木元見春 のすべての投稿

喜と怒と哀と楽と

生きているから 笑えます

死んだら もう笑えません

生きているから 泣けるのです

死んだら 泣いても意味はない

毎日 笑ったり 泣いたり 怒ったり

感動したり 震えたり 愚痴ったり ゆったりしたり

みんな 生きているから 味わえるのです

お金がありすぎて 幸せそうに思える人たちは

この世の快楽をまず お金で味わおうとするそうです

たとえば 酒池肉林

たとえば 世界旅行

でもやがて 気づくそうです

金で買えるものは 飽きると

個人的快楽の享受を 繰り返し続ければ 

最初の喜びは薄れていき

やがては つまらないものへと変化する

ハリウッドの大スターたちが 社会貢献的な運動に参加するのは

人気取りや ステータスとしての責任感だけではなく

そこに喜びを 感じるからだとも言われます

そう 飽きない 喜びを

何かの 誰かの役に立てることは

人にとって とても大切な 喜びの源泉であることが

そんなところからも 見えてきます

ずっと自分が 楽しいだけだと つまらなくなるのです

ずっと幸せな はずなのに つまらなくなるのです

悲しいことがあるから 楽しいことがより輝き

苦しいことがあるから できたときには よりうれしいのです

喜怒哀楽の 怒や哀は 

そんなふうに 喜や楽を 輝かせます

喜と怒と哀と楽は 人生をより輝かせていくために

そんな相互作用で 働いているのです

そう 今 悲しいことや 苦しいことや

つらいことや どうしようもないことは

いずれあなたの 喜びや うれしさや

楽しさや ありがたいという気持ちを 必ずきっと 輝かせてくれます

それらがより 輝くために

今 あなたはきっと しゃがんで苦悩しているのです

だからどうか 苦しい今のまま あきらめてしまわないで

どうか 自分を投げ捨ててしまわないで

あなたの未来には あなただけが感じられる

素晴らしい何かが 待っているから

重たい荷物を 抱えてしまったけど

それゆえなおさら その荷物を何らかの形で下ろしたときには

他の軽い荷物の人は誰も 見ることができない

絶景の高みに 登っているかもしれないから

それは 荷物を運びきった人だけが得られる

特別な大切な ギフトだから

つまりは 意味のない悩みなど ないのです

だからこそ あがいてほしい

苦しみから 立ち直るすべを 見いだしてほしい

道は必ず つながっているから

その哀や怒は やがて必ず 喜や楽につながるから

私たちは この世は そういうふうに できているのだから

自分が嫌い

自分が嫌いだと 思って

それがずっと続いて 当たり前になったら 苦しい

だって24時間 365日 ことあるごとに

自分を卑下し 痛めつけ ギリギリと絞り続けることになるから

他の誰かに痛めつけられたのなら

少なくとも その人の元を離れれば

あるいは顔を見ない時間があれば

その間 痛めつけられることはない

でも 自分で自分を痛めつけるようになると

24時間 自分を監視していることになる

何かがうまくいかないとき

何かを思い出したとき

何かが不安になったとき

とたんに自分を 心の中で卑下し 罵倒し 痛めつけるのだ

また そういう人に限って

自分の長所は「あって当たり前」で

長所であることを認められず

場合によっては それすらも卑下の対象にする

こんなの当然で

何の意味も 価値もなくて

女らしい長所じゃないから

男らしい長所じゃないから

希望する自分じゃないから

そう言って 拒否してしまう

こうして ダメなところしかない人間の 一丁上がりである

ダメなところしか 見ない

そうなんだと 決めつける

できないんだと 確定させる

そう思い込む

それらを自分で自分に決定してしまったら

自分の内側で 固めてしまったら

いったい誰が あなたを助けられるだろうか?

そんなことないよ と 四六時中言い続け

あなたを褒め称え 可愛がり続け

あなたが何をやっても許し 愛し

あなたがその言葉を信じて自信を取り戻すまで

情の深い恋人のごとく 親のごとく 臣下のごとく 寄り添えば

あなたは 自分の卑下をやめられるのかな

その相手が 何年それを続けてくれたら

あなたは自分に自信を持てるのかな

いつかその相手の言葉を心から信じられ 自分への疑いを晴らし

嫌悪感をなくし 幸せになれるかな

その人を失うことを 極端に恐れるようになったりしないかな

なぜ そうやって自分を嫌うようになったか

なぜ自分を卑下するのか

自分が欠点だと思い込んだことは

自分が当たり前だと決めつけたことは

いつから どんなきっかけで 始まったのか

それを振り返らず 自分の気持ちを変えることなく

誰かの愛や友情にすがり続けていけば

あなたは それで満足だろうか

幸せな人に なれるだろうか

たとえば鬱とは ものごとを悪い方向にとらえる脳ミソになる病気

だからあなたの「自分が嫌い」という思いを

なんの根拠もなく 深くする

だからまず その病そのものを軽くし

軽くなり始めてから 自分が自分を嫌いになった理由を

その原因となる考え方 受け止め方を

冷静に 見つめ直してもいいんじゃないかな

自分を 客観的に 捉えてみて

どんなことから 自分を嫌いになったのか

その価値観 その思考 出来事 感じたこと

それらを 見つけていってみるのは ダメかな

責めるためではない

ゆるすために 見つけるのだ

見つけたら そのときにわかるよ

自分がどれほど 自分をイジメてきたかを

苦しい価値観に縛られ 自分を追い詰めていたかを

ねえ 先に書いたように

臣下のような相手が現れてくれるまで

あなたは自分を ずっと痛めつけ続けていくの?

あなたが あなたの内側で

自分をギリギリ 傷つけて絞っているのに

自分が決めて そうしているのに

この先も ずっと 続けていくのかな

病なら 治していくことにまず 意識を高め

受け止め方や考え方なら

ほかにもよいものがあることを

認めることは できないのかな

ほかの受け止め方や考え方をしていいんだということは

絶対に絶対に 一生 認められないのかな

そんなにも 自分を絞り続けていかなくちゃいけないほど

人間としてゆるせないほどの罪を

あなたは本当に 行ってしまったのかな?

意図的に 自分の快楽のためだけに

人の命や人生を奪う

そんな人は 逆に 他人から問答無用で痛め続けられることのつらさを

味わったほうがいいかもしれないとは思う(残酷な考えだろうけど)

それと同じことを あなたは自分で自分に科している

それは なぜ?

人はそこまで 自分を痛めつけなくて いいんだよ?

甘えの戒め?

それにしては罰が重すぎる

もし 他人にそれをやり続けたとしたら……

そんな想像も してみてほしいと願う

それを選んでやっているのは自分だと気づいてほしいと

心から 願う

願うこと、実現していくこと

人が何かをやり遂げるとき。

そこに至るまでの過程で、まず最初にするのは、

その「達成」を思い描くことだ。

わかりやすい例で言えば、アップル社の故スティーブ・ジョブズ氏が

もっと気軽に、音楽を生活のあらゆる場面に溶け込ませて

楽しめるようにしたい、と願ったから、

iPodという機器が生まれ、ネットの音楽ダウンロード市場が活性化し、

そのためのソフトが、パソコン上でどんどん進化した。

彼は、街を歩いたり、ジョギングしたり、お風呂につかりながら

音楽を聞いている人たち、そういうシーンや世の中をまず思い描いて、

それを実現するために、実際の行動を決め、動き始めたのだ。

こうしたことは、私たちでも、日常、普通に行っている。

仕事における売上目標は、シーンを思い描く代わりに数値を使うわけだし、

高校や大学への合格、といったものも、まず達成ラインを決め、

そのために何をどこまで勉強すればいいか、はかって計画する。

計画、は夢、である場合もある。

そんなふうに、私たちは何かを思い描き、そのために必要な状態・状況までを、

実際の行動で埋めながら、近づいていくのだ。

さて。

ただし、思い描き、ひたすら行動によって実現へと埋めて近づいていけば、

それが必ず100%実現できるかと言えば、当たり前だがそうではない。

思い描く内容と実際の状況が、かけ離れすぎて結局は近づききれなかったり、

途中で変化や変更を余儀なくされるようなことが起こったりする。

このとき、現実と理想のギャップの「無理さ加減」を理解できなかったり、

埋められないのは私のせいだ、と自分を責め始めると、

鬱になったり、自分を嫌いになったりする。

時期、環境、向き不向き、近づき方、いろいろな要素がからんでくるのだから、

自分に合わない、埋められないやり方を選んで、

やってみてしまうことは、往々にしてあり得るのだ。

なのに、そのやり方で達成しなくちゃいけないんだ、と決めつけたりしたら、

苦しくなるのは当然だ。

たとえていうなら、富士登山。

登山道を使わなくても、使っても、頂上にたどり着くという結果は同じ。

5合目までは、車で登る方法もある。

そんなさまざまな方法を検討しないで、未知のルートだけを見て、

それが唯一、正しいんだ、と決めつけてしまったら、

ケガするかもしれないし、熊に会うかもしれないし、

道に迷うかもしれなくて大変だろう。

どうしても未知のルートを使って登頂したいなら、

何度もアタックして調べながら進んだり、

ほかの山で練習する必要だって、あるかもしれない。

思い描くことは、実現への第一歩だから、とても大切。

でもあなたは、何をどこまで思い描くだろうか?

それは、どうしたら達成できるか、十分に検討可能なものだろうか?

実現への道を、自分で思いつけ、行動を計画し、実行できるだろうか?

今は、そもそもそれが無理な体調だったりは、しないだろうか?

理想を無理に描くなら、それは妄想である。

また、理想にどうしたら近づけるかを柔軟に検討せず、

あるやり方のみにこだわったら、それは単なる無謀かもしれない。

ましてや、それを達成できない自分を卑下し続けるようなら、

あなたは妄想による無謀な計画によって自分を落としめていることになるのだ。

訳わからなくなるはずだよ、それじゃあね。

なぜ、自分が今、苦しいのかを、冷静に、客観的に見てみる必要があるのは、

こうした混乱状態から、自分を引き離すことが大切だから。

鬱の方は特に、自分を苦しめる理由が重なりすぎて、

自分で考えるだけでは訳わからん、ということにもなりやすいから、

冷静になるために、カウンセラーさんなどに手伝ってもらうことは

とても有効なのだ。

鬱じゃなくても、第三者の視点は役立つことがある。

こんがらがって、がんじがらめになって、

せっかく描いた、妄想ではない、よい夢まで

自分には無理だと否定してしまわないよう祈ります。

あなたの今のその夢は、実現への大切な入り口なのだから。