再び、命に関する話を。
ここにも、耐えがたきを耐え、という状態を
学んでおられる方がいたのだな、と。
光市の事件のときと、同じことを感じました。
『目には目を』を選んでいくかどうかは自分の選択であり、
そのほうがよほど、自分の人生に陰りを落とすのだ、と気づいていく、
それは確かに、ある種の強さ、なのかもしれない。
光市のあのお父さんが最後に死刑の是非について、
『私には判断がつかない』とおっしゃっていた姿が
この記事から思い起こされたのです。
でもね、悲しいことに、恨みは、恨みや憎しみしか、生まない。
もちろん、それを知ってもなお、
実践するのは苦しいことだけれど、
飲み込まれる弱さを、自分が選ばない、と決めることはできるのだ。
お子さんのためにそこから脱却されようと
このような宣言をされたこのお父さんにも、
確かに、苦しい中の光、を感じるのです。
相手のためではない、自分のための選択。
それが、光を、感じさせるのだと。
そして、自分が同じ立場に立ったとき、私は何を選ぶだろう?
この強さを、持てるだろうか?
そんなことを、考えさせられます。
以下はまた、先ほど投稿した、自分のTwitterの転載です。
圧縮リンク先のYahoo!ニュース、読んでみてください。
あなたなら、何を、選びますか?
「一生憎しみに支配されて生きることのほうがよほど難しい」
ときに感情的になることはあっても、
それに自身が飲み込まれない生き方……。
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『妻失い…なぜ「テロリスト憎まない」のか?』(日本テレビ系)
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