木元見春 のすべての投稿

ゆっくりと。

ゆっくりと ゆっくりと 過ごしてください

波が来たら 逆らわず なぜ どうしたらと 考えず

自分を 遠くから 眺めるようにして

今 波が来ていると ただそれだけを感じていてください

その波は 病によってもたらされたものであり

あなたが いけないから 悪いから やってくるのではないのです

自分を 波のど真ん中に置いて

責め 問いかけ 追い詰めるのではなく

海の波が 自然と起こり また引いていくように

ただ やりすごしていけば 症状は やがておさまります

そこで あがいても 本当に どうしようもないのです

咳と鼻水が 大量に出続けているときに

どうして私はこうなんだ と 責めるのと同じですから

波が 引いていく瞬間を 感じてください

泣いてもよく 寝てもよく ただ静かに あるがままに していることで

ふと気づくと 怒涛の苦しみが少し落ち着いて

大きくため息をつける自分がいることを 知ってください

何のために どうして人は生きているのか どんな目的があるのか

そんな 神様のようなことを 今の 働きの狂った脳みそで考えて

自分が納得できる答えなど 見つかるはずがないのです

それを 今のあなたが 考えてしまうこと自体

神様(がいるとすればですが)の立場で人のことを考えてしまうこと自体

あなたの脳みその働きが 狂ってしまっている証拠だということを どうか 知ってください

そんなところに答えを見つけなくても 生きていて いいのですから

あなたは今もなお 頭で 思考で 考えで 自分をなんとか コントロールしようとしているのです

でも その頭は今 悪いほうにしか ものごとを捉えられないのです

そんな頭で 答えも 解決策も 見つかるはずがないのです

だから どうしようもなくて 生きている意味がわからなくて 死にたくなるのです

生きている意味を知っている人は この世に誰も おりません

どうやったら 自分が 幸せに生きていけるかを 考えている人ならいます

その幸せが 自分だけにとって なのか

自分と家族だけにとって なのか

周囲の知人みんなが なのか

世界中が なのか

そんな組み合わせによって 人は 生きているのです

そういう ものなのです

だからあなたは 自分が病であることを知り

その病が 自分を暗くしていることを知り

その病が 周囲とうまくいかない原因をつくっていることを知り

ゆえにその病をまずは 治していけばいいのです 今はただ それだけでいいのです

上手にこなすことも うまく生きることも 周囲に見栄を張る必要もなく

あなたは 自分の病と その原因とを 探り 見つめ 治していけばいいのです

休めるのであれば 本当に 文字通り 休んでください 鬱という病に それは有効です

自分の力は極力 抜いてください

考えれば考えるほど ドツボにはまるので

ああ また暗い自分がいるなと ただ遠くから 眺めてください

そう 波という症状を 「やりすごす」しかないのです

どうしてもやることがあるなら 完成や成功や立派にやり遂げることは考えず

ただ 静かに丁寧に できる範囲だけで 臨んでください

そこで決して 見栄を張らず 無理をせず 人の役に必要以上に立とうとせず

ただ ただ 丁寧に こなしてください

だってあなたは 病人なのです

病人は 無理をしてはいけないのです

どうか その病を治すため

ゆっくりと ゆっくりと

今は自分を見つめて 原因を探してください

本当にただ それだけで いいのです

生きていくために 人は悩むのであって

作動が狂ってしまっている頭で 生きていけるかどうかを 悩む必要はないのです

あなたにとっての うまくいかないやり方

あなたが苦しいのは あなたにとって今の状況が よくないからである

状況がよくないから そうなったのか あなたの受け止め方ややり方が 自分を追い詰めるものだったのか

どちらが先なのかは わからないけれど

あなたは自分を追い詰めるほうへ ものごとを考え

周囲の状況も あなたにとってはよい方向へ進まず

鬱 という病にまで 自分を追い込んでしまった

それが 今の状態である

でもその苦しさは どうしようもないと思えるつらさは 半分以上 病が引き起こしている

自分を追い詰めたあまりに あなたは 脳の働きさえ 変えてしまい

ものごとを よい方向へ 受け止められなくしてしまった

そういうふうに 脳みそをいったん 変えてしまったのであれば

それはまた 自分で 変えていくことはできる

ただし あなたが それを自覚し 治そうと思えば の話

薬剤は確かに 助けにはなるかもしれないけれど 劇的には効かない

あなたが変えるべきは 自分を追い込んでしまう その思考の「クセ」であり

それがどんなクセであるか どういうふうに 自分を追い込むのか

そもそもそんな「クセ」をつけてしまったのはなぜなのかを ひも解いていく必要がある

でないと どんなに薬が効いたところで あなたはまた 自分をすぐ 追い込んでしまうから

その辺りを 解いていくのに 本を読んだり 人の助けも 借りるのだ

友人 先輩 カウンセラー あなたを非難しない人たちに 自分が何を考えているかを話し

どうしてそのように考えるようになったのかを 話す

そうして整理をしていくことで あなたは自分を追い詰めていた 「クセ」を見つけていけるのだ

自分で 自力で 見つけていけるのだ

その「クセ」の正体をつかめば あとは「他の考え方」を練習していくだけである

本当に その「考え方」があなたに必要だったのであれば あなたは病にまで追い込まれなかったはずだ

少なくとも今の段階ではもう その「考え方」は あなたに必要ではなくなったのだ

そんなふうにして 少し自分を遠くから 別の人のように眺めて

自分を追い詰めていたもとの部分を知り そうしなくてもいいのだということを知り

別の新しい考え方 それにもとづく行動の仕方を 知って 練習していく

すると あなたの気持ちが楽になり 気持ちが楽になれば 病も軽快していく

そうやって 病にまで陥った脳みそを 元の働きに 戻していってあげればいいのだ

そのためのポイントは ただひとつ

この病であなたは うまくいかないやり方を 学んだだけなのであるから

自分を卑下し続けないこと 病である自分を 素直に認めること

そこから新たに そう やり直すのではなく 新たに

新しい考え方 新しい受け止め方 新しい生き方を また 学んでいくんだと 決意すること

つまり 今の自分は病である その病にかかっていること自体を 自分にゆるす ことである

それは あきらめとは 違うものだし

あなたが 人に対し 自分に対し 恥ずかしい思いをすることとも 違うのだ

うまくいかない考え方ややり方に 固執せず それをやめて ほかの方法を 試すだけのことである

鬱とは そういう練習をするための 病なのかもしれないと 私には思える

その練習が 今のあなたに必要だよという サインであるとさえ……

生きているからこそ

生きているからこそ、笑ったり、泣いたり、悩んだりできて

解決できたり、できなかったり、できたらうれしくなったり、できなくてつらくなったり、

いい1日だったな、とか、平穏だったな、とか、今日のご飯はおいしかったな、と思える。

病で寝たきりで意識不明の人でも、「音」や「声」を聞いて、何かを感じている可能性はあるという。

生きているからこそ、自分がいろいろ、感じることができる。

感じるからこそ、なんとかしよう、とも思える。

落ち込んでもへこんでも、いい瞬間、というのはある日、ふとやってきたりして、

そんなときには心もなごむ。

それが可能なのは、生きているからこそ、なのだ。

当たり前のようでいて、つい、忘れていること。

生きているからこそ、苦しい、だけでは、決してないのだ、ということ。

ねえ、だからまずは、自分を、ゆるしていこう。

自分が息をしていることを、自分で、ゆるしていこう。

小さな第一歩。それで、いい。

あなたは毎瞬、息をしていて、まずはただ、それだけでいいのだ。

それだけで、自分の何かを変えていく可能性を、保てるのだ。