感じる「心」の力はあるよ

苦しいから、なんとかしたい。

なんとかできない、だからもう、生きることから逃げたい。

 

あのね、だったら、

なんとかしたいのに、の、その『なんとか』の価値観、

変えるっていう方法は、あるよ。

 

自分を過小評価しているときは、そんなこと、

たぶんやりたくなくて、

これまで抱えてきた、その『なんとか』という部分、

過去から思い込んできたその「考え」に、先に執着するのだろうね。

 

もう本当、文字通り「憑かれる」という感じ。

なんとか、の部分を達成したい、でももう、

失敗したくない、と、頭で「考え」ておびえる。

 

おびえるから、次に、心も冷えを「感じ」る。

 

なぜ失敗したくないのか、というと、そのなんとか、の部分で

これ以上、自分に失望したくないから。

なんとか、の部分で、

社会的に「うまく立ち回れない自分の情けなさ」を

自分で見たくないから、なのだけれど。

そこからしてもう、捉え方が

思い切り偏っていて、つまりはそういうときって

 

過去の暗い記憶やら世間一般の価値観? だと

自分が信じ込んでいるもので、もうすでに

いっぱいいっぱいになってる「脳みそ」だけで、

まだ、ものごとを全部、捉え、カタをつけようとしている

 

っていう証拠なんだよ……。

 

と、自分の過去の記憶を掘り起こして、そう思う。

 

あなたに通じそうな表現で言えば、

疲れ切った脳みそにまだ無理やりムチ打って、

まだ、なんとか、の部分で誰かにやってもらうなど、

ずる賢く立ち回ってトクをしようとしてるよ

 

という話。要はこれまでって計算しまくってきたのよ、

あなたの過去の経験の「記憶」だけで、頭を、使って。

 

自分にとって、今までの経験がすべてなんだ、

それこそが『私がダメな証拠』なんだよ! と、

あなたは言うだろうけれど、

じゃあ本当に、すべての経験を覚えているかというと

覚えてないよね? 

というか、わざわざ比べて悲観的になるため用の

「過去の、外側に自慢できそうな、ものすごくよかったこと」以外は、

良い記憶のほう、使ってないよね?

 

普通に無事に過ごせた部分なんて、使いたくもないはず。

自分が今まである意味「普通だなんて」と、馬鹿に、粗末にしてきたから。

それゆえに、その平凡さの、

『落ち着きの記憶』さえも使えなくなってるよね、今は。

 

そしてそういう、悲観的に使うための素晴らしかった良い記憶か、

または失敗的な悪い記憶ばっかり、

これまで何度も何度も思い出させられてるから、

脳みそはめちゃくちゃ疲弊してるのよ。

心も、だからこそ、冷え切ってるの。

 

そんなことしなくても、

あなたには「頭より先に感じる心」という能力もあって、

それは別に、まったく衰えてなくて、

ただ、あなたがそれには意識を向けないから、

再び気づいてもらえることを、今は静かに待ってるのよ。

 

あなたは頭ですべてを、まかなっているわけではない。

頭、脳みそは、自分が普段使える範囲で言えば

五感と記憶から「反応を起こす」ための、処理装置だよ。

しかもそれ、心からの入力も結構、利用してる。

 

心で『感じる』という部分が先にあって、

それを頭があとから認識していることも多い。

 

でも今、あなたは自分をダメだと、先に頭で捉えておくことで

「悲しい」とか「寂しい」などを発生させてる。

頭から、心に降ろしていってるのよ。

逆の、心から頭へ、のルートは遮断して、頭で先に世界と自分を否定して、

そんな否定をするから、心も『悲しみ』を感じるの。

意味、わかるかな。

自己否定、他者否定の言葉を信じると、心には「悲しみ」の部分が伝わるのだ。

 

心から頭へ入る部分はなかなか使ってもらえなくて、

それゆえ、うれしい、楽しい、平穏、という感覚も

あなたから「頭で」拒否される。そんな場合じゃない! と。

なので心は、受け取るだけの控えめな形になっている。

 

控えめにしているその心の部分、

再び使えば、頭の状態もまた良くなるのにな。

 

要するにあなたはまだ、いろいろ計算したいのよ。

何が何でも、幸せを世間さまに見せつけたい。とかね。

どうしても、

非凡であったりしたい、

他人より優れていたい、

素晴らしい私を見ろ! と叫び、

自分が評価してもらって、それを受け取れば

自身でも素晴らしいと信じられる、と考えているんだよね。

 

つまりはそれ、計算、なのよ。

「ああやって外側に対してこうなりたい」なわけだから、計算。

狭い世界で王様になりたい、

井の中の蛙になりたい!

という欲望を、捨てきれないんだね。

 

うん。確かにそれもまた、ひとつの人生だ。

ある特定の他人をなんとか見下げられるようになりたい、

あるいは世間さま、的な他者を

見下げられる位置に立ちたい。

または、誰かの力でそういうところへ、連れていってほしい。

そう願うあまりに、その計算がうまくいかなかった今は、

結局、自分を見下げて、馬鹿にすることを選んでいる人生。

 

心→頭の良いほうの入力ルートは使わず、

本当の意味での自己責任を背負うことは嫌がり

(自分の人生は本当は自由でその代わり自分個人のものだと覚悟したくない)、

金や見栄えや、地位や立場や他者との関係などで自分を飾りつけて、

ほかの平々凡々な他人を見下ろしたいと願う人生。

日常なんてくだらない、と、ありがたみなど、クソくらえな日々。

 

そんな生き方を選ぶんだね、今は。

そこから抜け出す力は、ずっと持っているのに使いたくない人生。

 

つらいね。

気づいていけると、いいね。

 

2016_05_03

Illustration by Viscious-Speed
Pixabay

 

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