木元見春 のすべての投稿

悪口言うの 心底 楽しい?

ちっともうまくいかなくて

いつも楽しくなくて

どうしてなのだろう という人が

結構 忘れがちなのは

 

自分が普段から どんな言葉を(心の中でも)発しているかということ

 

うまくいかない人って 不満と不平と悪口と罵倒と非難が好きなのよね……

他人に対しても 自分に対しても 社会に対しても 悪口ばっかり

 

怒るのが好きっていう人もね まあ いるのかもしれないけれど

わざわざ 黒い気持ちを いっぱい並べ続けてさ

それ 楽しくてワクワクで うきうきした気持ちになれるの?

あるいは平穏で しっとりして 落ち着いた気分になれるの?

 

自分を戒めるためにやってる? 戒めになってないよ

比較と罵倒と非難の嵐の どこが戒めなのさ?

 

戒めというのは 気をつけよう 今度はこうしよう こうしていこう 

っていうものであって

その前段階では別に 非難や罵倒 必要ないよ? だって 改善 なんだもの

 

うまくいってるけれど もっとさらにうまくいくには? ってときにも

戒めって ちゃんと使えるのよ いろいろなやり方ができるのよ

 

なのになぜ わざわざ前段階で 必ずいつも 

自分を 他人を 出来事を非難する方法しか やらないわけ?

 

結局 不満しか見つめてないってことだよ あなたが それを選んでる

 

やめようと思ってもやめられない? 

違うよ 自分のこと戒めてないとダメだとか

最初っから決めつけているから やめられないんだよ

 

人は 本当に穏和になったときには ひどいこともしないしね

穏和な気持ちになるために その戒めとやら 必要だと思ってる?

 

見ているものが 捉えているものが そもそも 狭まっているんだよ

自分を 他者を 罵倒できるときって 

必ず「これが絶対に正しいのに!」という思い込みがあって

そこにこだわりすぎるている可能性 あることに気づこうよ

他のもの 見えなくなってるかもしれないことに 自分で気づこうよ

 

あなたの絶対は 絶対ではなく ただの思い込みかもしれないよ?

 

楽しくないことばっかり毎日 しょっちゅう考えてて

それを続けていたら そりゃ毎日 楽しくない日々ばっかりになるよ

 

それとも 自分で自分に悪口振りかけるのは やめたくないから

わざとそうやっておいて

代わりに他人から おいしい楽しいうれしいもの もらおうとしてる?

 

自分の罵倒は ピリ辛なスパイス それさえ振りかけておけば

他人からは立派な人と思ってもらえて しかもほめてもらえる

そのときの 他人からの甘い言葉は 

自分の罵倒スパイスのせいで さらに甘く感じられるから

中毒みたいに やめられない? 

それって逆に ほめ言葉欲しさの「演技」になってないかな?

 

楽しくないこと 延々自分で自分に やり続けながら 

なぜ人生が自分にとって うれしくて良いものになっていかないのだろうと

思うの もうやめにしない? 

自分がどんどん 罵倒の言葉で自分を上書きして 楽しさも

自分の良さもうれしさも 消し続けていること まだ気づけない?

 

自分を甘えさせるのでなく 別に油断するのでもない範囲で

自分にとってうれしい言葉を 自分に振りかければばいいじゃない

そもそも本当のあなたは 他者の傷みに気づける いい人でもあるのだから

 

本当の私は だいじょうぶ

本当の私は これでも それでも だいじょうぶ

今は思い込みすぎて 自分で自分の鏡を真っ黒にしてしまったから

黒い自分しか 見えなくなっているだけ

 

だいじょうぶ 本当の私は だいじょうぶ

 

不満を見つけたら 自分にこう唱えてあげるほうが 結局は

よっぽど自分で 自分を良くしてあげられることにつながるよ

 

自分の良さを 自分の出来を測るために

他人の言葉や態度を物差しにする必要なんて 

あるいは自分の過去を 比較対象にする必要なんて

本当にないのよ

 

ねえ だから いつまでたっても ずっと 

ちっとも うれしく 楽しく なれないんだよ 

その 自分や他者をすぐに測りたがる思考 道具ごと もう捨てていいよ

 

怖がってばかりいないで いったん全部 捨ててごらんよ?

 

2015_06_15

Photo by HebiPics
Pixabay

 

その指 別に くわえ続けなくていいのに

自分ではやらずに 『いいなあ』 

「達成できない方法」ばかりわざわざ試しては 『いいなあ』

 

どちらも 自分の可能性を 捨てておきながら

指をくわえては 他人をうらやんでいるのね

 

可能性を捨てている?

うん そう 自分が楽しめるやり方をしたって

「幸せになれない」と信じ込んでいるの

 

やっていない人と 試している人では 全然 違うんじゃない?

ううん どちらもね 

「こうやったら どうせ こうなるに違いない」ってところに縛られててね

別のやり方 試さないの

 

自分が それをできるかどうか より 

自分が それをやりたいかどうか より

結局は 他人にどう思われるか のほうが大切で

そっちに従うの

 

自分が楽しいことをしたら 必ず 他人には文句を言われるに違いないとか

自分が今さらやったところで 何も大して 変わらないとか

アタマのなかだけで 考えて 他を 見ないの

 

私から見れば 自分を見捨てているように見えるよ どちらもね

 

やるのはたいへんだし やるのは怖いし ふーん そうなんだ

それで他人は なぜうまくいっているのだろうと うらやましがるだけ?

別にいいんだけれどね それもあなたの人生だし

そこからやがて 気づきが生まれていくことがあるのも

たくさん例を見て知っているしね

 

でもね やってみたらどうなるか の世界は 試さないで

試さないのに なぜ他人は と 言い続けるの 辛くない?

 

うん あのね あなたが見ているその「他人」さんたちは

多かれ少なかれ そういうのを「やってみた」人たちだと思えるよ

たいへんだからやらない 怖いからやらない あなたがそう思っていることを

多少でもね やってみたことがある人 結構おられると思えるよ

 

このままではイヤだ それがきっかけで コップに水を 入れました

そこへ 自分がよく知っている いつものパターンの A を入れました

水 または 水+A そのどちらかで とどまっているだけでは

何の変化も起こらない

 

知ってる? 化学反応ってね

とあるA と とあるB が水のなかで混ざったときに

水 + A + B

になるのでなくて

水 + C

になったりもするんだよ?

あなたは今 たまたまね まだ その C の存在を知らずにいるだけで

 

もちろん 水 + A + B になるときもあるけれど

そのときは違う Bを 『次に』 試してみればいい話でさ

 

今までの あなたがよく知っているパターンの

水だけ あるいは 水 + A ばっかり でなく

そこに B という よくわかっていなかったこと 足してみてごらんよ?

 

その B というものの 選択基準はね

「あなたが 自分で 喜べること」 なんだと 私には思えるよ

うん 自分だけが 喜べるもの でもいいの 

他者を物理的 精神的に 破壊しない(拘束しない)範囲のものであればね

 

そうしたらね いつか必ず 化学反応が起こって 「あなたが」変わるよ

いや本当 冗談でも比喩でもなく 

自分が喜べることを 自分にいろいろ 足していってあげてごらんよ……

 

他者を見ては いいな うらやましいな って思ってさ

その指 別に この先も くわえ続けていかなくてもいいんだよ

B を探す 試す 勇気  自分のために いつか出してね

 

2015_06_14

Photo by Foto-Rabe
Pixabay

 

追伸:小説でも学べるよ ということで

自分の気持ちを 大切にすると同時に

他者と気持ちを「確認しあう」こと

隠さないこと 

怖いものを 無視しないこと

 

それらがどれほど 大切かを

思い知らせてくれる話のご紹介

 

人のため と言いながら

結局 自分しか見ていなかったり

自分の世界があればいいと 内にこもったりする 

そのズレが 何を生むか が

デフォルメされて 描かれている

 

文体に賛否両論が あるとはいえ

20歳でこれを 書けた人 

その才能は 認めてもらえたらと思う

 

自分が何を つい ないがしろにしてしまっているのかを

女性にも 男性にも

考えてもらえる作品だと思えるので

メインブログのほうで お知らせしてみたくなった

 

自分を大切にすることって

他者と関わることって

気持ちを 感情を きちんと相手に伝えることって?

それらが 生み出すもの

それらの「欠如」が 生み出すもの を

感じてもらえたら 幸いです

 

恋愛ものとはいえ わりとサイコな作品なので

甘いゆるい系の小説がお好みの方には

向いていないかも

結末は 柔らかくて いいけれどね

 

例によって アフィリでないリンクにて……

 

2015_06_14_2

『ひとめあなたに…』
新井素子 著 創元SF文庫
¥862

 

自分の気持ちを 大切にすること

他者へ 気持ちを 伝えること

自分と 他者の 自由を どちらもゆるすこと

あきらめないでね いつか その「すごさ」 体感してね