木元見春 のすべての投稿

生命……というもの、その細胞より小さいところ。

さて、どうして私の身体の細胞たちは、そんなに「生きようと」するのか?

答えを先に言うと

「そういうふうに、最初からプログラミングされているから」。

え~っ!! と思うでしょう(^^;)

でも、実際、科学的には「そこまでしか判明していない」のである。

そもそも、生命がどうやって誕生したかを、まず確定できていない。

太古の昔、地球がまだどろどろの状態だった数十億年前。

そのとき地球を満たしていた気体、地球の気圧、大地(らしきもの)の状態、

海や天候の状態、雷などの電子の状態、その他、諸々の条件が重なって、

最初の「生命」たるものが誕生した、という予測はできるらしい。

でも、そうした条件は現在、再現できないし、

再現したところで、生命が誕生するかどうかもわからないのだそうだ。

それゆえ「なぜ生命という形態が生まれ、生きるようにプログラミングされたか」など、

解明できているはずもない。

ただ、生まれ、生き、次を生み、老化すると死んでいくように仕組まれている、ということしか、

わかっていないのだ。

しかも。

このプログラミングの一つがDNAであるが、

そのDNAを、なぜそのように細胞が解釈する(できる)ようになったかも、わからない。

わかっているのは「こういうDNAだと、こういうふうに細胞の仕組みが解釈して、

こんなふうに身体がなっていくらしい」という部分だけなのだ。

DNAとは4種類の化学物質が並んだヒモであり、4種類の物質の並び順によって、

プログラムが書かれている。それを読むことによって、

身体をどうつくり、どう保っていくかが、決まるのだそうだ。

さあ、そして、その化学物質。DNAだけでなく、たんぱく質、脂質、

さまざまな物質から、私たちは出来上がっているわけだけど、

これを細かく見てみると、分子の集まりであることがわかる。

分子は原子の集まりである。

さらに原子は……といった具合に、細かく細かく見ていくと、

なんと、こちらもまた、観測できなくなっちゃうのである。

観測できないだけでなく、それは「確実な性質を持たないもの」であるとされている。

雲のようなもの、あるいはたまたま偶然、あるなんらかの確率でそうなるという、

ものすご~く、あいまいな性質を持っているものなのだ。

もはや、はぁ? だよね(T.T)

でも私たちの身体は現実に、そうしたものすごくあいまいなもので、できているのだ。

……だからどうした! というツッコミが入りそうであるが、

はい、その部分はまた明日。

難しい話ゆえ、説明する要素がどうしても先に必要で、しかも長くなりました……。すいません。

もうしばし、おつきあいください。

生命……というもの、まずは身体のことから。

生きる意味、生きていい理由を探している間は、本当にたくさん、本を読んだ。

もともと読書魔だったから、鬱の一番辛い時期を過ぎて本が読めるようになった瞬間、

反動が起きたのかもしれない(^^;)

そのほとんどは一般向けに書かれたものだが、

心理学、医学、生物学、社会学、哲学、宗教、説話、宇宙学、地学……手当たり次第だったなあ。

たまたま学生時代になぜか生物学は好きで、そして天体関連も美しくて好きだっため、

こんなむちゃくちゃなジャンルになったわけだ。

ということで、いろんな本から私が認識した、生き物、生命について、ちょっと語ってみたい。

でも私はバリバリの文系出身者なので、もし間違ってたらごめんなさいねm(_ _)m

私たちの身体は、60兆個の細胞からできている。

そして、それらが「協同作業」をしてくれているから、生きていられる。

1つ1つの細胞にはDNAがあって、ちゃんと独立した(笑)細胞であり、

最初は卵子と精子が合体したあとに、どんどん分裂していく。

多少の個体差はあっても、60兆個の細胞が、手の位置のものは手となり、

目の位置のものは目をつくり、身体の隅々まで、みんなで協同してつくった挙げ句に、

それぞれの活動を始める。酸素と、栄養をエネルギー源にしてさ。

小学校の頃、単細胞生物の顕微鏡写真を見た覚えがあるだろう。

あれが60兆個! も集まって、しかもそれぞれが自分の役目をしっかり認識して、

ものすごく複雑な仕組みで働いているからこそ、私は私という個体でいられるのだ。

……細胞って、エライじゃない。

でもどうして、そんな仕組みを作ったのだ? 進化(って言うけど、もしかしてそれは

単なる変化のひとつ、というだけかもしれないんだって!)、

そのほうが生きていくのに有利だったとしても。

なんで私の身体はそこまでがんばって「生きよう」とするのだ? 

この続きは、また明日。

死にたい気持ちは、脳のあやまち?

今日の話は、私が死ねなくなって「どうしたら生きていけるのか」を必死で探していたときに

出会った本の内容と、それについて思ったことである。

今、まさに死にたい人は、「だから?」と、思われるかもしれないけれど、

まず先に、その説を紹介しておく。

死にたい気持ちが湧くのは、実は生きていこうとする生存本能から始まり、

それなのに脳が間違っちゃって、死ぬ気になる……という話なのだ。

アメブロにはせっかく簡単なアフェリエイト設定があるので、使ってみよう(^^;)

今はまだ、本が読める状態ではない人もいると思うけれど、もし、生き方の模索中であるなら、

そして心理学や医学がキライじゃなければ、何かちょっとしたヒントになるかもしれない。

人はどうして死にたがるのか (サンマーク文庫)/下園 壮太

¥530
Amazon.co.jp

一応、Amazonにあった著者の紹介文を一部、引用抜粋してみると……。

死にたい気持ちは、あなたを守ろうとする正常な“危機対処プログラム”が

働き出したことを意味しています。

正しいプログラムなのです。しかし、今は少しタイミングがずれているようです。

それほど必要のない事態に対して、最終的なプログラムが発動している、

つまり正しいプログラムが誤作動しているといえます。

誤作動であれば、それにうまく対処すれば良いのです。

ということらしい。本には、誤作動の仕組みとそこから考えた解除方法についても書かれている。

自分の気持ちひとつで、脳の働きがそこまで変化するものか? と

疑問に感じる方もいるかもしれない。

しかし緊張して思わず足が震えたり、

好きな人の前で心臓がドキドキする(文字通り心拍数は上がっている)経験はあるはず。

椅子に座り、自分で意識して命令しても、足を震わせたり、

心臓の鼓動を早めることはできない。

でも気持ちが動けば、それに付随して身体が反応する例は、たくさんあるのだ。

気持ちが暗いと、免疫力も低下するらしいから、まさに「病は気から」だよね。

で、何が言いたいかというと。

自死を求める人すべてにこれが当てはまるのだとしたら、

あなたは、「脳みそのミス」で死んでもいいですか? ということ。

この説が完全に正しいかどうかは、私は専門家でないからわからないけど、

脳がうっかり間違って動いてしまい、そのために自分が勘違いしたまま、

実際に行動に移すのだとしたら……。

それはちょっと、あんまりだなあ、イヤだなあ、と、私には思えたのである。

どんな事情で死にたくなったとしても、最終的には「脳みそのミス」だよ?

どうだろう。私の脳みそだから、やっぱり私が責任を取る、と思える人も、いるのだろうか。

今回はあえて、この問いかけのまま、終わりにしてみる。

身体の話になったので、明日はその不思議さと生命についての、ちょっとした考察の話……かな。