。とっても、とっても、大事なのです。
やってみれば、なぜ大事かは、わかる。
というか、やった人しか、実感はできないと思えるよ。
で、下の記事です。
それくらい、冷静に、他人ごとのように、捉え直していく。
その練習をしている人の、一例。
参考になると思うよー。え? そんなこと、思えない? 思えるはずない、って?
そうか、じゃあまだまだ、眠りも栄養も、不足してるね。
そこにずっといて、ずっとそうやって、自分を責めたいときも
あるからさ。それなら、まずそこを、存分に味わってみて。
本当に存分に味わい尽くしてみるとね、
また、身体も気持ちも、変わっていくから。
少なくとも、それを続けてみてもキリがないこと、には、
やがて徐々に、気づいていけるから、それでもいいんだよ、今は。
◎カエル姉さん『◆誰かの言葉に反応する時。』
http://ow.ly/10ee6T
カエル姉さん、感謝です☆
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