何か誰か「だけ」が自分の幸せ?

たとえば 人間関係

彼氏と別れたら 彼女にフラれたら

大好きな友だちとケンカしたら

 

そのたびに

私は幸せになど なれない

 

そう思ってるのかな

 

ダメになったら いつも

彼氏や彼女や友だちとの

仲良しだったころの思い出ばかり追いかけて

今 それがないことを嘆くのかな

 

それってさ どれだけ 他人任せで

自分の幸せ獲得 狙ってるんだろうね

 

そんなふうに 何かあるたびに

過去と今を比較して 

それを いったい 何回繰り返せば

 

これ 何か おかしい

何か 苦しすぎる

いつまでたっても 満足できない

 

って 思い始めるんだろうね

 

『外側からもらって幸せになる』のは

一つのやり方ではあるけれど

それしかない と信じていることが

あなたを延々 

不幸にする原因なのだということを

なぜ あなたは 知りたくないのだろうね

 

これを 仕事に当てはめれば 外側からの賞賛だし

お金に当てはめれば 貯蓄額だ

あるいは豪邸? 優雅な世界旅行?

海外の プール付き別荘も欲しいかな?

親のほめ言葉? 自慢? 名誉? 地位?

 

要するに 優位になりたいと

外側のものを 自分の思い通りにしたいと

願ってるだけなんだと 気づいてる?

 

しかも自分のこと そんな比較ゲームにしか 使わないんだね

恋人や家族や 仲間からの愛も 他と比べ私に対しては どうなのか?

あなたにとっては そんなただの比較対象なんだね

 

ねえ あなたは

自分の内側の『気持ち』を満たすために 

それらを求めているのだよね?

そしてあなたの「幸せ」という感覚は

あなたの「内側」に 存在しているよね?

 

だったら自分の「内側」を満たしてあげるための

別の方法があるかもしれないことは

なぜ 気づきたくないのかな?

 

なぜ 外側からのものだけ

自分が「幸せを感じよう」とするのか 疑問に思わないのかな?

 

あなたの場合は

あなたの心まで

あなたの外側にあるの?

そんな人には 私 出会ったことないけれど

あなたの心は 外側にあるの?

 

そこに 今の自分が

見落としているものが あるよ

 

外側から満たされたいというゲームは

外側の何かに 必ず頼るから

外側の何かがなくなれば

そりゃ空っぽだよ 絶望しかなくなるよね

 

失ったらその瞬間から

「私は何も持っていない」

としか 思えなくなるのも当たり前でしょう?

 

あなたには 絶対 手放さないでいられる

あなた自身 という存在があるのに

あなたは 自分を無視して 外しか見ない

 

そんな欲求だけしか 自分が扱わないのなら

あなたの幸せは いつまで経っても外側次第で

いつまで経っても あなたにとっては

「得るもの争い」の 比較ゲームにしかならないよ

 

ずっと ちょうだい ちょうだい

私に もっと 幸せちょうだいよ!!

ってうまく言い張れるかどうかのゲームだよ

 

得られなくなれば 心も傷むはずだわ そりゃね

そこまで自分の存在 無視しておきながら

なのに「自分の内側」の幸せ埋めゲーム してるんだよ?

自分のことを見捨て バカにして

無視しているのに 自分を満たしたいってなっているのよ?

 

あなたの内側を

あなたがわざわざ ずっと 空っぽにさせ続けているんだよ?

 

あなたにとっては 愛はゲームなんだね

よくそれで 他人から

愛だの 尊敬だの 賞賛だの 思いやりだのを もらおうとできるね

あなたは 自分のためにしか

それを相手に渡さないというのに

そんな取引しか していないのに

 

取引しか できないから

相手だって やがて疲れるんだよ

それ 本当の意味での

愛でも 思いやりでもないもの

あなたの都合に合わせて

私を幸せにするために 取引しなさいよ! 

という 命令や懇願ばかり 繰り返しているのだもの

 

自分が なぜそこまで 自分を無視して

バカにして 嫌っているのか

その「本当の」理由を 知ろうとしない限り

あなたは 毎日 あらゆるゲームに挑み

いつも取引にだけ注目して

そのたびに 相手に翻弄されて

(そうなるともう 相手の選択の自由さえ 非難の対象になるよね)

結局 最後はいつも 疲れるばかりだよ……

 

自分の内側を満たすために

自分の内側の気持ちを知る

 

その勇気と覚悟を

いつか 持っていただけますように

 

あなたが

あなたの愛を 取引せずに 渡せるように……

 

そのときの「満たされた気持ち」は

自分の内側から湧いて出たものだから

あなたから 消えていかないよ

 

幸せを 自分で 生み出せるうえに

今のあなたが求めてやまない外側からも 

『勝手に』贈り物として

届くようになるんだよ……?

 

だから 順番が逆だと 言っているの

あなたが 自分を見つめ直してみるほうが先なの

取引自体が『自分の幸せ』に必須ではないことを

知っていく練習が 重要なのよ……

外側から 受け取るより前に ね

 

他者からヒントは もらいながら

あなたが自分で 答えに気づくことができないと無理なの

他人から 

あなたの内側の問題に対する完璧な答えなんて

そもそも もらえないのだよ?

そこまで 他人任せにするつもりなの?

そこまで 他人に自分を 渡してしまうつもりなの?

苦しい気持ちも 幸せな気持ちも 自分の内側にあるんだよ……

あなたにしか それは つかめないんだよ

 

だから私は 勝手にもう一度 祈るよ

 

あなたが 自分の内側を見つめ直してみる

勇気と覚悟を

いつか 持っていただけますように

 

あなたの内側の「おびえ」という鍵の 本気の開錠

その助力を 他者のサポートを

自分のために 求めていけますように

手伝ってくれる人は 必ずいるからさ

 

 

2016_01_10_1

Photo by pixelcreatures
Pixabay

 

シンプルに『自分のため』に

昨日の続きでもう2つ、話をシェアします。

今日は自分の言葉も書くので長いよ(笑)

お許しを。

 

まず、1つめ。自己価値について。

あなたには価値がない、ということが真実なのではなく、

「私には価値がない」と

自分で思い込んでいる、

それが今のあなたの実状(視野)である

ということなんだよ。

 

そう思い込んでいるから、

目の前の出来事を

そういうふうに解釈する。

 

あえて悪いほうに受け取ることもあれば

(しかも、ときには自分で気づけずにそれをやってることもある)、

悪い出来事を自分のせいにすることもあるし、

さらにはそもそもヒドイことをこちらに言う人って

その人自身の問題をあなたにぶつけているだけ、などということが、

落ち着いて判断できなくなっている。

 

自分と他人を見張りまくって、常に採点しているのだ。

 

で、私は「価値のない人なんて

この世にいないよ」という感覚を、

鬱を経て感じられるようになっているけれど、

こう書くと、ならば悪徳商人みたいな人はどうなのよ!

みたいなツッコミを入れたくなる気持ちもわかる(笑)

 

あのさ、

「自分の価値を見失っている人」

なら、もちろんいるよ。

それによって、自分さえよければ、に陥っている人ね。

 

それって、自分の価値を自分で見失ったまま、

他のモノで埋め合わせしようとして

『本気でみずから、自分の価値を下げるようなやり方に

喜びを見出しているつもり』なだけでしょう。

 

それにそういう人って、他の部分で、必ずうまくいってない。

他者を犠牲にして、自分さえよければ、と割り切る、

そんな腹黒いやり方をして、本気で心から安堵して喜べている、

安泰で静謐で平穏で満ち足り、何の不安も心配もない人、なんて、

私、書籍でさえ、出会えたことない。

そんな人がもし、いるなら、マジで教えてほしいよ。

そういう人は、ほぼ必ず人間関係で苦しんでるよ。当たり前だけれど。

 

そういう嫌な面を一切無視して、

私は、あるいはあの人は、すごくうまくいってる! などと

捉えられる人も、そうそういないと思うけれど、どうなんだろうね。

 

ゆがみを自分で作ったら、そりゃゆがみ続ける。

本人がわざとそれを、選んでいるのだもの。

 

たとえばさ、

他人を非難することを生きがいにして、怒りなどをきっかけに、

自分の正統性を主張してやっと安心する。

それもまた「他人と闘うことでしか自分の価値を認められない」という

自己否定の変形版でしょう?

 

他人を常に見張って採点して批判しないと! というその瞬間には、

ちっとも、その人、安心できてないよね。

しかもその瞬間は自分のこと、大切にできていない。

 

他者を使うのでなく、自分に対して、向き合う。

そのゆがみのようなものに本人が、自力で向き合うことでしか、

本当の意味での解放は起こらないんだと、私には思えるのだ。

 

その「向き合う」というやり方のひとつとして、いったんは、

自分の価値が!

云々の『今までの規制枠』から離れる、

離れてから、枠の中身を見つめ直してみる、

という視点が必要なのだと。

 

長々と解説を入れちゃったけれど、

最初に紹介するこの記事で、価値とか自信、のことを

扱い注意、と言っておられるのは

「離れて遠目に見る視点を持ってみないと、枠の中にいるままでは難しいよ」

という話なんだと、私は解釈している次第。

 

記事にある、アダルトチルドレン(AC)っていう「くくり」もさ。

『右へならえ』から始まった、よい大学、よい会社、よい暮らし、

女性ならそこに専業主婦、なんてラインも加わって、

= それがいちばん素晴らしい!

という洗脳が1950年代の後半にはもう、あったわけで。

その意味ではみんな、多かれ少なかれ、ACの傾向、持ってると思えるよ。

勝ち組、負け組なども、バブル崩壊を経たあとの発展系だよね。

だからACにも、そんなに囚われなくてもよいのだと。

そういう傾向も自分の内側にあるのね、ならば私はどうする?

という捉え方のひとつ、くらいに考えたほうが、

結局は楽になりやすいのだろうと思えます。

 

まあ、こうした事柄を踏まえつつだけれど、

それでもこの記事は、よくまとまっていて訴える力もあって、秀逸だと思えるよ。

そもそもこの方、いい意味で不思議な男性だ、と個人的には感じてる(*^^*)

 

◎【母の呪いから解放する】心身調律セラピスト岡田哲也
『「あなたには価値がある!』と煽るセミナーは形を変えた母の呪い。』
http://ow.ly/WOmT1

 

さて、次、2つめ。これは短くいこう。

 

とても貴重なあなただからこそ(昨日、紹介した記事にも

このことについて引用文での説明、あったよね)、

嫌なことを嫌なまま、

何度も思い出しまくって、

自分を傷つけ続けるのはもったいない。

 

自分のために、それを活かして別の形に昇華していったり、

『これ以上は関わらないことを、私が、私のために選択する』ほうを、

選んでいいのだと思える。

 

壮大な夢を語って、まわりから馬鹿にされてきた経験を持つ、

植松努さんのFacebookでの言葉。

途中までしか表示されない場合は、「その他」や「もっと見る」、

または下部の日付を押せば、

ログインしなくても続きが読めるかと。

柔らかくて素晴らしい。こういう感覚、好き。

いろいろなところから、あなたに必要なものをつかんで、

この連休中もどうぞご自愛くださいまし(*´∀`*)ノピンク薔薇

 

2016_01_08

photo by Andrewkim
Pixabay

 

比較しないで、あきらめないで

2016年の最初のブログですが、

今はちょいと、また私、

自分を大切にしてみる(感じてみる、

それをやってみる、

逆に、今はやらなくていいや、と感じたら

やらないことのほうも、ちゃんと選択する)

という練習期間のようです。

 

もちろん私も、自分については

日々、メンテナンスして、

日々、やりたい練習、積むわけですよ。

 

ということで今日は、この記事を紹介します。

少し長いけれど、ステキな文章を、

きちんと引用してくれています。

 

比較しなくていいよ、自分と他人を。

その意味が少しでも、届きますように。

ほんの少しだけでも、呼吸が楽になれたら幸いです。

新年のこのひととき、

そうした感覚のものが何かよい形で、

読んでくださる方へ届きますよう、

心から祈ります。

 

◎高橋ナナさん
「これを読んで今すぐ裕福になってください。」
http://ow.ly/WK8LN

 

2016_01_07

Photo by Greg Rakozy
Unsplash