受け止め方を変えるために。~その3~

これまでの話をまとめながら、進めよう。まずは、自分の脳の状態がまともじゃないことを「認める」こと。

病気のときに、どんなに無理してやろうとしてもうまくいかないのは「当たり前」なのだ。

あなたの「考え方」云々以前に、脳みそが狂っているのだ。それはあなたの心がけ次第で

即刻、改善できるものではない。脳の狂いを直していくための時間も、そのための「留保」も、

自分が自分をそこまで追い詰めたのだと「認めること」も、すべて必要なのだ。

あなたは、自分で自分を苦しめている。

自分で「認めない」ことで、自分の苦しみを深めている……。

人なんだから、ミスすることも、悩むことも、あって当たり前なのだ。

まったく問題のない完璧な環境、完璧なやり方、完璧に立派にできる人間など、いない。

いないのだ、本当に。何かがあってもそれを「問題にしない」程度へ持っていくだけなのだ。

あなたが自分を卑下するあまり、周囲を「勝手に」持ち上げているのだということ。

うらやんでいるのだということ。

みな、それぞれに悩みがあり、困ったことや心配事もあり、

それでも「なんとか」やっている。これは「バランス」の問題なのであり、

あなただけが劣っていてあなただけ、いろいろ問題が起こって、

あなただけがうまくいかないわけではないのだ。

ある程度流すこと、先送りすること、もう気にしない、と決めること。

これはいい加減、ではない。そうしたことは、決して「手抜き」なのではなく

「いい状態、よい加減を探っている」最中であること、しかも人によってやり方は違う、ということ。

そう、ある意味それは、甘えではないのだ。

また、あなたが「体調(脳)まで狂っているときに休む」ことを、「役立たず」と思う必要もない。

休もうよ、脳がおかしくなってるんだから、普通に。自分の病気を認めて、自分を休ませようよ。

あなたの病気は、「うまくいかないこと」をあまりにすべて自分の責任にしてしまって

ずっと、自分を責め続けたからだ。仕事しかり、人間関係しかり。

他人からひどい目に遭わされたこともあるだろう。親子などの力関係があった場合は、

うまく対応できない場合だって、当然あっただろう。

それでひどく傷つけられたこともあるだろう。失恋したり、ふられたこともあっただろう。

でも、だからずっと一生、他人のせいにして、それを恨み続けたら、

もっと、どうしようもなくなる。だって相手のことは、自分でコントロールできないのだから。

社会のなかでは、いろいろな問題が起こりうる。

それは誰にだって起こる可能性のあることであり、あなただけが何か悪いことをして

あなただけが間違っていたわけではない。同様に、人をいじめ抜く人にも、

そうしてしまうだけの重い問題はたぶん、あるのだが、そこまであなたが何とかする必要はない。

あなたは、あなた自身を大切にしてあげることを「再び」思い出せばいいのだ。

今まではうまくいかなかったことでも、これから、うまくいくように練習すればいい。

あきらめる必要があるのは「昔に戻る」ことくらいだ。過去には戻れない。

あるいは、過去に戻る必要もない。あなたには、その代わりに未来がある。

たとえば、過去のいやな記憶を「捨てる」のが難しければ「それを生かす」方向はないだろうか。

ひどい目にあったのであれば、それによってあなたが「学んだ」ことを、今後は

あなた自身がどう生かしていけばいいかを、考えてみる価値はあるだろう。

あまりにひどいものは、そのサイクルを自分が断ち切る。

痛みを知ったのなら、痛みを他者への理解に生かす。

思い出しただけで吐き気がするようなことなら、もう、思い出さなくていいのだ。

どうしたら、思い出さなくてすむのかを知っていこう。PTSDなどの治療や研究も知ってみよう。

そうやって、自分で少しずつ、ゆっくりと、やってみればいい。

誰かに傷つけられたことも、自分を認められなかったことも、

すべて、これからの「糧」に、変えていけるのだ。

ただ、あなたが、そうしようと決めれば。

何か無理をして、無理しなくちゃいけないことが起こって、ひどいことが起こって、

痛んだからこそ、病気になった。

病気になったから、うまく動けなくなった。

それゆえ、そのことで今度はまた、自分を責めるようになった。

そんな傷ついた自分を、これ以上自分で責めて、痛めつけて、あなたにはどんないいことがあるのだ?

あなたの未来はこの先、自分を自分で痛めつけるために存在するのだろうか?

違う。あなたの未来は、あなたが楽しく、幸せになるために、使っていいのだ。

あなたが、誰から言われるのでもなく、あなたが、そうしよう、と決めればいいのだ。

まずはあきらめず、その心の病を治そう。

鬱になっている自分をまず認め、病の悪化にしかつながらない、自分を責め続ける行為をやめよう。

落ち着いてきたら今度は、そもそも落ち込む原因になった出来事から

「何が自分を追い込んだのか」を知ろう。

あのとき物事をどう受け止めたから、自分を苦しめたのだ、ということを知り、

なぜ自分はそんなふうに受け止めてしまうのか、

ほかの考え方はないのか、

それを、自分に許すにはどうしていけばいいのか、を知っていこう。

ひとつずつそうやって、自分を苦しめるものから、自分を解放していって「いい」のだ。

それは、甘えでも間違いでも、なんでもない。

それが「よい加減」を知る、ということだ。

無理せず、無茶せず、バランスよく生きる、ということにつながっていくのだ。

自分の弱さを知るからこそ、自分がそんなふうにしっかりと立ち、強くなれるのだということを、

どうか一人でも多くの人が、実感できますように。

そのための時間は、あなたのために、あなたが必要なだけ、かけていいのだから。

心からそう願う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

code