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休む必要があったから……

休む必要があったから、あなたは鬱という病にかかったのかもしれない。

周りからの、あるいは自分自身からのひどい仕打ちを受けて

そこからいったん、逃げ出す必要が、たぶんあったのだ。

あなたはそこまで、自分を追い詰めつめてしまったのかもしれない。

悲しいことにわざわざ、脳の健康状態を不安定にさせてまで、

その状況から、抜け出す必要があったのだ。

だから原因が外部であろうとなかろうと、これから先、

あなたは、自分をそんなにも追い詰めるようなことを

もう、しないでいいように、自分を変えていく必要もあるだろう。

外部が原因であれば、必要以上に相手を重く受け止めないような考え方や

感じ方、それに基づく実際の対処を。

例え実際、どんなに非人間的な待遇をされたとしても、

人は普通、それがすべて相手のせいだから、と恨み続けていくと、

その恨み、という感情自体を持ち続けるつらさに、

また、自分の心が痛んでしまうのだ。

だからその部分で、例えば、あれは過去であり、今ではない、と

自分が受け止められるようになっていくことは大切だろう。

あらゆる人が自分をないがしろにするように感じ、

社会が許せない人は、何が自分をそのような感情に追い込むのかを、

知っていく必要がある。知ることで、自分の感じ方のクセを見つけ、

悪い部分がもしあれば、それを変えていくのだ。

社会が自分を大事にしてくれない、わかってくれないのは、

自分が自分を大事にしていないか、

あるいは逆に、自分のことは自分の思い通りに絶対操れる、とか

または他人にやってもらうのが当たり前に

感じられているからかもしれない。

そういうことを、発見していく必要はあるだろう。

あなたは、あなたの感じることを大事にしていい。

そこに、他者との比較による卑下や卑屈さや傲慢さを加えることは、

本当は意味がないのだ。

周りの人も、自分も、それぞれ、自分は大切。

そういう謙虚さと自分を尊ぶ気持ちを両方、

感じるようになれれば、自他への甘えも起こらなくなるはず。

ただ素直にあなたも私も、自分が大事な存在であっていいのだ。

そしてまた、そんなふうに見渡せるようになれば、

世界はあなたにとって、ただ苦しいだけのところではなくなる。

これはきれいごとを並べた、言葉だけの話ではない。

うまくいっているときも、いかないときも、いついかなるときでも、

自分の感じている気持ちや感覚をありのまま、よし、としていいことを

自分が実感することは、可能なのだ。

そういうことを知るために、もしかしてあなたは

自分を「病」にさえした……のかもしれない。

鬱、という病がもたらすもの

鬱病とは、脳みその作動が狂うことにより、

理由もなく落ち込み、勝手に気持ちが暗くなり、

そのために、起こる出来事をすべて悪い方向へ捉えがちになり、

よい出来事を「普通に楽しく」受け止められない、病気である。

だから、その状態で、自分がなぜちゃんとできないのか、

周囲はなんで、こんなに私を責めるのか、と思っても

まともに治せる思考や行動は取れない。

だって、脳みそが作動ミスしているからだ。

しかも、理由なく落ち込むときには、たいてい、

いやな過去の経験が一緒に思い出されたり、これから先の不安を思い浮かべる。

それでさらに、自分を責めたり、今、動けない不安を繰り返し思い、

つらい、苦しい気分を増長させるのだ。

しかもこの頭の作動ミスには波があるし、

場合によっては1日に何度でも、ささいなきっかけでも発生する。

病が深くなればなるほど、波は強くなり、

それをまともに受けとめれば自分を深く、自分で痛めつけ、

頭はさらに疲れ、身体も疲れ、気持ちは回復せず、

いろいろなことがうまくいかなくなる。

……まあ、それを延々、繰り返せば、最後には死にたくなる。

あなたが自死すれば、あなたを支えてくれている家族や仲間などの味方を、

あなたを助けられなかった、という絶対に動かしようのない事実により、

今のあなたと同じように苦しませ、場合によっては鬱病に追い込み、

あなたと同じように行き場のない苦しみの中にはめ込んで、

最悪の場合、後追い自殺させるけれど、あなたはそれを止めることすらできない。

だって、あなたはこの世からいなくなってるから。

私のためにそんなに苦しまないで、という声は、届かない。

家族ではない人同士の間にさえ起こった、この自死の連鎖を経験した私には、

こうした事実は、ただ、ただひどいことにしか思えなかった。

あなたの苦しみは、あなたが鬱という病であることを認め、

病ゆえに脳の作動がおかしくなって、自分で自分を追い込んでいるのだ、ということを認め、

何もできない自分を、病ゆえである、と許し、追い詰めるのをやめ、

治していこう、と決めることからしか、好転し始めない。

何ごとも上手にできない自分が今、実際にいることを許さない限り、治せない。

しかも、決めたらすぐ、数日で治るものではない。

これまでに自分を追い込んできた考え方や価値観を知り、

もう自分を追い込まなくてすむやり方や考え方を、練習していく必要があるのだ。

それはまさに、複雑骨折したあとのリハビリと同じようなもの。

思考パターンを変え、受け止め方を変え、

自分を痛めつけてきた自分の考え方のクセを、直していくのだ。

心と、頭のリハビリである。

心の痛みから何ごともうまくできなくなった子どもを、

なぜあなたはそんなにできないの、なぜなの、と

ずっと追い詰め続けて、事態が好転するはずがない。

殴り続け、傷つけ続けたら、その子の心の痛みは、やがて消えるだろうか。

いつか、ものごとを上手にできるようになるだろうか。

きっとますます萎縮し、周囲と自分を比べ、人間不信に陥るだけだろう。

あなたは今まさに、自分で自分に、それをやっているのだ。

役た立たずの自分はいらない、社会に必要ない、と決めつける人は、

ふだんからそういう人、例えば病気で入院生活を余儀なくされていたり、

先天的な障害を持つ人を、社会に必要ない人、と、さげすんでいたのだろうか?

そんなことはない、と思えるなら、同様にあなたは、

あなたが生きている、ということだけで、いていい存在、必要な存在である。

もし万が一……、残念ながらさげすんでいたのなら、

人には、自分の力だけではどうしようもないこともあるのだ、ということを、

学んでいく好機なのかもしれない。

生まれたからには、生きていい。

しかも、自分で立派な自分を演出したり、自信過剰になったり、

よい自分でい続けるんだと、見栄を張り続ける必要もない。

もし、他人に「立派に生きるべき! 成功しなくては意味がない!」と

説教したり叱ったりする人がいるなら、そういう人ほど、

自分ができなかったことを他人に投影し、自分ができない代わりに、

自分の助言によって相手が変わったのだ! 成功したのだ!

と、自己満足したいだけだったりする可能性もある。

勉強、立派、をとにかく一方的に押し付ける親もそうだし、

お金の怪しいアドバイスや、自殺の方法の示唆も、ま、自己満足のために相手を利用しているだけだ。

騙して気持ちいい! とか、言うことを聞かせいて気分がいい、とかね。

何をどう受け止めようとも、確かに自分が決めていい。

どう生きるかも、自分が選んでいくものだと思う。

でも、鬱という病について言えば、

判断そのものが脳の作動ミスで狂ってしまうのだから、

その病を治していくことが、あなたをかなりの苦しみから救うことに

つながるであろうことを、知ってもらいたい。

病であることを認めずに放置し、自分を責め続けても、

ひたすら苦しいだけ、悪化するだけなのだ……。

どうしていいかわからないからこそ、友人に気持ちを打ち明けたり、

カウンセリングや病院などのサポートを受けてほしい。

1人で、脳みそを誤作動させたまま、なぜだ、と苦しみ、<

自分を痛め続けないでほしい……と、心から願う。

受け止め方を変えるために。~その3~

これまでの話をまとめながら、進めよう。まずは、自分の脳の状態がまともじゃないことを「認める」こと。

病気のときに、どんなに無理してやろうとしてもうまくいかないのは「当たり前」なのだ。

あなたの「考え方」云々以前に、脳みそが狂っているのだ。それはあなたの心がけ次第で

即刻、改善できるものではない。脳の狂いを直していくための時間も、そのための「留保」も、

自分が自分をそこまで追い詰めたのだと「認めること」も、すべて必要なのだ。

あなたは、自分で自分を苦しめている。

自分で「認めない」ことで、自分の苦しみを深めている……。

人なんだから、ミスすることも、悩むことも、あって当たり前なのだ。

まったく問題のない完璧な環境、完璧なやり方、完璧に立派にできる人間など、いない。

いないのだ、本当に。何かがあってもそれを「問題にしない」程度へ持っていくだけなのだ。

あなたが自分を卑下するあまり、周囲を「勝手に」持ち上げているのだということ。

うらやんでいるのだということ。

みな、それぞれに悩みがあり、困ったことや心配事もあり、

それでも「なんとか」やっている。これは「バランス」の問題なのであり、

あなただけが劣っていてあなただけ、いろいろ問題が起こって、

あなただけがうまくいかないわけではないのだ。

ある程度流すこと、先送りすること、もう気にしない、と決めること。

これはいい加減、ではない。そうしたことは、決して「手抜き」なのではなく

「いい状態、よい加減を探っている」最中であること、しかも人によってやり方は違う、ということ。

そう、ある意味それは、甘えではないのだ。

また、あなたが「体調(脳)まで狂っているときに休む」ことを、「役立たず」と思う必要もない。

休もうよ、脳がおかしくなってるんだから、普通に。自分の病気を認めて、自分を休ませようよ。

あなたの病気は、「うまくいかないこと」をあまりにすべて自分の責任にしてしまって

ずっと、自分を責め続けたからだ。仕事しかり、人間関係しかり。

他人からひどい目に遭わされたこともあるだろう。親子などの力関係があった場合は、

うまく対応できない場合だって、当然あっただろう。

それでひどく傷つけられたこともあるだろう。失恋したり、ふられたこともあっただろう。

でも、だからずっと一生、他人のせいにして、それを恨み続けたら、

もっと、どうしようもなくなる。だって相手のことは、自分でコントロールできないのだから。

社会のなかでは、いろいろな問題が起こりうる。

それは誰にだって起こる可能性のあることであり、あなただけが何か悪いことをして

あなただけが間違っていたわけではない。同様に、人をいじめ抜く人にも、

そうしてしまうだけの重い問題はたぶん、あるのだが、そこまであなたが何とかする必要はない。

あなたは、あなた自身を大切にしてあげることを「再び」思い出せばいいのだ。

今まではうまくいかなかったことでも、これから、うまくいくように練習すればいい。

あきらめる必要があるのは「昔に戻る」ことくらいだ。過去には戻れない。

あるいは、過去に戻る必要もない。あなたには、その代わりに未来がある。

たとえば、過去のいやな記憶を「捨てる」のが難しければ「それを生かす」方向はないだろうか。

ひどい目にあったのであれば、それによってあなたが「学んだ」ことを、今後は

あなた自身がどう生かしていけばいいかを、考えてみる価値はあるだろう。

あまりにひどいものは、そのサイクルを自分が断ち切る。

痛みを知ったのなら、痛みを他者への理解に生かす。

思い出しただけで吐き気がするようなことなら、もう、思い出さなくていいのだ。

どうしたら、思い出さなくてすむのかを知っていこう。PTSDなどの治療や研究も知ってみよう。

そうやって、自分で少しずつ、ゆっくりと、やってみればいい。

誰かに傷つけられたことも、自分を認められなかったことも、

すべて、これからの「糧」に、変えていけるのだ。

ただ、あなたが、そうしようと決めれば。

何か無理をして、無理しなくちゃいけないことが起こって、ひどいことが起こって、

痛んだからこそ、病気になった。

病気になったから、うまく動けなくなった。

それゆえ、そのことで今度はまた、自分を責めるようになった。

そんな傷ついた自分を、これ以上自分で責めて、痛めつけて、あなたにはどんないいことがあるのだ?

あなたの未来はこの先、自分を自分で痛めつけるために存在するのだろうか?

違う。あなたの未来は、あなたが楽しく、幸せになるために、使っていいのだ。

あなたが、誰から言われるのでもなく、あなたが、そうしよう、と決めればいいのだ。

まずはあきらめず、その心の病を治そう。

鬱になっている自分をまず認め、病の悪化にしかつながらない、自分を責め続ける行為をやめよう。

落ち着いてきたら今度は、そもそも落ち込む原因になった出来事から

「何が自分を追い込んだのか」を知ろう。

あのとき物事をどう受け止めたから、自分を苦しめたのだ、ということを知り、

なぜ自分はそんなふうに受け止めてしまうのか、

ほかの考え方はないのか、

それを、自分に許すにはどうしていけばいいのか、を知っていこう。

ひとつずつそうやって、自分を苦しめるものから、自分を解放していって「いい」のだ。

それは、甘えでも間違いでも、なんでもない。

それが「よい加減」を知る、ということだ。

無理せず、無茶せず、バランスよく生きる、ということにつながっていくのだ。

自分の弱さを知るからこそ、自分がそんなふうにしっかりと立ち、強くなれるのだということを、

どうか一人でも多くの人が、実感できますように。

そのための時間は、あなたのために、あなたが必要なだけ、かけていいのだから。

心からそう願う。