これからがこれまでを決める……記事紹介

何が起ころうとも、

先に、その意味や答えを見出す必要はない。

後から、わかることは、たくさんある。

 

焦ると、自分の小さい脳みその中でしか

答えを探せない。

偶然という新しい学びの機会を、

わざわざ自分から、

すべて捨ててしまうことにもなるんだよ。

 

すぐには難しいと、わかっているけれど、

実際のところ、スタート地点は単純なの。

自分の『捉え方』が始まりで、実はすべてに通じていく。

 

だから、焦らないでね。

暗い気持ちの方へ、この記事を贈ります。

 

“これまで”が“これから”を決めるのではなく、
“これから”が“これまで”を決める。
理論物理学者・佐治晴夫さんインタビュー
http://greenz.jp/2014/03/13/haruosaji/

 

今日は短くてごめんなさいね。

 

2016_06_03

Photo by Vincentiu Solomon
Unsplash

 

すがることも威圧することも

すがりたい。

または、腹が立つから相手を威圧してやりたい。

 

それってどちらも

『相手を自分に都合のよいようにコントロールしたい』

っていう欲望満載のつたない駆け引き、

つまりはあなたと取引しますという、相手への宣言なのだよね。

 

そういう人は『誰かに価値を認めてもらいたい寂しさ』を

自分が抱えていることに、必ず気づいているはず。

 

でもその寂しさって、あなたが自分を見捨てているから起こるの。

他人を使って自分を何とかしようとしてるの。

とても残念だよね、そのやり方。

相手とうまくいかなくなるの、当たり前なのよ。

 

恋愛関係で、友情関係で、親子関係で。

何か、すがりたい自分を、感じているでしょう?

あるいは逆に、

思い通りにならないと、どこかいつも気に入らない、

って感じてしまう自分を、知っているでしょう?

 

だったら、自分で埋められるその『寂しさ』を、

なぜ、どうやって埋められるのか、知ることが先なのよ。

 

それを無視してしまうのなら、また同じこと、起こるよ。

誰かの意見を参考にしようがしまいが、どっちだって一緒。

どんなルートを辿ろうとも、

 

誰かにすがりたい

誰かに自分の望み通りに変化してほしい

(言うことを聞いてよ! って相手に怒鳴ったりするってことね)

 

その時点ですでに、うまくいかなくなる要素が

めちゃくちゃたくさんある、ってこと。

 

まあ、押す・引く、いずれかの、そんな一方的な力技で

常にゴリゴリ、他人と駆け引きばっかり

やりたい方もいるのだろうけれど、

どっちをやっても、常に他者を見張らなくちゃいけなくて、

しかも大小さまざまな不満いっぱいで、苦しい人生だよね……。

 

他者をコントロールしたがるより、

他者とのそんな取引を上手にできるようになりたい、と願うより、

やり直すなら、自分をどう捉えていくか、

そっちのものの見方をやり直したほうがいいと思えるよ。

 

正確に言えば直すのではなく、

知らなかったものの見方を得て、

それを自分に許可していく、ってことになるのだけれど。

 

無理なく許可できる練習方法、普通に、

あちこちに、存在してくれているよ。

そういう目で、まわりを見渡してごらんよ。

 

こんな私

または

あんな奴

が、今、あなたの環境や心の中に

存在しているなら、

そのまさに『今』が、自分を見直す機会だよ、

というサインなのだから。

 

あらゆる流れを自分の欲望でぶった切るクセ、

それゆえに、もめごとにつなげてしまうクセ、

そろそろ卒業してもいいんじゃない?

 

人は支え合うために存在するのであって、

ぶら下がって自分だけが好きに生きるために

その相手、存在しているのではないってことです

(あ、稼ぐ稼がない、とかの話ではないよ、

そもそも精神的な対等さや相手への尊重という世界に、

そんな力関係自体、意味がないしね)。

 

何とか寂しさを埋めてほしい、と願う方へ。

なぜ自分が、自身をそんなところへ押し込み続けるのか、を

解きほぐす勇気、持ってくださいね。

幸せに「なりたい」なら、なおさら、だよ。

自分を見捨てる時間が長いほど、

あなたが言うところの『幸せ』も遠のくことに、気づいてください。

 

『自分見捨て』も結局、マイナス方向ってだけで

自己中心的であることには変わりないのです。

 

実際のところ、この先もずっと『自己中』って呼ばれていく人生、イヤだよね?(^^;)

 

2016_06_02

Photo by ratucette
Pixabay

 

私にとっては( ̄□ ̄;)!! だった質問

とある方との会話。

まったく悪気なく、悪意もなく、素朴な疑問として尋ねられた。

 

「そんなさ、暗い人にばかり延々話しかけて、

わざわざ知らない人の超苦しそうな話を聞いて

(あ、見春屋でのご相談内容を他言したわけではありません。

私が今まで、お話を受けてきたものについては

お客様の体験談とか、わざと書いていなくて。

それは重たくて深いご経験ゆえのご相談と気づき、

その結果、の話だから、

今のところ、いただけたご感想を

私自身が、記事という形にする気がとくにない……

みたいなことを言葉にしただけ)。

それ、面倒くさくはないの?」

 

オウッ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ !!

周囲には、私のやっていることって、そう見えるの?

その質問自体が自分にとっては斬新で、驚いた。

 

いや、あの、これ、私がやりたいと思ったからやってて、

私にとってはそもそも、面倒くさいとかいう種類のものではなくて。

 

少なくとも読まれた方のなかで

「何らかの策が『私にも』あるかもしれないから

自分で死を選ぶのは、まだもうちょっと先にしようかな」

と思ってくださった方、

それをわざわざご丁寧に伝えてくださった方もいて。

この活動って、私にとって『生かされた』ことへの恩返しでもあって、

なのにそう言っていただけたのが本当にありがたくて、ゴニョゴニョゴニョ。

 

はい、うまく言葉にはできませんでした、

自分の「話しかけたい」衝動について。

 

理屈じゃなかったんだもの。

苦しい方への話しかけ、自分でまずやってみたら? 

という示唆をいただけて、

それもそうか、と感じた、あのときの「感覚」。

 

自分が生かされたのだから、という「感覚」、

私にも何か、少しは協力できることがあるのかも、と思った「感覚」。

 

アタマでは整理しなかったし、整理する必要もなくて。

衝動、というか、深いところから湧いてきた「感覚」だったので、

あとは勇気を出して、それに従ってみることにしただけだった。

 

そして、

『自死を考える人に勝手に話しかけるブログ』ということを決めたら、

ブログのタイトルは速攻でこんなの(笑)ヒラめくわ、

ペンネームは宇宙にお願いしてみたら1週間後に降りてくるわ……。

ええ、マジ、夢の中で、漢字付きで登場したのですよ、あるお昼寝タイムに。

『きのもとみはる』ですっ! って夢の中で自分が(なぜか)叫んだ瞬間、

『木元見春』という漢字が思い浮かんで、

直後に目が覚めたという、怪しさ大爆発状態……。

 

で、もうなんだか、本当に逃げようがなくなりました、くらいの

気持ちで、文章書きが始まった。

 

そうか、これが面倒くさいとかいうふうになる人もいるわね、当然。

わざわざ、関わる必要がないと感じる人もいるであろう。

 

えーと、そういう意味では、好きでやってます。

義務感ではありません、やりたくてやってます。

 

その方には、とくに突っ込まれもせず、そこで話は終わったけれど、

「変なヤツ」と思う人もいるのかもしれない。

身内には近いこと(笑)言われたな、変わってる、と(^^;)

 

うん、だったらそういう意味では変人? 

そうかもしれない。

でもこの、

私の深いところからの衝動を指して「変人」と呼ばれるのであれば、

私にとってその「変人」は、とてもステキな称号です、ありがとう(笑)

 

……というふうに、感じている私がいます、ブログも「見春屋」も。

 

以上、たわいもない話のご拝読、ありがとうございましたm(_ _)m☆

 

2016_05_30

Illustration by PeteLinforth
Pixabay