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暗闇があるから、星を見られる

あなたが星を見られるのは、あなたの周りに夜の暗闇があるからこそ。

 

先日、紹介した本(『世界最強の商人』という文庫)に載っていた話だ。

それはまさに、当然のこと、だよね。

 

そして本当はね。

あなたの今の暗闇にも、

すでに光は届いているんだよ。

あなたが空を見上げる気持ちを起こしたとき、

または、すぐにあきらめてしまわなければ、

きっと必ず、光を見つけられるようになっている。

雨や曇りの空は、一生は続かない。

なぜなら、雲は動くから。

 

あなた自身が、うつむくこと「だけ」を

選択しない限り、

光には、巡り会えるんだよ。

 

しかも、暗闇が深いほど、見える光の数は増える。

象徴の話ではなく、本当にそういうふうに、できているのだ。

そして自分のためにいつだって、理由なく

「見上げてみる」気持ちのほうを、

選択してあげていいのだ……。

 

そのことに気づく日が、

あなたに来ることを心から祈ります。

 

2015_01_21

Photo by Pixabay

 

自分の価値を、何をもとにして、自分に設定するか

2015_01_18

Photo by BEIZ Graphic

この樹は、ひとつだけ離れているから、台風や落雷に弱そうで

長生きはできなさそうに見えて不安定でしょうか?

広々としたところに根付き、太陽の光をいっぱい浴びられるから、

他の樹よりも将来、スクスク育ちそうだな、と思いますか?

 

答えは、決まっていません。

台風をいつ全身に受けるかも、そもそも受けるかも、決まっていません。

もっと成長の速い樹がそばに根付いて、今のように

太陽の光を浴びられなくなるかもしれませんし、そうでないかもしれません。

そこには「正解」、つまり「正しい判断」など存在しておらず、

ただ、あなたが今、そういうふうに受け止めているわけです。

 

はい。同じように自分の存在の意味や価値を、

あるいは今の自分の状態、状況を、

どう捉え、そこから何をどう選んで

どういうふうに自分に設定してあげるかは

あなたの自由なので、

決して、強制はしません。

 

でももし、自分の視野、捉え方が今、偏っていて、

そのために『なぜ?』と自身で苦しんでいるのに、

その偏りには気づいていない方がいるならば……。

こういう捉え方もあるよ、という一例として、

動画をアップします。

Facebookで友達に教えてもらいました。

 

闘うことのほうを勧めているわけでもありません。

放っておく、あるいは忘れ去ってもいいのです。

そんなふうに今の状況を、自分がどう「捉え」、

どう「扱うか」という面で、

参考になれば幸いだと。

 

本当に、自分で、選んでいいのです。

つまり別の言い方をすれば、

あなたが、選んでいるのです。

今の自分、の意味を。

それは変えてもいいのです、あなたが。

理由や条件云々でなく、

ただ、あなたのために。

 

そのために必要な『勇気』について、

学べる動画なのかもと、思えます。

世界に3人しかいない難病とともに、生きている女性の『捉え方』です。

 

右上の設定の歯車マーク(または縦3つの点マーク)から、

「字幕」を選んで「日本語」を選択すると、

分かりやすい日本語字幕が表示されます。

ガラケーを使っておられる方は、

動画を見られる環境を探してご覧くださいね。

How do you define yourself?
Lizzie Velasquez
http://youtu.be/QzPbY9ufnQY

 

弱さを 受け容れてみることで……

弱い自分がいることは

周囲に甘えることになる

周囲に迷惑をかける自分になる

 

あるいは他者と自分を比較し

周囲から バカにされることとなる

 

そう受け止めることがあるのもわかる

私も過去 そう思っていたし

他の捉え方は見ていなかった

というか 見ようともしていなかった

 

だってそれ 如実に『悪いこと』だったから

 

でね ボロボロになってから 気づいた

自分の弱さをいったん 受け容れてみることは

ダメ人間になることではなく

自分が痛んでいるときに

自分に優しくなれる ひとつの方法であり

さらには 他者の弱さを

『変化の途中』と捉えることもできて

「なぜなのよ!?」

「どうしてあなたは!!」

などの責め 非難の気持ちが減る……

場合によってはしなくなる

そんなことにもつながる視点だった

 

もしかしたら内側で傷ついている人を そうと気づけず

表面の言動だけ見て 自分の心の中で叩きのめしてしまう

あるいは自分の意見に 都合に 合わないからといって

バカにしてしまう

そういう事態は 減ってきたのだ 実際に

(ここで言ってる バカにする という意味は

相手を あざ笑うことでなく 評価して

分からず屋 等の レッテルを貼ることだよ

そういう人だと決めつけて そこでもう 終わらせていた ということ)

 

受け容れることで 初めて

私がそういう決定を 他人に下していたな と 見えた のだ

 

人というのは 思っていたより 複雑で

一見 イヤに見える部分があっても

本質的には そういう人でないことも多いのに

私が勝手に 一部分だけ見て

レッテルを ラベルを貼って

「○○な人」ですね はい 以上 分類おしまい

次からは そのラベルを『見てから』

そのあとで 目の前の相手を見るよ

って やってた

 

なので最初から 構えて 防御して 接したりさ……

 

しかもそれを 他者に対してだけなく 自分にもやってた

自分に対してまずは よいラベルを貼ろうとし

でも悪いラベルも 結局は貼ることになり

ラベルの枚数はどんどんいろいろ 増えていって

それを総合評価 

はい いい人か 悪い人か どちらか

立派か ダメか どちらか

ね なんだよ それ 私 裁判官? だよね

 

弱さを知る ということは

自分にも 他者にも あらかじめ 弱さは 含まれていて

そんなラベル レッテル自体が

そもそも必要ない と 知ることだった

 

内包されているから ときには 現れる

現れるからって その人が即 ダメなわけではない

もちろんその人にも 強い面 いい面はあって

たまたま私には タイミングなのか 相性ゆえか

今のところ 見えないだけなのだ

と 感じるように なった

 

他者への目線が そうなると

自分に対しても 少しずつ視点が変わってきて

うん そりゃ 弱みもあるよな と思え

弱いときには「今はたまたま そういうこと」

強いときにも「今はたまたま そういうこと」

と 右往左往 しないでいられる練習にもなった

表面の勘違い みたいなものが減ることで

自分を 他人を 責めなくてもすむように

少しずつ なれているように思える

 

当然 どの面が弱いかは 人によって違うし

たまたま私の感覚とは 合わない人もいるよな って

それは 仕方ないから 距離を少し置こう って できて

自分の弱さも 相手の弱さも また変化していくから

もしかしたらまたいつか そういう距離も 必要なくなるかも知れないし とか

そういう感じの ゆとり のようなものが

自分の中に 生まれたのだ

 

で そうなってから 気づいた

これって 別の角度から見たら ある意味さ

強くなったとも 言えるんじゃない? と

 

自分の内包している 弱さを 受け容れていることで

私は 自分が今までまったく知らなかった種類の強さを

手にしたんじゃないかな?

少なくとも 動揺 は 減ったもの

 

まあね 対象となる相手によっては

まだまだ ぶれて 揺らされるけど(^◇^;)

 

うん だからさ たぶん 弱くても いいのよ

問題の解決策を探し回って 行動せねばって

迷って右往左往して 何とかすることだけが

自分を楽にするのではなくて

起こった出来事に対して どうする云々 以前に

自分の『あり方』を 変えてみるのも

それなりに いいことなんだな って

 

解決に向けて すぐには動き出せなくても

どうしていいか 今はまだわからなくても

今この瞬間に いったん 目の前にある 

自分の 他者の 弱さを

『当たり前のこと』として まず受け容れてみるのは

決して悪いことばかりではないと 今の私には 思えるわけさ……

 

2015_01_17

Photo by 季節の写真-淀屋橋心理療法センター