木元見春 のすべての投稿

ロックとクラシックと鬱。

まずはご報告から。

はい、無事に復活です!\(^O^)/

まだ念のため、外出時にはコルセットを着けていますが、

ヘンな痛みはなくなり、湿布と消炎鎮痛剤からは解放されました。

ご心配いただいた皆さまに、心から感謝いたしますm(__)m

ということで、今日からまたぼちぼちと再開します。

また、毎日じゃないときもあるかもしれませんが、

どうか大目に見てやってくださいませ。

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ある友人と話をしていたら「鬱の人がロック系の激しい音楽を

聞くのはオススメしないという説」の話題になった。

その友人は「ロックの力を否定している」と言っていたが、

私はそういうふうには思えなかったので、ネットと本でちょっと調べてみた。

人の身体の仕組みとして、強い音(エレキギターのキュイーンと鳴る音階や、

身体に振動が響くバスドラなど)は、その音そのものによって、人の交感神経を活発化させる。

これは音楽に限らず、祭りの太鼓の激しいリズムでも同じ。

人を、ある種の興奮状態へと導くのだ。

それを一定時間、聞き続けると、例えばロックフェスなどが顕著な例だが、

その興奮状態が、一種の陶酔にまで高まったりする。

この陶酔は、激しい音楽に身を任せることで起こる。

似たような状態が、マラソンランナーの「ランナーズハイ」と呼ばれるものだ。

その陶酔が起こる間、身体はどうなっているかというと、

交感神経が高まりっぱなしになるのだ。

では、聞き終わったらどうなるか。

祭りのあとと同じで、爽快感とともに、身体は興奮が落ちつき、疲労感を感じる。

興奮している間、脳ではアドレナリンなどが出て、

そのこと自体は、病気に悪いわけではないが、

聞き終わったあと、疲労感によって、

また、アドレナリンが急速に減ることもあるため、

個人差はあるだろうが「より落ち込む」危険性が高まるのである。

クラシックでも、オペラ系の激しい戦闘シーンのときの曲を聞けば、

同じように交感神経が活発化し、気分が高揚するだろう。

そうした「交感神経への急速な刺激と興奮」が、

あとから、落ち込みを激しくする可能性がある、という訳なのだ。

これに対し、クラシックの静かな曲、例えばメヌエットなどの

なだらかで破天荒ではない音階は、人の副交感神経を刺激する。

副交感神経とは、通常、眠るときに活発化する神経である。

クラシックを聞いているうちに、脳から、気持ちが落ち着いている証拠の

シータ波なども出る、という実験データもある。

こちらもまた、陶酔をもたらすが、それは副交感神経の活動が

活発になったために起こるもので、座禅や瞑想にも少し似ている。

これは強まれば強まるほど、一種の催眠に近い状態になるのだ。

半分、寝ているような陶酔、と言えば、わかるだろうか。

そして曲が終わると、副交感神経の活発化は収まり、

軽く目覚めたような状態になる。このときには、身体は疲労しない。

場合によっては、疲れがとれることもあるだろう。

当然、激しい変化は起こらず、曲による「あとからの落ち込み」も

交感神経を活発化させたときよりは、起こる可能性がずっと低くなるのである。

これは非日常と日常、ハレとケ、の違い、とも言えるかもしれない。

祭りは人に元気もくれる。でも毎日ずっと、祭りを続けていたら、

いつかは疲れて休みたくなるだろう。

ヤル気が欲しい、あるいは爽快な感じの気分転換がしたいときに、

激しく強い曲を短時間聞くのは、効果があるかもしれない。

ただ、身体の疲労が、心の落ち込みに直結しやすい「鬱」だからこそ、

クラシックのような曲による静かな陶酔のほうが、より「病には優しい」ものとなることは

確かに間違いではないのである。

ロックという音楽の力を否定するわけではなく、単に医学的な観点からみた場合に

神経の働きがまったく逆方向になることを知り、

上手に使い分けてもらえたらと思う。

打ち明ける

怖がらずに あなたの気持ちを話してください

聞いてくれる人 信頼できる誰かに

自分の過去を 感じたことを つらかった気持ちを 今の苦しみを

泣いたり 悔しくなったり 怒りも湧いたりするでしょう

それでも 話してみてください

あまりにつらい場合は 追体験して苦しくなったりもするかもしれません

そういう重たすぎる思い出は 信頼できるプロの人に 話してみるといいでしょう

途中で 止めたっていいのですから

話しているうち 自分が何を感じていたか 思い出すこともあります

過去のそのときには 気づかなかった気持ちに 気づくこともあります

涙を流しても 話し終えたあと 泣き終えたあとに 身体や心が 軽くなります

そうした吐き出しの効果は 文字通り「あなたの中にたまっていた悪いものを吐き出す」のと同じで

心と身体に じんわり あるいははっきり 効いていくのです

信頼できる友に話してもいいですし カウンセラーや相談員など プロの方に話してもいいでしょう

プロの方に話す場合は 相性もあるので 一度ダメでも あきらめず 探しましょう

あなたの気持ちを受け止め あなたに寄り添って聞いてくれる人が 必ず見つかります

自分のことを打ち明けると そこに魔法のような効果が現れるときもあります

あるとき 突然 「気づける」 のです

何が自分を縛ってきたかを 何に偏っていたかを どんな思い込みで苦しんでいたかを

そこに気づけば 無理せず 変化を起こせるのです

いきなり大きく変わることもあれば ふと 変わっている自分を知ることもあります

いずれにしても その苦しみの呪縛から 解放され始めるのです

答えを 尋ねるのではありません ただ 自分で 気づけるのです

あなたは 大切なひとりの人間であり

他の人とは代えのきかない かけがえのない 存在であり

これから先もずっと 苦しみ続ける必要はなく

自分で 自分を幸せにしていって いいのです

それを選ぶかどうかだけが 自分自身の 選択となるのです

そういう変化を 起こすためにも 変えるきっかけを つかむためにも

人に 打ち明けてみてください

オリのように よどんで蓄積した固まりは 一度では 吐き出しきれないかもしれないから

機会をみつけ 何度でも 吐き出してください

そうしているうちに 気づきも やってくるのです

昨日は私も 新しい友人に話を聞いてもらい

またひとつ 心のオリを はがすことができました

これまで何人もの人に聞いてもらい 何度も聞いてもらい その効果を 何度も味わい 知っている

だからこそ 私は 確信をもって 言えるのです

打ち明けること

その勇気を持つかどうかは あなたの 選択

でも それを選択することで あなたは本当に 変わっていけるのだと

誰かの力を 借りること

鬱になると 人に会うのがおっくうになる

激しくなると 電話さえ 出るのがイヤになったり メールも返せなかったり

年賀状なんて 何を書いたらいいのかわからなくて 作らなかったりした

だって 愛想笑いするのが つらいんだもの

普通に会話するのも 自分にとっては 嘘っぽくて 疲れて

でも その病になると 自分でできることは限られる 能率も落ちる 元気もなくなる

考え方も ものすごく 偏って 自分がダメなところしか 見つめられない

悪夢のように 目が覚めたら消えてくれればいいんだけど

逆に 目が覚めると 怖い現実が待ってて つらい

だるい 苦しい きつい 身体が重い

薬の副作用で 頭が痛くなったり 発熱したり 吐き気がしたり めまいがしたり

それがイヤで薬をのまないと 今度は暗い気持ちになって またつらい

だから私は 現実を見たくなくて あのときずっと 眠っていたのかもしれない

病人 だからね 実際に

いろいろ悪いことしか 考えられない病気にかかってるんだもの

自分を追い詰める方向にしか 頭が働かない そういうことしか 発想できなくなる 病なのだ

だからこそ

肩の力を抜いて 身体の力を抜いて 自分を 休ませてほしい

しなければいけないことは 100% 完璧に 仕上げるのでなく

最小限 やることだけやって あとは手を抜いてほしい

そんなことがゆるされない状況でも そういう「つもり」で 自分を追い込まないで やってほしい

病人が 完璧に 仕上げること自体 そもそも 無理なのだから

自分が 今 病であることを きちんと認められるようになれば

病院で あるいはカウンセリングルームで あるいは信頼できる親しい人に

その病を 治すための手伝いを お願いできるようになる 自分の過去を 話す機会を作れる

だって 自分一人で今 何もかもできないことを 認められるから

今は 迷惑をかけるかもしれない 自分をさらけ出すのは 怖いし 恥ずかしいかもしれない

でも それは 今だから なのだし そういう人は あなたを 叱りもしない 罵倒もしない

苦しさを 過去のつらさを 言葉にして吐き出すこと 誰かに 聞いてもらうこと

そこから 自分を苦しめてきた これまでの考え方や受け止め方を みつけていくこと

その考えや受け止め方を 変えるきっかけを 一緒に探してもらうこと

それは 頭がミスを犯し 思考が偏っている今 とても大切な 必要な助けなのだ

誰かに頼ってはいけない なんて ありえない

人は 協力していくように できている そういう 生きものとして 誕生している

自分一人で 何もかもできるようになるなんて ありえない

そう自慢している人がいたら それはまさに「おごり」でしかない

絶対に その人以外の誰かが 協力しているのだ 陰で日向で

誰かに助けてもらったら 絶対に 恩を返さなくてはいけない

それは今 できないから 助けは借りられない

そんなふうにも 思えるかもしれない

その発想自体は 誤りではないけれど その「恩」は 別の人に返してもいいのだ

親から 子へ その子はさらに 自分の子へ

先輩から受けたら 後輩へ 見知らぬ人から受けたら いつかまた 見知らぬ人へ

そうやって 恩を つないでいけばいいのだ

自分のやったことが いつか誰かの役に立つ それは やった人にとってもうれしいことだ

それもまた とても大切な 恩返しなのだ

勇気を出して 人の助けを 誰かの力を 今は 今だから どうか 借りてほしい

心から そう願う