白雪姫の母親的不安。

この世で一番美しいのは誰?

鏡に毎日、尋ねていたのは、白雪姫の、あのお母さん。

鏡に毎日「それはあなたですよ」と言ってもらって満足する日々。

このお母さんは、なぜ、自分で自分が美しいと信じられなかったのだろう?

きっと、世界トップクラスの美しさ、だよ?

美しさにしか自分の価値を見い出せず、その他の自分については、自信がなかった、あるいは嫌いだった?

少なくともそうでなければ、毒リンゴで自分の娘を殺したくなるほどの嫉妬には燃えなかっただろう。

鬱になると、似たようなことを、実はやりたくなる。

彼氏に、彼女に、常に自分のことを考えていてほしくなる。

自分に優しくしてもらいたい。そのために、ときには試すようなことまでやる。

まるで「世界で一番美しいのは誰?」って尋ね「それはあなたです」といって欲しいがごとく。

弱っているから、優しくしてほしい。弱っているから、甘えさせてほしい。

そっちから心配の電話をくれないとイヤ。

私が、僕が、何も言わなくても、そっちからやってくれるのが、愛情っていうものでしょう?

……こうして、相手の行動で、愛を計る。

一種の王様、女王様である。

かと思うと、相手を失いたくがないために、相手の言うことを全部聞く。

心の中では「そんなこと……」とちゃんと感じているのに、

自分自身でそれを、なかったことにする。

だって相手は貴重な鏡だから。自分をよいと言ってくれる人だから。

私は、僕は、自分が嫌いだから、自分のことを好きと言ってくれる、

「あなたですよ」と言ってくれる鏡は、失いたくないのである。

……それゆえに、自分の感情を感じないようにしたまま、従ってしまう。

一種の下僕、奴隷である。

こうして書くと、どちらも「いびつ」だよね。

せっかく、好き同士、なのに。

自分と相手の、好き、普通、嫌い、の単純な3つの感情で組み合わせを考えたとき、

好き×好きの確率は、1/9しかない。

その1/9の相手に巡り会えたのに、なぜ試したり、盲従して、わざわざゆがめる必要があるのだろう?

誰かとつきあっていくうえで、お互いの違いを認め合うには「折り合い」っていうものが必要で。

昔、さだまさしさんも歌っていたように(古くてゴメンよ!)

「どちらかが苦労して 繕うものではないはず」なのだ(by『関白宣言』)。

お互いが納得できる「着地点」を、お互いで探っていって、お互いがちょとずつ譲り合っていく。

それができないのはなぜか。

一番大きい理由のひとつが「あなたが今、自分を嫌っているから」である。

(相手の状況や性格については考慮しなかった場合、ね)。

自分を嫌っているから、誰かに代わりに認めてほしいし、認めてくれる相手を失いたくないのだ。

白雪姫のお母さんが毎日、鏡に聞かなくては気が済まなかったように、

あなたもずっと、誰かを求める。でも、自分を本当は見失いたくないし、嫌いたくはない。

自分で自分を好きになれれば、実は鏡に問わなくてもすむのだ。

……今日はたぶん、うら若き皆さまの、痛いところを突いたかもしれない。

イベントシーズンで悩み多き方々に、根本のところを理解してほしかったので、書いてみた。

刺さった方がいたら、ごめんなさいね。

でも、あなたが「なすべき」ことがあるとしたら(本当はべき、とかいう話じゃないんだけれど)、

相手のことを考えすぎて、あれこれ不安を増やすのではなく、

その脳の調子の狂いを、生活の中で丁寧に整えながら、

なぜ自分で自分をここまで痛めつけ、嫌いになってしまったのか、を探ることである。

内側からの輝きは、その人だけが持つ宝石だから、

それが見つかれば、あなたの恋も人間関係も、よりよい方向へ進むのだ。

そのほうが、よりあなたを魅力的に見せることは、単純にわかると思う。

だからね。まずはその病を、治していこう。

無理するとまた逆戻りしちゃうから、決して、無理せずに。

あなたの輝きは、内側に、隠れてしまっているだけだから。

決して、ないわけではなく、なくなってもいないのだから。

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