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「がんばる」のが私、という呪い

私は、仕事で任されたことは、きちんと確実に仕上げたい人である。

そしてできれば、よりよいものに仕上げたい。

さらに欲を言えば、その仕事のできばえに、自分で満足したい。

これって普通に考えれば、前向きでチャレンジャーな「いいこと」だ。

でも、この傾向に歯止めがかからなくなると、あっという間に「働き過ぎ」になるのである。

クライアントから「平均点以上の仕事ができる人」と評価されるのは気持ちよかったし、

何より単純に、自分がやる以上は、自己評価80点くらいの満足は得られるものをつくりたかった。

これは、「負けず嫌い」とか「自己実現欲が高い」、「プライドが高い」って話でも

あるのかもしれない。

子どものときも、勉強や運動では負けず嫌いだったもの。

で、そこそこ以上の成績を上げて、鼻高々で(笑)

いわゆる「お勉強ができて正義感の強い優等生タイプ」かつ「気の強い」人間ではあったと思う。

そういう私が働きすぎて、壊れたときにどうなったか。

仕事に能がなくなった自分を、直視できない……認められなかったのである。

生きるしか道がなくなってから、この辺の性格についてもいろいろ探ってみた。

専門家ではないから、正確なことは言えないのだけれど、

たぶんね、一種の「思い込み」を、ガッチリ持っていたいたんだと思う。

いわゆる天才肌ではない、努力型の人間ではあったので、

「がんばるのが私」

「がんばって、周囲に認めてもらうような生き方が私らしさ」

「そしてそれは、私の誇りでもある」

ってね。

逆に言えば「がんばるところにこそ、私の価値がある」くらいにまで、思い込んでたのだ。

それってもはや、「呪い」の類に近い。

だってがんばれなくなったら、あっと言う間に自分の価値はないんだよ?

そりゃあ、働けなくなれば、一気にプライドも自信もガタガタですよ……。

この呪いというか、思い込みを解くには、結構、時間がかかった。

いまだ完全には解けていないかもしれないけれど、それでもずいぶん、

偏った自己像、自己評価からは抜け出しつつあるような気がする。

これを解くためには、もともとの性格や、生まれ育った環境にまで遡らなくちゃいけなかった。

そういう話を、次から書いていこうと思う。

死を選ぶ、という発想

「自殺」という言葉は、このブログではあまり使わないようにしようと思う。

殺す、という言葉は、自分がほかの誰かを死に至らしめるような、

自分のことなのに、なんだか他人ごと、ちょっと離れているようなイメージがある。

そして「殺人」はもう、あきらかに「悪いこと」だものね。

だから、死を考えていた私には、「自死」という言葉のほうが、

ちょっとだけ身近に感じられた。

うん、そう、死のほうを「選択」するだけだよ、って。

でも、死ぬのは怖かったなあ……。

生きてる意味がない、という自己否定の気持ちで、

「社会にとって要らない自分」を消すわけだから、

積極的に、前向きな気持ちで(そんなのあるのか?)、

死にたいわけじゃなかったんだよね。

そんな理由で死のうと思ったら、

「死」というものが単純に怖いのは、当たり前の話。

しかもこれ、生きることを選択するようになった今の私からみれば、

かなりヘンな発想だとわかる。

ホントに死ぬほど悩んでるなら、

今はもう、自分のことで精一杯なんだから、

社会にとって、とか、家族にとって、とか、

そういうことを考える必要はないはずなのだ。

そうした自分の「役割」から責任を負っていると考えるのであれば、

いきなり消えるのは、逆に迷惑。

実際に責任の重い人、たとえば一国を背負う王様のような人であっても、

自分の役割をそこまで意識するのであれば、

まずは先に王である立場を降り、誰かにきちんと譲るべきなのだ。

なのに、ただの人である私が、

「家族」、さらには「社会」にまで、責任を感じて、死のうとしてる。

それならそれで、うん、すべて引き継げよ、ちゃんと。

そこまで責任を感じてるなら、いきなり死ぬな、

全部整えてから身を引け、って話になる。

いったいどこまで、どんなふうに、

私は勘違いした責任感を背負ってるんだ。

何をそこまで自負して、それなのに中途半端に消えようとするのだ?

……まあ、本当に死にたいと思ってた当時は、

そんなこと、まったく思いつきもしなかったんだけどね。

今の私は、自分がそういう思考回路に陥ってしまった理由を、

「責任感の強さ」

という自分の性格と、鬱病による

「脳の誤作動」

のせいであった、と、思っている。

しばらくは、この「責任感」と「誤作動」について、

もうちょっと詳しく書いていこうと思う。

自分の育った環境、持って生まれた性格、

仕事に対する感覚、「脳」というものの仕組み、etc…。

それこそ、いろいろなものが混さってたと思えるからさ。

苦しかったときのこと(8)

仕事で、社内の人が大勢、彼と関わっていたため、

会社中が騒然となった。

泣き崩れる人がいて、言葉を失う人もいた。

私はもう、どうしていいか、わからなかった。

またもや、仲間を失ってしまったという悲しみ。

自死という選択が、どんな結果を生むか、

それを目の前で見せられていることに対する動揺。

何より、彼自身の口から、死という言葉を聞いていたのに、

もしかして、一番近い位置にいたかもしれないのに、

何も知らず、何もできなかった自分を責めた。

自分のことで精一杯で、彼のことを気にかけてなかった。

彼の苦しみを、一番わかってあげられたかもしれないのに、

私、自分のことしか、考えてなかった。

そんななかで、彼と仕事をよく組み、長年一緒にやってきた

女性の上司が、憔悴しきって言った。

「私、何もしてあげられなった。何も、できなかった」と。

彼女のことを、仮にAさんと呼ばせていただく。

Aさんは、私のことも、本当に親身になって助け、励ましてくれていた人だった。

そのときの私にとっては、Aさんの存在、彼女の気持ちが、ひとつの支えになっていた。

だからそれを聞いた瞬間、反射的に私はこう言い放った。

「でもAさん、私は生きてます。

私も同じ時期に鬱になって、同じようなことを考えました。

でも私は、Aさんのお蔭で、今、生きてるんですよ!」と。

そしてその直後、こう言った自分が、

「もう死ねない」ことに気づいた。

こんなにも苦しんでいるAさんを、これ以上傷つけたくない。

自死という行為がこんなにつらい気持ちを人に与えるなんて、知らなかった。

私でさえ、これほどのつらさ、悲しさ、重さをを感じてる……。

そう思ったら、もう、自死という選択肢は選べなかった。

あとに残ったのは「生きていてもいい理由を見つける」ことだけだった。

こうして、私は「生きる意味」のほうだけを模索し始めた。

なんとか生きてもいい、自分に対するその言い訳を、見つけたかったのだ。

この知人の死は、さらに尾を引く。

彼の死をきっかけとして、ある別の知人男性も、鬱になっていった。

彼もまた、仕事仲間であったが、2年後、自死を選んだのだ。

その人の場合は、ある意味、覚悟の上での選択だったと思う。

自死というものが、周囲に与える影響も自分でわかりつつ、

それでもなお、死を選んだのだから。

このときの悲しさと、自死の連鎖という事態は、私にとって決定的だった。

私の死をきっかけにして、こんな悲しい連鎖など、起こしたくない。絶対に。

最初に死を選んだ知人も、それよって誰かが死ぬことなど、

まったく考えていなかっただろう。

ましてや、親しい仕事仲間であった人が、

自責の念から鬱となり、やがて自死するなんて、思いもしなかったに違いない。

自死は、誰にどんな形で影響を及ぼすか、まったくわからないのだ。

そしてきっと、影響を受けるのは、自分にとって身近な存在の人。

よりによって自分の「味方である人」を苦しめることになる。

だったらもう、私は、自分からは絶対に死なない。死ねない。

この、鬱という心の苦しみは、生きていきながら、解決していくしかないのだ。

そう思った。

~この項 終わり~