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自分に向かって問いかけてごらん

さて。

自分を嫌っている方へ、

怖いとは思うけれど、やってみると効果のある方法。

 

できれば鏡の前に座って、この場合、鏡は大きいほうがよいと思うけれど

まあ、無理なら小さいもので顔だけ映して、それも無理なら目を閉じて。

 

深呼吸、5回。

吐く、吸う、の順番で、ただ呼吸を意識するだけ。

落ち着いたな、と思ったら。

鏡の中の自分に目を合わせ、おもむろに

 

私はなぜこんなに自分が嫌いなの?

 

と問いかけてください。

 

そのときに浮かんだ答えが、まず第一段階です。

容姿、地位、立場(会社や暮らしの状況を含む)等の

自分の外側に関する言葉か、逆に

自分の内面の「弱さ」に関する言葉が浮かぶことと思います。

 

そこでいったん、止まる。

 

私は、自分のことを、そう感じている、ということだけ、

ゴメン、「味わって」ください。泣いてもいいから。

そのときに、バカだの、こんなだから、だの、

批判はしない。今はしない。絶対に、しない。

 

そう感じている自分がいる、ことにだけ、向き合ってください。

 

たぶん、すごくモヤモヤすると思う。

すごく黒い感情が、腹から湧くと思うけれど、

それを「本気で」感じ続けてください。

今まで、それを罵倒という「次の思考」とセットにして

捉えてきたと思うけれど、

 

私のことを、そう捉えてきた自分がいるんだな、

という事実だけ、感じてください。

それを感じている自分のことを、もう1人の自分が見ている感じ。

決して、自己罵倒へつなげないで。

それ、アタマの思考だから。今は本当に意味がないから。

 

あなたはいっつも、そこだけでとどまってやめるからこそ、

いつまでたってもそのまま、なんだよ。

そして罵倒とともに、過去の暗い記憶や未来への不安を考え始める。

またそこでさらに、アタマに頼る。

 

そういう自分がいる、ことを、ただ、知ってください。

そういう自分であることを、ただ、感じてください。

 

それは決して「ゴール」の状態じゃないんだよ。

ただの「今」の状態、経過であって、結果ではないんだよ。

あなたがどんどん、ひとりで複雑にしているだけ。

アタマで、ひとりで考えて、勝手に、ね。

 

人に「気持ちが落ち込んではいけない」

なんていうルールがあるはずがない。

落ち込んだことのない大人なんて、絶対にいない。

あなたが勝手に、批判しているのだ、いつも、いつも。

そしてどんどん深く潜り込んできたのだ、今まで。

 

それはただの「状態」であることを、どうか、感じてください。

 

その練習が静かにできるようになった頃、

自分の気持ちがすぐに

「判定・批評・評価」

には、つながらないでも済むようになったら、

そこでまた「なぜここまで、私が○○にこだわるのか」を、

冷静に、見つめていってください。

 

あなたはいつも、すぐに余計な価値観、交えすぎなのです。

しかもその価値観はたいてい、人からの批評の「受け売り」を

あなたが、まさに

そうだと信じることにした

ところから、始まっているのです。

図星じゃなきゃ、自己罵倒という形では引きずらないのだから。

 

過去にそれを言った相手へ

八つ当たりすることに時間を使うくらいなら、

なぜ自分が、そういう種類の言葉をすぐまともに信じるのか、

そういうほうを見つめることに時間を割いたほうがいいよ。

 

こういう見つめ方をまったくせず、言われたから反抗してやる!

っていうやり方ができるのは「心のパワーがあるとき」だよ。

それがなければ、できない自分の弱さに対して、

さらに新たな自己罵倒を生むだけ。

 

さすがにそれは、くだらない、と思わない? 

そんなにも他者の言葉に振り回され、

どんどん自己を嫌う理由を増やすのって。

 

そう感じられるあなたなら、

自分を見つめられる練習は、そろそろ始められるはずです。

アタマからの非難、罵倒でなく、

事実をただ感じていく練習、やってみてください。

 

2016_05_04

Photo by xuuxuu
Pixabay

 

さて、どうしようかな……

すみません、超くだらないことを、ここで吐き出しておきます。

半分は持ちネタ(笑)披露として、

半分は、気持ち悪くて仕方ないゆえに。

 

たぶん、やり方は、ものすごくいろいろあって

計算して上手く立ち回ることも、できなくはないんだけれど、

なんというか、もう、それを計算すること自体、

あまりにもレベルが低すぎてうんざりする……。

 

嫌いな人と本当にいつも、口を聞きたくないのか、

嫌いな人のゴミ箱など触りたくないのか、

よくわからないんだけれど。

 

会社で終業間際にゴミを集める当番(?)をやっている人が

嫌いな人には個別に声をかけなくてその人のゴミを放置し、

しかもそれを入社した新人にまで『伝授』している場合。

 

かつ、そういう「毛嫌いする人とはもともと、口も聞かないし、

まともに一緒に仕事もできないわ!」っていう人の存在が、

見なかったこと、みたいに

ごまかしごまかし、許されている会社の場合。

 

ごめん悪いけど、アナタ、小学生からやり直してきてくれる?

 

って叫んでも、相手には通じないよなあ……( ̄_ ̄ i)

 

うちの部署にはそういうルールはなく、

ゴミを放置されているのは、私ではないけれど、

そんなことをなさるお方は、日ごろから私に対抗? してくださっていて、

そのことはほぼ、私の周囲の人たちも気づいてくださっていて、

それこそ、周囲がひそかに心配してくれているほどの立場が私。

だから、たとえ私がそのお方にゴミのことを指摘して、

そのお方がまた逆ギレしたとしても、

わかってもらえる人にはわかってもらえると思う……。

 

だがしかし、だがしか~し!!!

 

『なんとなくあなたが「ウケ狙いで」勝手にルール化して始めた

その「ゴミ集め当番」、やるんだったら

あなたの嫌いな○○さんにも、他の人と同様、ちゃんと

「ゴミはありますか」って声をかけて、集めてあげてね。

ここは学校ではなくて会社だから!』

 

ってなことを、25~26歳の女性に向かって、

果たして叫ばなくてはいけないだろうか、私?

 

そんな幼い嫌がらせを、

会社で堂々とできる「レベル」の女性に向かって、

叫んであげるような話、なのだろうか?

 

真横でやってくれたのなら、

あるいは私に向かってやってくれたのなら、

「いやいやいや、小学生じゃないから、やめようね!」って

爆笑しながら言えるのだが、

たまたま席が遠いんだよなあ、○○さん。

 

なんというか、もう、その事実を聞いたときには

「?」が思わず10個くらい、アタマから飛び出したよ。

 

それってどういう心理なのか、本気で私、わからないのよね……。

誰か、彼女の気持ち、よくわかる! っていう人がいたら

説明してくだされ……(^▽^;)

 

彼女って、ええ、かの、彼女ですよ、もちろん(爆)

書いたらちょっとスッキリしたわ……(笑)

 

 

感じる「心」の力はあるよ

苦しいから、なんとかしたい。

なんとかできない、だからもう、生きることから逃げたい。

 

あのね、だったら、

なんとかしたいのに、の、その『なんとか』の価値観、

変えるっていう方法は、あるよ。

 

自分を過小評価しているときは、そんなこと、

たぶんやりたくなくて、

これまで抱えてきた、その『なんとか』という部分、

過去から思い込んできたその「考え」に、先に執着するのだろうね。

 

もう本当、文字通り「憑かれる」という感じ。

なんとか、の部分を達成したい、でももう、

失敗したくない、と、頭で「考え」ておびえる。

 

おびえるから、次に、心も冷えを「感じ」る。

 

なぜ失敗したくないのか、というと、そのなんとか、の部分で

これ以上、自分に失望したくないから。

なんとか、の部分で、

社会的に「うまく立ち回れない自分の情けなさ」を

自分で見たくないから、なのだけれど。

そこからしてもう、捉え方が

思い切り偏っていて、つまりはそういうときって

 

過去の暗い記憶やら世間一般の価値観? だと

自分が信じ込んでいるもので、もうすでに

いっぱいいっぱいになってる「脳みそ」だけで、

まだ、ものごとを全部、捉え、カタをつけようとしている

 

っていう証拠なんだよ……。

 

と、自分の過去の記憶を掘り起こして、そう思う。

 

あなたに通じそうな表現で言えば、

疲れ切った脳みそにまだ無理やりムチ打って、

まだ、なんとか、の部分で誰かにやってもらうなど、

ずる賢く立ち回ってトクをしようとしてるよ

 

という話。要はこれまでって計算しまくってきたのよ、

あなたの過去の経験の「記憶」だけで、頭を、使って。

 

自分にとって、今までの経験がすべてなんだ、

それこそが『私がダメな証拠』なんだよ! と、

あなたは言うだろうけれど、

じゃあ本当に、すべての経験を覚えているかというと

覚えてないよね? 

というか、わざわざ比べて悲観的になるため用の

「過去の、外側に自慢できそうな、ものすごくよかったこと」以外は、

良い記憶のほう、使ってないよね?

 

普通に無事に過ごせた部分なんて、使いたくもないはず。

自分が今まである意味「普通だなんて」と、馬鹿に、粗末にしてきたから。

それゆえに、その平凡さの、

『落ち着きの記憶』さえも使えなくなってるよね、今は。

 

そしてそういう、悲観的に使うための素晴らしかった良い記憶か、

または失敗的な悪い記憶ばっかり、

これまで何度も何度も思い出させられてるから、

脳みそはめちゃくちゃ疲弊してるのよ。

心も、だからこそ、冷え切ってるの。

 

そんなことしなくても、

あなたには「頭より先に感じる心」という能力もあって、

それは別に、まったく衰えてなくて、

ただ、あなたがそれには意識を向けないから、

再び気づいてもらえることを、今は静かに待ってるのよ。

 

あなたは頭ですべてを、まかなっているわけではない。

頭、脳みそは、自分が普段使える範囲で言えば

五感と記憶から「反応を起こす」ための、処理装置だよ。

しかもそれ、心からの入力も結構、利用してる。

 

心で『感じる』という部分が先にあって、

それを頭があとから認識していることも多い。

 

でも今、あなたは自分をダメだと、先に頭で捉えておくことで

「悲しい」とか「寂しい」などを発生させてる。

頭から、心に降ろしていってるのよ。

逆の、心から頭へ、のルートは遮断して、頭で先に世界と自分を否定して、

そんな否定をするから、心も『悲しみ』を感じるの。

意味、わかるかな。

自己否定、他者否定の言葉を信じると、心には「悲しみ」の部分が伝わるのだ。

 

心から頭へ入る部分はなかなか使ってもらえなくて、

それゆえ、うれしい、楽しい、平穏、という感覚も

あなたから「頭で」拒否される。そんな場合じゃない! と。

なので心は、受け取るだけの控えめな形になっている。

 

控えめにしているその心の部分、

再び使えば、頭の状態もまた良くなるのにな。

 

要するにあなたはまだ、いろいろ計算したいのよ。

何が何でも、幸せを世間さまに見せつけたい。とかね。

どうしても、

非凡であったりしたい、

他人より優れていたい、

素晴らしい私を見ろ! と叫び、

自分が評価してもらって、それを受け取れば

自身でも素晴らしいと信じられる、と考えているんだよね。

 

つまりはそれ、計算、なのよ。

「ああやって外側に対してこうなりたい」なわけだから、計算。

狭い世界で王様になりたい、

井の中の蛙になりたい!

という欲望を、捨てきれないんだね。

 

うん。確かにそれもまた、ひとつの人生だ。

ある特定の他人をなんとか見下げられるようになりたい、

あるいは世間さま、的な他者を

見下げられる位置に立ちたい。

または、誰かの力でそういうところへ、連れていってほしい。

そう願うあまりに、その計算がうまくいかなかった今は、

結局、自分を見下げて、馬鹿にすることを選んでいる人生。

 

心→頭の良いほうの入力ルートは使わず、

本当の意味での自己責任を背負うことは嫌がり

(自分の人生は本当は自由でその代わり自分個人のものだと覚悟したくない)、

金や見栄えや、地位や立場や他者との関係などで自分を飾りつけて、

ほかの平々凡々な他人を見下ろしたいと願う人生。

日常なんてくだらない、と、ありがたみなど、クソくらえな日々。

 

そんな生き方を選ぶんだね、今は。

そこから抜け出す力は、ずっと持っているのに使いたくない人生。

 

つらいね。

気づいていけると、いいね。

 

2016_05_03

Illustration by Viscious-Speed
Pixabay