カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

○○だから うまくいかない ということ

○○だから うまくいかない

愛されない 評価されない 弱い 等

他者に対する非難

自分に対する非難

いろいろなパターンがあるだろうけれど

 

そのまったく逆のバージョンを 仮定して

○○だから 私はうまくいく

っていう前提を 想像してみてよ

 

自分自身が ○○だから「悪」 と決めてきたものを

たとえば の 話としてね
   
その ○○だったからこそ 私はうまくいったのか……

となった そのときの自分の「感覚」を 想像してごらんよ

 

ホッとできるなら そっちの可能性を まずは信じていけばいいよ

この世に絶対はないし だからこそできること 確かにあるから

 

でも たいていは 困るはず

そして そんなことあり得ない! と

急いで否定したくなるはず

 

実際には うまくいくこともありえたかもしれないのに

そうなったら困る と 

自分が今まで受け取ってこなかっただけだと

気づいてしまうからね

 

それを ある意味 自分への言い訳にしてきたのに 

まるで逃げ道がなくなるように感じるかもしれないよね

 

本当にうまくいったら 自分が困る

困るってことは つまり

その否定はどこか 今までの自分に必要だったのよ

 

だからこそ わかるでしょう

それが あなたの苦しみループの原因だよ

そんなこと そもそも 選ばくても しなくても 別にいいのに

うまくいっても 別にいいのに

うまくいったら困る! とさえ 信じてきたからなんだ

 

だからいつまで経っても 同じところで苦しむ

 

だったらさ 否定することで得てきたものを

そっちのほうを見つめる勇気 出してね

 

その選択肢を選ばなくてもいいことにも

本気で気づいていける勇気 出してね

 

なぜ苦しむほうを選んできたのか

選ばない道をどうすれば自分が歩めるか

そっちを 『先』に 探してみてね

 

○○だから うまくいかない を

後生大事に 扱うこと を

いつだって 自分が やめていいんだ

それをやめるかどうかは

自分の選択 だけであって

他人がやめ「させてくれる」わけではないのだ

 

ま そうやって 他者から「おいしい汁」を吸いたい場合は

やめたら損をする としか思えないだろうけれど

だからこそ 

そんなふうに自分がトクをしたい形で 他人を使おうとするからこそ

 

○○だからうまくいかない

 

という『結果』もまた 現実に表れてくるのだ

他人だって あなたに利用されたくないと 感じるからね

あなたが そっちを選んで 受け取ろうとしているだけの話

 

ごめんなさいね 厳しくて

でもある意味 事実なんだ これ

そんな逃げ道自体 使う必要が 本当はなくてさ

逆を前提にするのなんて 想像だけでも

とても怖いように感じるだろうけれど

 

『そうしてもいい 逆であってさえいい』ことがわかれば

今までとはまったく別の「世界に対する感覚」を 

つかめるようになるよ

 

それを  誰から ではなく

自分が 自分に許可する

そういう練習をして味わってみる ってこと……

 

2016_05_12

Photo by Myriams-Fotos
Pixabay

 

なるほど、これが『問題ではなくなる』ってヤツか、と

昨日、自分のことについての気づきを

書いたあとの、さらなる気づき。

 

私が、気持ち悪さを感じるんだなあ、とか

私が、遠くに置きたいんだなあ、なるほど、とか。

 

そっちを見つめ始めると、お姉さんのことが

自分にとって『見張る対象』ではなくなった、

気にならなくなったのは事実。

 

そしてそれは、あきらめたというより、

 

それ、私の問題じゃないし

 

と『身をかわす』ような感じ。

どっちにしても、

私は揺らがなくてもよくて、

うーん、気持ち悪い、と自分を観察できていればいいや、と。

 

これは、かのお姉さんに、初期のころ、

ちょいちょい働きかけてみても通じず、

自分が相手に伝えようとしていたものは

まったく意味をなさなかったから、

もうこりゃ、彼女に伝えるの、私の役目じゃないんだわ、を

練習して、体得していった結果、自分自身に勝手に起こった反応。

 

そしてのちほど、自分にとってそれが

「あら? 意外にラク」だと気づいたのだ。

 

むしろまわりが、心配してやり取りを見張ってくれてて

不快感を常に、感じてくれていることに

『あー、なんか申し訳ないな、

でもごめんなさい、

違うんじゃない? とやっても通じないから、

私はもう、やらないの』

 

を貫くわー、という感覚になり。

 

そうしたら、ムカッとは来てもね。

それを回数重ねて、積み上げて

お姉さんがいかにヒドイかを

人に説明する必要もなくなったのよ。

たまに、友達とはネタ扱いできる感じ。

少なくとも会社の人には、私がグチることは激減したの。

 

本当、『あ、また何かをやってらっしゃる』

という笑い話のネタ扱い、にするかどうか、くらい。

しかも毎日、どこかでなんか一つはあるから、

そのうちネタ扱いする必要もない感じになったり。

 

これって、まさに

『自分にとって、それが問題ではなくなってる』

という感じなのかな? と、ふと思えた。

 

お姉さんとっては、たぶんいまだに私の存在は

『気に入らない相手』だろうけれど、さ。

 

でもお姉さんってば、嫌われるようなこと、

自分で先にしておいてから、たとえば文句を言いに来られたとき

パシっと「違うよ、私やってないし」と私が返したら

さらにムッとされて『だから腹が立つのよ』とかつぶやかれる。

そういうふうに、どんどん自分を追い込んでおられるわけ。

 

それ、どこからどう見ても、私にとっては

お姉さんの自作自演

なのです。

 

その文句(お姉さん、常に怒りの形でこっちへ持ってくるのです)で

単純に、自分がミスしているときなら、

私はね、スルッと謝るし、その後の対策も練る。

 

でもお姉さんの勘違いだったら

うん、違うよ、と伝えて終わり。

それを悪意的に解釈するのはお姉さんのほう。

 

なので相手がそのあと、何をどうしようと

(たいてい逆恨みか、過去の私の側の失敗を

思い出されて内心、あなただって、と、

やっておられると想像できる。文句つぶやいてるから。

しかも仕事のミス内容で言えば、よりヤバいのは

お姉さんだったりするが、そこも、私は指摘しない)、

私は私だから、それでいいのだ、と。

 

そうか、指摘しないままでもいいんだー、と思ったら、

遠くに置いておきたい存在ではあるけれど、

私の日々の不快感は、かなり消えました。

 

最近、だいたいの場合は、

ヘンな対応、と私が感じた。

へー、またか。

おしまい。

たまに、ヒドすぎて、あっけに取られたあと

「いい加減にしろ(-_-#)」な気持ちが湧くと、

→話せる人に話して笑い話に変える、

→やっぱり私には心地悪いわ、あの対応、と再認識、

→改めて落ち着く、自分は気が済む。

 

結局、残ったのは自分の側の対策の実行、

つまり改善の練習。

ありがたいところに立てたわー。

 

わかるかな。

他者に、自分の良さや正しさを

認めてもらおうとすること、

そこの部分であがけはあがくほど、もしかして

自分の中に『自分が』問題作るのかもしれないよ。

 

私が私を『この私の感覚、それでいいんだわ』と

本気で思えるほうが(本気でこれを思えると、

いつもそう思うたび、自分でマジにホッとできるのよ、

なんともありがたいことにさ)、

そっちを見る、自分をそこへ向けるようにする練習のほうが、

やっぱり、先なんだよ。

自分嫌い、いつまでも続けているから、他者ともうまくいかないの。

同じところでいつもつまづくなら、

なぜ、のヒントはそこに大量に転がってるのよ。

しかも、自分の内側に。それを先に解こうよ。

 

他者とうまくいきたいなら、なおさら、

自分のことを知るのが先なんだ。

 

今日の、この意図、必要な方に伝わりますように。

 

2016_05_11

嫌い、の渦中にいると俯瞰は絶対できないよね
自分に何が起こっているのかをわからないまま
苦しむだけ、なのはもったいなくない?

Photo by ryse5
Pixabay

 

対抗意識

このところ、数人の友達と、

久しぶりに会ったり、電話で話したり。

お互いの近況を話して、

笑えるのはありがたいなあ、と思う。

 

そのうちの2人から、

かの「お姉さん」のことを話したときに

言われました。

あ、お2人とも、私が働き過ぎて壊れて、復活してきたこと、

そういう働きっぷりのこともご存じなのですが。

口を揃えたかのように、おっしゃいましたわ。

 

「でも、見春さんに対抗意識燃やすなんて!?」

 

……うん……はい、ええ、ありがとう、

そこにものすごくいろいろな意味が

含まれている感じがしたよ(笑)(^◇^;)

決して悪口でなく、

素朴にそう言ってくれたことも、わかるもののね(笑)

 

てなことで、ちょっと自分を改めて

振り返ってみても良いのかしら、なんて

ふと感じた自分がおりましたさ。

 

まあ、見た目の感じやら、

昔から鍛えた弁の立ち具合やらね……(笑)

 

あと、仕事で言えば、死ねなくなって

鬱をやめようとしていたときでさえ

(Workaholicから脱しつつあったのに)、

やっぱりウッカリ、24時間中20分睡眠での土日働き、

なんていうこともやり、

まんまと再休職に陥ったおバカさんなのよ(^^;)

 

だからそういう私の仕事狂いの時代、を

知っていれば、そう感じてくれることもわかる。

 

まあ、夢中になると時間が過ぎるの、誰でも早いだけだから、

まず、その夢中になる「中身」を

自分が『本当に』好きなものに切り替えていく、

ということも必要かな、と。

昔は中身でなく、単純に

『認められたさ』でやってたからなぁ……。

 

そして、そこまでハマれる性質が自分に備わっているのなら、

それをもっと『活かせる』やり方をつかんでいく、

短時間に切り替えて集中するとか、そういうのも、

練習しなくちゃなぁ、なんて思い。

 

実際、今でも、ハマるときは貫徹に近くなったりしてるけど、

本当に好きな『遊び』的なものだけ、自分に許してるのだ。

サイト、ブログのデザイン変えやら、ハンクラっぽいものやら。

それだと翌日もスッキリしてて、目覚めもいいし、疲れ、溜まらないのよね。

ストレスがまったく違う、当たり前だが。

なんかそういう実験っぽいことはしております、今も。

 

で、話は元に戻るけれど。

先ほどの2人ともに、その後続けて、

これまた揃ったかのように

「でもそういう子から、対抗意識燃やしてもらえるってのも貴重よね」と(笑)

 

これもね、そうそう、そうなのよ。

私はあなたのお母さんだったかもしれないくらい、

年齢が離れているわけで(少なくとも20歳以上離れていることは間違いない)、

なのに『同等扱い』してくれるってことは、私も何かを、

放っているのか?(笑)という感覚もあってさ。

 

若さ的なものはさすがに、もう見た目で違いがわかるから、

何か、他にもしかしたら、だけど、放っているのかも(笑)

 

そしてそれを私がちゃんと扱えれば、年齢関係なく、的な

いい感じでいけるのかも、という話にもなり。

 

対抗してくれるってことは、何かを感じてくれてるってことだから、

それが仕事面にせよ、オーラ的(笑)なものにせよ

(『アニキ』だの『姐さん』だの、と年下から呼ばれやすいっていうの、

もしかしたら関係してるのか?)、

うまく気づけて、自分でうまく扱えればいいなあ、と思う。

 

この『かのお姉さんが、対抗意識を燃やしてくれるものが、私にあるのか』

という点に気づいた頃から、彼女のヘンな意地悪が

ますます気にならなくなったどころか、

何だろなー、と、ちょっとニヤニヤできる感覚に変化していった。

 

おお、今日もライバル意識、燃やしてくれてありがとう! みたいな(笑)

 

……あるいはこれ、

「亀の甲より年の功とは、よく言ったものだなあ」

ということなのかも、と思うけど。

 

たとえときおり、どうしてもムッとはしても、

結局、自分の余裕は、いろいろな観点から作れるのね。

 

もはや山の彼方の空遠く、に彼女を、置いておけることも驚いたけれど、

他者といろいろ改めて語り合え、自分に気づいていける機会を

かの「お姉さん」がもたらしてくれたことだけは、事実なのだ。