今日ももう一つ、選ぶのは自分、ということ。

再び、命に関する話を。

 

ここにも、耐えがたきを耐え、という状態を

学んでおられる方がいたのだな、と。

光市の事件のときと、同じことを感じました。

 

『目には目を』を選んでいくかどうかは自分の選択であり、

そのほうがよほど、自分の人生に陰りを落とすのだ、と気づいていく、

それは確かに、ある種の強さ、なのかもしれない。

 

光市のあのお父さんが最後に死刑の是非について、

『私には判断がつかない』とおっしゃっていた姿が

この記事から思い起こされたのです。

 

でもね、悲しいことに、恨みは、恨みや憎しみしか、生まない。

もちろん、それを知ってもなお、

実践するのは苦しいことだけれど、

飲み込まれる弱さを、自分が選ばない、と決めることはできるのだ。

 

お子さんのためにそこから脱却されようと

このような宣言をされたこのお父さんにも、

確かに、苦しい中の光、を感じるのです。

 

相手のためではない、自分のための選択。

それが、光を、感じさせるのだと。

 

そして、自分が同じ立場に立ったとき、私は何を選ぶだろう?

この強さを、持てるだろうか?

そんなことを、考えさせられます。

 

以下はまた、先ほど投稿した、自分のTwitterの転載です。

圧縮リンク先のYahoo!ニュース、読んでみてください。

あなたなら、何を、選びますか?

 

「一生憎しみに支配されて生きることのほうがよほど難しい」
 ときに感情的になることはあっても、
それに自身が飲み込まれない生き方……。 
応援と感謝のシェアです。 
『妻失い…なぜ「テロリスト憎まない」のか?』(日本テレビ系) 
https://ow.ly/iuOI301YsiJ

 

2016_07_06_2

Photo by Pexels
Pixabay

 

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