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時間を優しい味方に……

時間を 味方につけよう

自分を責める方向へ 使うのではなく

自分を 楽にする方向へ 使う

心地いい時間 まったりする時間 のんびり呼吸する時間

そういう時間を 増やそう

そうやって 過ごすと 自分をゆるめるペースややり方が

やがて 自分で わかるようになる

すると 落ち着くまでに どれくらいか 自分で つかめるようになっていく

こうなったら 時間は優しいよ 自分が 楽になるときを 増やしてくれる

どうしたら 自分の気持ちが切り替わるか

どうやったら 追い詰める思考をやめられるか

それをまず 探してみることが 必要

自分を 追い詰めすぎると 自分を 傷つけたくなるから

自分を 消したくなるから

どうして 上手くいかないか?

ずっと 自分を 許せないから

ずっと 自分を 責め続けているから

ずっと ずっと ずっと 追い詰めているからだよ

もしかして これまでにも 自分を許す チャンスはあったかもしれない

気持ちを 切り替え始める 機会はあったかもしれない

でも 自分を責めているとね そのチャンスに 気づけないの

だって自分はダメで どうしようもないって 決めつけているからね

そんな機会が来たことに 気づけなくなってる

あるいは 変な方向へ 進んでしまう

そしてまた 自分へのダメを増やすのだ

だから 先に 自分を嫌いになってる部分を

そのこんがらがった気持ちのかたまりのところを

ほどいてみなくちゃいけない

でも すぐには上手に ほどけないから

まずは 心地いい時間を増やすことが 先なのだ

心地いい時間が増えて 自分を責める時間や

ものごとを悔やむ時間が減れば

自分の頭の働きが 少し普通に 戻ってきて

そうしたらもっと冷静に なぜ自分が自分を責めるのかを

客観的に わかるようになる

そうやって やがて 自分を責めるループから

離れていく機会も つかめるようになるのだ

自分の外側の事態が 好転することが 先ではない

自分の内側の嵐を 自力で変えていくことができると 

そのことに 気づくほうが先なのだ

人から一生 魚を与えてもらうのではなく

魚の捕り方を学ぶほうが いいよね

捕り方のコツや練習サポートは 力を借りていいけど

練習するのは自分で 練習する時間もまた 必要

だからまずは 心地いい時間を 自分に 増やそう

悲しみを風化させるっていう優しさも 時間は持っているから

そういうふうに 時間を味方につけよう

時間が あなたの 優しい仲間に なっていきますように

心をこめて 祈る

苦しいときの上手な泣き方

苦しいとき 自分を責めるとき 頭のなかをよぎるのは

私はバカだ 私はダメだ

そんな厳しい 自己否定の責め文句ばかりである

そして 頭を抱え込んで泣くか 泣けもせず きつい罵倒を続ける

男でも 女でも 上手に自分を許していけないときは同じ

必ず ギリギリと雑巾をしぼるかのように 自分を叱っているはずだ

騙されたと思って 試してほしい方法が ひとつある

めちゃくちゃ嫌いな自分を 鏡に映すのだ

全身でなく 顔だけでいい

手鏡 あるいは洗面台の距離で

そうして次に 鏡のなかの 自分の瞳を見つめながら

無理やり 笑顔をつくるのだ

イヤだ と 反射的に思う人ほど 実は効果が高い

自分の情けなさを 自分で嫌っている証拠だからだ

やってみるとわかる

やがて あるいはすぐに 笑顔が苦しくて 涙が出る

それでも もうちょっとだけ我慢して

はっきり泣けるところまで

ニセの笑顔を 自分で見つめてみる

すると さっきとは違う「自分ってバカだなあ」が出てくる

笑顔なので 自分を責め いためつける

気持ちの高ぶった「バカ」ではなく

しみじみとした「バカ」が浮かんでくるのだ

あきらめが 少し入ったような

少しだけ 肩の力が抜けたような「バカ」

それは実は ちょっとだけ 自分に温かいものになっている

そのゆるい「バカだなあ」が生まれると

もっと泣けたりするので

そこでやっと 鏡を見るのをやめ

ぐっと息の詰まった感じや

感極まったギリギリの感じで泣くのでなく

ああ、バカだなあ、って

さめざめ 気が済むまで泣こう

笑顔は 自分自身にも 優しい

その さめざめとした涙は

ほんのちょっぴり 自分のバカさ加減を

自分に許したときの バカに変えるのだ

そうやって 自分をギチギチに傷めつける自己否定から

少し 自分をゆるめる否定へ 変えられるということは

知っておいてもらえたらと思う

自分をゆるめることが 鬱という病をゆるめる 第一歩になるのだ

自分の思考グセ

Aという事態が起こったとき、自分はBと受け止め、Cと考える。

それは通常「性格」だったり、自分の「価値観」だったりするのだけれど、

当然、世の中の人が全員、Bと受け止めない場合もあるし、Cと考えない場合もある。

もし、今、自分がうまくいっていない「具体的なこと」に何か、思い当たるものがあるのなら

Aという事態のときに、本当にBという受け止め方しかないのか、

Cという考え方しか自分ができないのかを、落ち着いて考えてみても、いいかもしれない。

思考のクセ、というのはある意味、習慣化されるから

Aに似たA’ や、A” が起こったときに、あっさり同じようにB、と受け止めるようになっていく。

また、勝手にCという考えに、つなげていく。

でも、それで自分が苦しんでいるのであれば、

BやC以外のことを、ちょっと、見つめてみてもいいのかもしれない。

「だってどうせ、できないもの」とあきらめるより、「いきなりZまでは無理だけど、Eなら……」ってものが

見つかるかもしれないから。試してみても、いいかもしれない。

ものすごく抽象的な書き方をしているけれど、これは「刷り込み」って話に近い。

それよりはもう少し、選択の余地がある、と言いたいので、あえて「刷り込み」という言葉は、使わないんだけど。

とくに子どものころから、とか、若いときから、という場合は、ただ、受け止め方を変えるだけでも、

何か、別の切り口が見つかったりする。

それにまつわる過去の思い出を、紙に書いてみるのもひとつの方法。

あのときはこう感じたけど、今ならどうだろう?

あのときはああしかできなかったけど、今ならどうするだろう?

そんなふうに、見つめ返してみてほしい。

昔は上手じゃなかった、イコール、今も絶対に、上手じゃない、と、決めつけては、いないだろうか?

昔はうまく言えなかったことでも、今ならなんとか、言えることもあるんじゃないだろうか?

それに気づくだけでも、心の負担は減ったりするのだ。

ずっと、イヤだったからこそ、本当は変えたいはず。

じゃあ、本当は心の底で憧れてきた、最終理想型の「オメガ」にたどり着くんじゃなくて、

せめて、DかEかFくらいには、なってみたいよね。なれるかも、しれないよね。

そうやって、見つめ直してほしいのだ。

自分のできる範囲で少しだけ、自分を嫌いにならなくていい方向へ、自分を動かしてみてほしい。

ほんの少しでいい。もちろんそれでも何回か、練習は必要かもしれない。

でもその小さな一歩が、自己否定いっぱいの今を、変えていくきっかけにはなるかもしれないから。

ずっとずっと、自分を嫌いなままで、過ごしていく必要なんて、どこにもないから。