たとえばね
かまってほしい とか
さびしい とか
逆に 私のほうが正しいのに とか
そういうのって 大きなくくりで捉えたら
相手にひたすら求めてる ってことだよね
相手に求めることばかり考えて
つまり常に 相対性だけを 気にするのだと
なんとなく 思えてきた
そのとき そこにいる「私」は あくまで相対性の中での自分であって
シンプルに自分と向きあってるわけじゃない
私がいちばんのようでいて
全然 いちばんじゃない……
自分が 自分を満たしてあげる
それは自分に甘い などという話ではなく
自分に対する 責任でもあるのだよ? うん 本当に
それをわざと あるいは気づかずに? 無視してるよね
相手がひどいから とか
自分をダメで嫌いだから
等の言い訳をくっつけてる
本当は そここそ
責任放棄してる場合じゃないのに
私が 私を愛するために
どう「あれば」いいのか
そっちの練習が必要なんだよね
できるできないじゃなくて
そうあるか どうか
寝たきりだって 練習できることだ
他者は関係なく 単純に 自己との関係が
「良い」と感じられるためには
何をどう捉えたらいいのか
そこを 無視するから
あるいは何かを達成しない限り自分を嫌う から
話が ややこしくなる一方なんだ
見たくないものに蓋をかぶせるべく
蓋になりそうだわと 自分で思い込めそうな理由を
どんどん見つけて
自分にくっつけ それだけを元に
他者に 無理だ ダメだ
自分に 無理だ ダメだ
と 相対性の世界だけで やり取りしては
自分との関係を さらにこじらせていく
だから いつまでたっても
他者に自分をなんとか させようとするんだね
自己を無視したうえに こじらせ
そのうち もう
こじらせていることさえ見たくないから
他者との間でだけ 問題点を埋めるため
駆け引きも生まれていく
そうやって 自分自身に嘘をついてでも
自分を認めさせようとしたくなるのだね
なんだか このところ ネットでもリアルでも
いろいろな角度からのいろいろな例を見せていただけて
(あ 好む好まざるに関わらず そんな感じ)
やっと少し つかめてきたのかも
ああ 自分の感覚を 信じずに
無視するときって
ハートでなくて 頭で
脳みそでやってるんだわ
計算して 駆け引きしてるわ って ことをね
いちばん最初に 自分を大切にする
これをなぜ ここまで 無視するのだろうと思ったら
どうやら 怖いから……みたいだ
その怖さの元を ひも解く勇気があれば
「他者が相対的にどうしてこようと」
私は私であっていいと
やがては 柔らかく貫けるのだけれどな……
ガチガチになって激突して闘うのでなく 自然に
それは自信ではなくて
勇気の必要な でもただの 練習 なのだけれど
そこに気づき始めると 強く思われたり
周囲が勝手に 信頼してくれたりも 起こるのだ……
自分としては全然 弱々のままであってもね
うーん 難しいかな
あのね 自分自身に嘘をつかないことから
始めてみれば?
自分にとって心地よいと思えることのほうを
選んでみれば?
そこまでされたら 私には無理だ
受け止められないわ って
きちんと「普通に」伝えてみたら どうかな?
争い……優・劣 正・不正でなく 自分との「違い」を伝えるだけ ね
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