死にたい気持ちは、脳のあやまち?

今日の話は、私が死ねなくなって「どうしたら生きていけるのか」を必死で探していたときに

出会った本の内容と、それについて思ったことである。

今、まさに死にたい人は、「だから?」と、思われるかもしれないけれど、

まず先に、その説を紹介しておく。

死にたい気持ちが湧くのは、実は生きていこうとする生存本能から始まり、

それなのに脳が間違っちゃって、死ぬ気になる……という話なのだ。

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今はまだ、本が読める状態ではない人もいると思うけれど、もし、生き方の模索中であるなら、

そして心理学や医学がキライじゃなければ、何かちょっとしたヒントになるかもしれない。

人はどうして死にたがるのか (サンマーク文庫)/下園 壮太

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一応、Amazonにあった著者の紹介文を一部、引用抜粋してみると……。

死にたい気持ちは、あなたを守ろうとする正常な“危機対処プログラム”が

働き出したことを意味しています。

正しいプログラムなのです。しかし、今は少しタイミングがずれているようです。

それほど必要のない事態に対して、最終的なプログラムが発動している、

つまり正しいプログラムが誤作動しているといえます。

誤作動であれば、それにうまく対処すれば良いのです。

ということらしい。本には、誤作動の仕組みとそこから考えた解除方法についても書かれている。

自分の気持ちひとつで、脳の働きがそこまで変化するものか? と

疑問に感じる方もいるかもしれない。

しかし緊張して思わず足が震えたり、

好きな人の前で心臓がドキドキする(文字通り心拍数は上がっている)経験はあるはず。

椅子に座り、自分で意識して命令しても、足を震わせたり、

心臓の鼓動を早めることはできない。

でも気持ちが動けば、それに付随して身体が反応する例は、たくさんあるのだ。

気持ちが暗いと、免疫力も低下するらしいから、まさに「病は気から」だよね。

で、何が言いたいかというと。

自死を求める人すべてにこれが当てはまるのだとしたら、

あなたは、「脳みそのミス」で死んでもいいですか? ということ。

この説が完全に正しいかどうかは、私は専門家でないからわからないけど、

脳がうっかり間違って動いてしまい、そのために自分が勘違いしたまま、

実際に行動に移すのだとしたら……。

それはちょっと、あんまりだなあ、イヤだなあ、と、私には思えたのである。

どんな事情で死にたくなったとしても、最終的には「脳みそのミス」だよ?

どうだろう。私の脳みそだから、やっぱり私が責任を取る、と思える人も、いるのだろうか。

今回はあえて、この問いかけのまま、終わりにしてみる。

身体の話になったので、明日はその不思議さと生命についての、ちょっとした考察の話……かな。

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