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慈しみを受けている

あなたは自分の身体を

自分のものとして扱っている

でもそのどれひとつとして

あなたが創意工夫して生み出した細胞は存在しない

細胞一つひとつは 生きている

何のために?

あなたを 支えるために である

あなたは何も 持っていないと言う

あなたは何も うまくいかないと言う

あなたは何も与えてもらえないと言う

あなたは何も 得られないと言う

いいえ

あなたはこの世に生まれて以来

六十兆個の命から 支えてもらえている

生まれてからこのかた

たくさんの恩恵を

その身体でまず すでに

受け取ってきたのだ

髪は爪は あなたの意志で伸ばせない

新陳代謝

一つひとつの細胞が

次の世代へ同じ意図を授けつつ

あなたを支える意図を受け継ぎつつ

毎日生まれ変わっていく

それは恵みであり

それは慈しみである

そうでなければなぜ そんな仕組みになるだろう?

病は そのバランスが たまたま少し 変わっているという事象なのだ

あなたはすでに たくさんの慈しみを

ずっとずっと

この身に 一身に受けているのだ

なので少しずつでいいです

たとえば 今まで受け取った

慈しみを 恩返ししてみてください

あなた自身の身体に 心に

そして そのあと 周囲のものに

自然 社会 人

すべて あなたを支える一環を 担っているもの

慈しむ心は

ときには慈悲という形で

ときには慈愛という形で

あらわすことができるでしょう

あなたの手のひらに 腰に 膝に

あなたの心臓に 脳に 肝臓に

目の前の レタスの葉一枚に

今日の水の流れに

太陽の光に 星と宇宙に

すでにもう慈しみを受けてきていることを感じ

お返しとして

それらをまた 慈しんであげてください

または 自分のそばにいる

共同 あるいは協働する人へ

他へも広げて返すつもりで

慈しみの心を

ただ 念じてみてください

何も変わらなくても

あなたの心の中に

温かいものが広がれば それでいいのです

慈しむことのできる

対象があること

それがそこにあることを

さらに感謝できれば

慈しみを受け それを返し また受け取れる

美しい循環が 生まれるでしょう

そして 自分の苦悩ばかりを見つめる時間も

少しは 減らせるでしょう

あなたは 一人きりではなく

毎日 毎瞬

あらゆる慈しみを受けていて

だから呼吸をしながら

身体を保ちながら ここにいて

ここにいるからこそ また

慈しみの心を

返すことが可能なのです

返せばまた 還ってきます

ありがたいことに

それはすでに もう あなたがもれなく

受け取っているからこそのこと

今 悲しみや苦しみと ともに あること

悲しみは 苦しみは 人にもれなくやってきます

生まれてから 死ぬまでに

一度もやってこない人はいません

断言しても いいです

必ず やってきます

どんなに恵まれた環境であっても

親しい人の 死 があるから

必ず 苦しみは悲しみは ある

では それを受け入れましょう

つらいですが それを認めていけるよう

自分を ゆるしていきましょう

そう簡単には ゆるせないことも あるかもしれません

そんな苦しみも ときに起こるでしょうけれど

ただし そこに いつづける必要はありません

その人なりのペースで

新たにまた 喜びや楽しみを 見つけてもいいのです

鬱の脳の人はとくに ですが

そこにしか この先もずっと

「自分の居場所はないんだ」

と思い込むことが多いです

絶対に 脱出できない と

自分で 自分を確定させる

そして本当に そのまま そこにいることを

選択しようとします

つまり 自分イジメ です

あなたが閉じこもった箱は

実は頭の上に 封はされておらず

押せば普通に 開きます

でも あなたが 自分の空想で

頭の上に きつく封をします

もう一度 言います

実際には その箱は 封印されていません

あなたが 自分で 封をされたのだと

思いこむことを 選びます

なぜなら 自分をダメ人間だと

決めつけるから

その箱から 出てはいけないと

自分に いろんな理由を見つけて

言い聞かせるからです

外に出て傷つくのが怖い

どうせ私は つまらない人間だから

どうせ私は 幸せにはなれないから

だって こんな私を

誰が受けいれてくれるの と

それが 暗い回線しかつながらない今の頭が引き起こす

思考の罠です

ところが あなたにはもうひとつ

感じるところがあります

それは 心です

ハート といったほうが イメージは伝わりやすいでしょうか

愛を感じ 愛を受け止め 広げる場所です

このハートは 愛のために働きます

あなたには すでにハートが備わっています

それゆえに 頭で考えて出したはずの結論 に

大丈夫だよ 閉じこもっていなくていいよ

愛していいよ とささやきます

あなたは 本当の奥深くの部分では

自分を また他者を 愛してもいいことを知っているため

そのハートの響きはどうしても

あなたに届きます

そして 頭で考えたはずの

もう二度と自分は暗い箱から出られないと

決めたはずの 思考との 矛盾を 感じるのです

それゆえに

あなたは さらに毎日 もっと苦しくなります

おかしい 私は外に出るのをあきらめたはずなのに

希望は 捨てたはずなのに

どうして 愛をやりとりしながら幸せそうな他者を

うらやましく思ったり

できればそうなりたいと どこかでまだ

願ったりするのだろう?

私は 意志が弱いのではないだろうか?

自分は 出られないと決めたはずなのに

なぜ どこか あれはいいな と

本当は できることなら 箱から出たいかもと ふと 思うのだ?

この感情は矛盾 ですよね まさに

頭と 心の 不一致です

あのね 本当は 出てもいいのです

本当は 世界一ダメな人間でも

自分をゆるし

自分を好きになってあげて

いいのです

自分への愛を ゆるしてあげて いいのです

頭で考えた結論は また変わるのです

あなたのもつ 奥深くの心

そのハートの本質は

愛 だからです

ときに利己的で ときに偽善的で

ときに 人に優しく

ときに 自分に優しい

それで いいのです 本当は

この先 毎日 わざわざ 頭で考えて

あえて封印を 選ぶことも 確かに可能です

あきらめると決めるんだ

ダメだと決めるんだ

もう二度と受け取れないと 決めるんだ

そのほうが 私には ふさわしい

そのほうが だって 傷つかないから

どうせ自分は ダメだから

うらやましい なんて思っちゃ

ダメだ ダメだ ダメだ

こうして毎日 改めて自分に命令し 言い聞かせれば

さらに 延々 苦しくて つらい日々を過ごせます

そして 生すら あきらめたくなる方向へ

わざわざ 自分を 連れて行くことも 可能になっていくでしょう

あなたが それを 選びつづければ

選ばなくてはいけない理由を

毎日 頭で考えて決意し直していけば

これから先もずっと 閉じこもって過ごせるでしょう

毎日 改める必要があるため 大変ですが

失望だけに注目し

傷つけられた証拠集めを繰り返して

その記憶だけ理屈として 取り出しつづければ

たぶん 大丈夫だと思いますよ

心の奥深くの 本質である 愛を選ぶか

毎日 頭で考えて 苦しくつらいままでいるための理屈を選ぶかは

あなたの選択しだいです

もし 理屈を 選びたくないなら

それはやめたいな と思えるなら

心地よさ を探してください

そしてまず 自分を ゆるめてあげて

そのときに感じる ホッとする感覚を

十分 味わってください

可能な限り いくらでも

やがて 頭で考える理由も理屈も

封は されていないのかも に変わるでしょう

あなたが そうしたければ の話です

それは 心をもつ人間として 普通に

ゆるされている「状況」ですので

そうあることは 自然のことなので

そこはどうぞ 安心してくださいね

そして 自分を満たしていくことで

やがて 他者にも 愛を届けられるようになるので

そのとき いろいろ 復帰してください

今度は うれしさや 幸せや 楽しさを

自分から どんどん選択していく形で

世界へと 還っていって ください

あなたには その力は 当たり前のものとして

もう備わっていますし

そこへ行く力も あなたのなかに

すでに 潜んでいます

心が ハートが すでにあるから 大丈夫なのです

もう一度 断言します あなたには 心が すでにあるから

そちらを選んでも 本当に 大丈夫なのです

苦しみは100%悪、か ~後編~

他者は、あなたをサポートはできるけれど、

あなたの代わりに価値判断することはできない。

それをすると、その人がいてくれないと何も決められず、

何も選べず、何もできなくなることを、普通なら、

どちらの立場であっても、感じ取れるから。

そして、この「サポート」こそ、お互いの心に温かいものを生み出し、

サポートだからこそ、よい状態で支え合える。

苦しみを超えると「思える」かどうかは、ひとえに、

あなた自身の選択にかかっているのだ。

苦しいことは、それを苦しいと捉えるからこそ、生まれる。

これはとくに、死に関わる経験(自分であれ、他者であれ)をした人なら

容易にわかるだろうと思える。

どうしようもなく、そこへ「巻き込まれる」ような感覚があるだろうし、

そのときは、止めようがない、と感じるだろう。

でもね、その悲しみや苦しみは、「今は」感じていても、いいのだ。

苦しめ、と言っているわけではない、そこは誤解しないでほしい。

でも「自分ではどうしようもないこと」は、確かに起こる。

それを「抱えていたまま」でも、受け止め方は徐々に変えられるし、

幸せ、ありがたさ、は、別なところで、その点とは関係なく、

感じ取れることが、できるようになっていけるのだ。

そのためには時間という回復薬が、必要なことも多いだろうけれど。

取り返しのつかないことは、うん、すまない、もう取り返しはつかない。

でも人は、そのままでも、新たに、別の視点では抜け出していくこともまた、

少しずつ、覚えていけるようになるのだ。

繰り返し繰り返し、自分を責め、他人を責め、それだけを考え、

誰かに依存さえ、しようとする。

そこだけを一生、考え続けていけば、確かに生きてるのさえ、止めたくなるだろう。

でも、それを一生考え続けていくかどうかは、

あなたが選ぶことができるのだ。

今はただ、どうしようもない苦しみという波、それが襲ってくることを、

自分に許していいのだと気づいていく。そう決めるのだ。

それがあるのを許すことのほうを、選ぶ。

この苦しみは、今、自分が「持っていてもいいのだ」と。

そう捉えることを選べば、実はやがて、その苦しみ自体が変化していく。

死に限らず、自分の外側で起こることは、

すべて、自分でいつか、捉え方を変えられるし、

結局それは、自分で自分をゆるめ、楽に、幸せにしてあげることにもつながる。

そんなふうに、苦しみは、学びにもできるのだ。

するとそれは、つらい学び方であったこと、に変わっていく。

そのためにわざわざ苦しみのほうを選択する必要はないが、

すでにある苦しみも、あなたの選び方次第で、大丈夫、新しい力に、

あなたが望めばやがて、できるようになるから。

「それがあったからこそ」より素晴らしい「よい人生」を選ぶあなたに。

これはそうなるための経験、受け止め方であったのだ、と。

苦しいけれど、苦しいままであっても、そうなることが、あなたには可能なのだ。

なぜ可能だなんて言えるか? すでに今、あなたが、苦しいから。

それこそが、実は証拠なのだ。

意味が今はわからない人はいるだろうけれど、本当に、そうだから。

苦しみは悪、とか、外側のことなんだから、やはり外側の

「代わりになるよいこと」で埋めないといけない、

そうでないと、私は幸せに「なれない」と

決めつけている人もいるだろう。

その憎しみも悲しみもつらさも痛さも。

今すぐは無理でも、自分には、本当は学びに変える、

その方向を選ぶ力が「すでにもう」あることだけ、

覚えておいてもらえたら、と思う。

それは「寂しさ」とはまた違う、弱いままで強い、

実は、自分にとって温かいものなのだ、と。