Aという事態が起こったとき、自分はBと受け止め、Cと考える。
それは通常「性格」だったり、自分の「価値観」だったりするのだけれど、
当然、世の中の人が全員、Bと受け止めない場合もあるし、Cと考えない場合もある。
もし、今、自分がうまくいっていない「具体的なこと」に何か、思い当たるものがあるのなら
Aという事態のときに、本当にBという受け止め方しかないのか、
Cという考え方しか自分ができないのかを、落ち着いて考えてみても、いいかもしれない。
思考のクセ、というのはある意味、習慣化されるから
Aに似たA’ や、A” が起こったときに、あっさり同じようにB、と受け止めるようになっていく。
また、勝手にCという考えに、つなげていく。
でも、それで自分が苦しんでいるのであれば、
BやC以外のことを、ちょっと、見つめてみてもいいのかもしれない。
「だってどうせ、できないもの」とあきらめるより、「いきなりZまでは無理だけど、Eなら……」ってものが
見つかるかもしれないから。試してみても、いいかもしれない。
ものすごく抽象的な書き方をしているけれど、これは「刷り込み」って話に近い。
それよりはもう少し、選択の余地がある、と言いたいので、あえて「刷り込み」という言葉は、使わないんだけど。
とくに子どものころから、とか、若いときから、という場合は、ただ、受け止め方を変えるだけでも、
何か、別の切り口が見つかったりする。
それにまつわる過去の思い出を、紙に書いてみるのもひとつの方法。
あのときはこう感じたけど、今ならどうだろう?
あのときはああしかできなかったけど、今ならどうするだろう?
そんなふうに、見つめ返してみてほしい。
昔は上手じゃなかった、イコール、今も絶対に、上手じゃない、と、決めつけては、いないだろうか?
昔はうまく言えなかったことでも、今ならなんとか、言えることもあるんじゃないだろうか?
それに気づくだけでも、心の負担は減ったりするのだ。
ずっと、イヤだったからこそ、本当は変えたいはず。
じゃあ、本当は心の底で憧れてきた、最終理想型の「オメガ」にたどり着くんじゃなくて、
せめて、DかEかFくらいには、なってみたいよね。なれるかも、しれないよね。
そうやって、見つめ直してほしいのだ。
自分のできる範囲で少しだけ、自分を嫌いにならなくていい方向へ、自分を動かしてみてほしい。
ほんの少しでいい。もちろんそれでも何回か、練習は必要かもしれない。
でもその小さな一歩が、自己否定いっぱいの今を、変えていくきっかけにはなるかもしれないから。
ずっとずっと、自分を嫌いなままで、過ごしていく必要なんて、どこにもないから。