木元見春 のすべての投稿

痛んだときは

心の傷の深さは 受けた者にしかわからない

14歳のとき そう詩に書いてくれた友達がいた

失恋した私への 慰めの言葉だったけれど

その歳でそれを書いた彼が 子どもながらに

どんなつらさを体験してきたのだろうと

逆に驚いて 友達のことを心配したのを覚えている

傷つく心は 大人になっても持っているもので

大人なんだから 男なんだから

そんなことは 何も関係ない

とくに鬱という病になれば

ものごとを楽しく捉えにくい脳になるから

傷もつきやすいし 深くなりやすいし 忘れにくいのだ

そしてそのことをまた 自己卑下の材料にしてしまう

でもね

それは病の症状で この病になれば誰しもが陥る状態で

あなただけが特別ダメだから 傷ついてしまうわけではない

本当に 病になったら誰でも

つらさがより深くなってしまうのだ

だからどうか 自分がダメだと卑下しないでいてほしい

普通のときなら 気分転換して

忘れたり 気持ちを切り替えたりできるけど

今はそれも難しいからよけいに

深く 重く 傷つくの

その理由が 脳の働きの狂いにあって

あなたがことさらダメだから というわけではないことを わかってほしい

鬱のときの傷は ふだんより深く

その傷の深さは あなたにしか わからないもので

あなたが自分で その状況を 自分にゆるしてあげることが

今は いちばん大切だから……

白雪姫の母親的不安。

この世で一番美しいのは誰?

鏡に毎日、尋ねていたのは、白雪姫の、あのお母さん。

鏡に毎日「それはあなたですよ」と言ってもらって満足する日々。

このお母さんは、なぜ、自分で自分が美しいと信じられなかったのだろう?

きっと、世界トップクラスの美しさ、だよ?

美しさにしか自分の価値を見い出せず、その他の自分については、自信がなかった、あるいは嫌いだった?

少なくともそうでなければ、毒リンゴで自分の娘を殺したくなるほどの嫉妬には燃えなかっただろう。

鬱になると、似たようなことを、実はやりたくなる。

彼氏に、彼女に、常に自分のことを考えていてほしくなる。

自分に優しくしてもらいたい。そのために、ときには試すようなことまでやる。

まるで「世界で一番美しいのは誰?」って尋ね「それはあなたです」といって欲しいがごとく。

弱っているから、優しくしてほしい。弱っているから、甘えさせてほしい。

そっちから心配の電話をくれないとイヤ。

私が、僕が、何も言わなくても、そっちからやってくれるのが、愛情っていうものでしょう?

……こうして、相手の行動で、愛を計る。

一種の王様、女王様である。

かと思うと、相手を失いたくがないために、相手の言うことを全部聞く。

心の中では「そんなこと……」とちゃんと感じているのに、

自分自身でそれを、なかったことにする。

だって相手は貴重な鏡だから。自分をよいと言ってくれる人だから。

私は、僕は、自分が嫌いだから、自分のことを好きと言ってくれる、

「あなたですよ」と言ってくれる鏡は、失いたくないのである。

……それゆえに、自分の感情を感じないようにしたまま、従ってしまう。

一種の下僕、奴隷である。

こうして書くと、どちらも「いびつ」だよね。

せっかく、好き同士、なのに。

自分と相手の、好き、普通、嫌い、の単純な3つの感情で組み合わせを考えたとき、

好き×好きの確率は、1/9しかない。

その1/9の相手に巡り会えたのに、なぜ試したり、盲従して、わざわざゆがめる必要があるのだろう?

誰かとつきあっていくうえで、お互いの違いを認め合うには「折り合い」っていうものが必要で。

昔、さだまさしさんも歌っていたように(古くてゴメンよ!)

「どちらかが苦労して 繕うものではないはず」なのだ(by『関白宣言』)。

お互いが納得できる「着地点」を、お互いで探っていって、お互いがちょとずつ譲り合っていく。

それができないのはなぜか。

一番大きい理由のひとつが「あなたが今、自分を嫌っているから」である。

(相手の状況や性格については考慮しなかった場合、ね)。

自分を嫌っているから、誰かに代わりに認めてほしいし、認めてくれる相手を失いたくないのだ。

白雪姫のお母さんが毎日、鏡に聞かなくては気が済まなかったように、

あなたもずっと、誰かを求める。でも、自分を本当は見失いたくないし、嫌いたくはない。

自分で自分を好きになれれば、実は鏡に問わなくてもすむのだ。

……今日はたぶん、うら若き皆さまの、痛いところを突いたかもしれない。

イベントシーズンで悩み多き方々に、根本のところを理解してほしかったので、書いてみた。

刺さった方がいたら、ごめんなさいね。

でも、あなたが「なすべき」ことがあるとしたら(本当はべき、とかいう話じゃないんだけれど)、

相手のことを考えすぎて、あれこれ不安を増やすのではなく、

その脳の調子の狂いを、生活の中で丁寧に整えながら、

なぜ自分で自分をここまで痛めつけ、嫌いになってしまったのか、を探ることである。

内側からの輝きは、その人だけが持つ宝石だから、

それが見つかれば、あなたの恋も人間関係も、よりよい方向へ進むのだ。

そのほうが、よりあなたを魅力的に見せることは、単純にわかると思う。

だからね。まずはその病を、治していこう。

無理するとまた逆戻りしちゃうから、決して、無理せずに。

あなたの輝きは、内側に、隠れてしまっているだけだから。

決して、ないわけではなく、なくなってもいないのだから。

過ぎ去る時間を怖がらない

鬱は心の病気だから、どれくらいの時間をかければ治るか、というたぐいのものではない。

しかも、自分の環境や考え方を変えていく必要もあるから、「完治○週間」という言葉も

医師から聞けるわけではない。

人によって、その治療過程は本当に千差万別なのだ。

普通の怪我や病気ではないからこそ、自宅で休んでいるだけの人、時短で働いている人などは、焦ると思う。

私も1回目の休職のときは絶望していたし、死ねなくなってから(!)2回目に休んだときも

もう、開き直るしかない、と思った。

動いてみれば一目瞭然で、動けない自分がはっきり、そこにいるんだもの。

焦り始めるというのは、自分にまた、負荷をかけることになるから、

たとえば骨折なら、医師に活動を止められている段階で勝手にリハビリを始めるようなもの。

スポーツの小説などでよく「自分の身体のことは自分がわかっている」などと言って

勝手にリハビリを始める人の話なんかも載っているけれど、過去の経験値で骨格や筋肉のことを

知り尽くしてでもいない限り、それをやったら骨は変形するか、治癒が遅くなるだろう。

頭でいろいろ考え続けてきて、これまで延々と自分で自分を追い詰めて、鬱という病にまでしたのに、

この先さらに、ヒマだから、不安だからと追い詰めて、何かいいことがあるのだろうか。

私には、そうは思えない。

もしやるとすれば、何が自分をそこまで追い詰めたのか、

これからどうすればそんなふうに追い詰めないですむのか、を探っていくことだけれど、

それだって、脳の調子次第ではプレッシャーになる。

起きている時間が長くなって、多少、家事などもこなせるようになって、

朝も起きられるようになって、ご飯もおいしく感じられるようになって、

単純にヒマだなと思える……そういう「普通」になってからのほうが、よほど効率もいいし、

学んだことを吸収もできるし、自分のためになる。

動けないときは、動かないほうがいいのだ。

動かないほうがいいから、動けなくなっているのだ。

脳という内臓の調子が狂っているのだから。

でも、責任感が強いとすぐ「このままではいけない」などと思ってしまう。

このままではいけないことは、この病気になった誰もが痛感することで、

あなただけが何か悪い、よろしくないわけではないのだ。

過ぎ去る時間は、骨がくっついて元の形に収まるのを待つように、必要な時間だ。

それを「必要」と割り切る強さも、今のあなたには求められているかもしれない。

自分にムダな負荷をかけない。

必要なときに必要なタイミングで、やっていけるようになるまで、

ご家族の小言やプレッシャーもあるかとは思うが、丁寧にお詫びでもして、圧力を放置しよう。

あなたは今、自分が幸せに生きるために、新しくなっていこうとしているのだから。

それを「ムダ」とはどうか、思わないでほしい。

自分を追い詰めないでいい考え方ややり方も、やがて、探れるようになるし、その答えは見つけられる。

答えは、よいタイミングであなたの前に現れるよう、今、きっと、あなたの中で準備中だから。

心と身体の自然な調整を、あなたの意志によって、妨げたり、邪魔したりしないでいいように、

今はどうか、割り切る強さを持ってほしいと願う。