カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

昨日の話の追加説明、シェア

あああ。自分が鬱の、ど真ん中のときやってたの、まさにこれ(;´Д`)

やる気失ってた……本当は何もやる気なかったのだ。

 

でもそのことが認められなくて、自分に対してまで、

まだそこで、そんな状態なのに!

どうせ私は

と、すねてた。求めまくっているクセに

つまりは『こんな状態なのだから』と、

自分や周囲の世界に言い 訳してた。

 

こじれたヘンなやり方で、自分にまで、まだ格好つけようとしてた……。

 

そんなふうに、自分の弱さを見ないようにすること自体、

自己の弱さを『馬鹿にすること自体』が、

まさに弱い証拠だったし、

そんな捉え方のほうが、それこそ強烈に格好悪いことだったのに!!

 

見えてなかったなぁ、自分の奥のほうのねじれと、強烈なヒクツさ加減。

それをわざわざ選んでたのにね、自分で。

 

……てなことで、昨日の記事について、

捉えているもの、と、練習、に関して、

補助になりそうなお話のシェア。

必要な何かが、伝わるといいな。

 

こうやって良いタイミングで、

追伸としてもご紹介できる素晴らしい説明に

すぐ出会えるようになってきていることが

ひたすらありがたい……。感謝。

 

秦由佳さん、Facebookでの投稿。

そもそもね、他者を含む外側の「喜ばしそうなこと」と、

今の自分(自分についてはヒクツな捉え方しかしてないのに)を比べること。

それって、思い切りずれた視点のまま、自分と世界を

相対的に見つめてるってことだから、

まずは、比較を単純にやめることから始めて、さ。

 

そんな感じで少しずつ「自分」に向き合い直す、

自分が『外側の世界のどこか』に置き忘れてきた、自身の心を、

もう一度探し当てて、取り戻す。

これまでと同じではない、あり方、を練習してみること。

そのためのヒントを「自分から」受け取りに行くこと。

 

それをやると決めるかどうかも、自分の選択次第ってこと……。

 

2016_04_21

Photo by ladybugkreativ
Pixabay

 

磨く「練習」

今日はさらに昨日の続きで、

3本めの内側の話をします。

 

内側を磨けるようになる練習、そのための必須科目。

それは自分の内側に起こってくる『感じ、感覚、感触』を、

まずは絶対に無視するなってことです。

 

ものすごくザックリ言えば、快か不快かを感じ取り、

あらゆる不快なほうを、極力、選ばないようにしていく。

 

たとえ、自分で一瞬『ズルイな』と思うようなことでも、

本当は自分にとっては『快』、

爽やかさを感じられるとか、ホッとできる、胸が軽くなるなど、

心地よいものを感じ取ることができるのだったら、勇気を出して選ぶ。

 

逆に実は『自分に対して後ろ暗い』(他者に対して、じゃないよ、

モヤッと不快な範囲のものを、自分の内側に感じる)なら、

今は選ばない。

 

それを練習していくとね、

『本当にズルイと言えるような、

他者を利用して他者から何かを、

ウソをついて得るための計算』が、

まず徐々に、成り立たなくなっていく。

 

この『ズルイ』という気持ちさえ、

自分が本当には、感覚的にそう感じられないのに、

そう思い込むことにした可能性があるのですよ。

 

自分が何かを得たいがために、または

駆け引きで損しないために計算した、

そんな練習で身に付けてきた、

微妙な損得勘定だったりするのよ。

 

本当は全然、ズルくないことを、

自分が『外側で損』したくないから、

ズルイ、というあえて否定的な表現で認識して避けている場合もあるし、

あるいは過去に、あなたをうまく操りたい他者から、

それはズルイこと、というふうに教え込まれてきて、

あなたはそれを『外側で、その相手から何か得たいから、

そうだと信じることにした』とかね。

 

ザックリ分ければ快・不快。

そっちを『先に』しっかり感じてみて、

きちんと見つめて、本気で従ってみる。

 

さらに、

なぜ私はそう感じてるのかな?

ということも、知っていく練習をやってみる。

これは紙に、なぜ、の理由を書いたり、

本当はどうなりたいのか?

すでにその、なりたい状況であれば、

それでもあなたはそれを選び続けていくか?

などを、書き出していくの。

そしてそれは本当に「自分が、望んで、やりたいことか」

も見つめてね。

 

何かを受け取るため、それを前提としてやってないか、

自分には何もとくに還ってこなくても、

やることや、そうなった状態を、心から『安心して』望めるか、を見る。

 

こうした練習って、やり始めてから、だんだん、分かるの。

あ、今、私は、○○という部分で、外側のもの同士だけ比べてるな、とか

あ、私は今、自分にウソをついてるな、とかを、見抜けるようになる。

そういったことを『先に、素直に』感じ取る練習を積んでいくの、お勧めです。

 

それに、この前ご紹介したFacebook投稿にも書かれていたように、

「できてないところから始める」から

『練習』って言うんだよ?

練習なしで、何でもいきなりできるなら、

あなたは今、そんなふうには苦しんでないはずだよね?

 

誰であっても練習が必要なことを、

面倒くさい、とか、怖い、とか、

外側を先に得なくちゃいけないから、って、

そっちにだけ目を向けて、

ある意味、サボってきたんだよね?

 

あるいは怖さから、外側だけに目を向けて、

内側を感じ取って見つめる練習なんて、無視してきたんだよね?

 

あなたの感じることは、あなたの内側で、必ず、

あなたにとって大切な、あらゆるサインを送ってくれているのに。

たとえばそこで「~ねばならない!」とかいう理由を後付けして、

外側の『無いもの探し、無いものねだり』だけに意識、向けてきたよね?

得なくちゃ、得なくちゃ、得なくちゃ! って。

 

でもって、自分のことさえ、外側だけ見て比べて、

バカにしてきたよね?

どうせ私なんて、こんなもの。この程度。

そうやってずっとすねて、ときには焦ることもあるけれど、

たいていは、見捨ててきたよね?

 

さらに言えば、

内側で『自分への愛的な範囲のこと』を感じ取れるものを選ばないで、

他人との愛ばっかり、外側の愛ばっかり求めて、

なんとか「他者からそれを出してもらう」ための駆け引きばっかり、

できるできないに関わらず、見つめてたよね?

 

自分に対して自分が、そこから派生して、他人に対して自分が、

ただ、素直に出してもいいのに、

絶対に計算してからしか出さない。

しかも出してみては損した、得した、って

ずっと採点して争って、競争してきたよね?

 

うん、そりゃあ、苦しくもなるさ……。

 

そんなふうに、自分が、自分の内側で、

「自分に対して何をやってきたのか」を、

ちゃんと知っていこうよ。

そっちのほうを、見つめ直してみようよ。

 

これ、前にも書いたけれど、

そういうパンドラの箱、自分の内側の、

苦しんできたもの、を、勇気を出して!

開けて、取り出してみて、

要るものと要らないものを片っ端から整理して、

要らないものをどんどん放出していくとね、

最後に残るのは『希望』の光です。

本当、それはマジで『希望』で、

自分にとっての次、を目指す灯台となる、

あなただけの、道しるべの『光』なのです。

 

怖いだろうけれど、そんな練習、始めてごらんよ。

まずは整理を始められるようになるために、

心の体力、取り戻そうよ。

誰かに気に入られ、認められるようになるための何かばっかり、

するんじゃなくてさ。

 

そのためにゆっくり食べ、眠ることも、素晴らしい練習になる。

それを『自分を大切に扱うためにやる』ことさえ、忘れなければ、ね。

 

2016_04_28_1

Photo by geralt
Pixabay

 

自分を無視すると

たとえばね 

かまってほしい とか

さびしい とか

逆に 私のほうが正しいのに とか

 

そういうのって 大きなくくりで捉えたら

相手にひたすら求めてる ってことだよね

 

相手に求めることばかり考えて

つまり常に 相対性だけを 気にするのだと

なんとなく 思えてきた

 

そのとき そこにいる「私」は あくまで相対性の中での自分であって

シンプルに自分と向きあってるわけじゃない

私がいちばんのようでいて

全然 いちばんじゃない……

 

自分が 自分を満たしてあげる

それは自分に甘い などという話ではなく

自分に対する 責任でもあるのだよ? うん 本当に

 

それをわざと あるいは気づかずに? 無視してるよね

 

相手がひどいから とか

自分をダメで嫌いだから 

等の言い訳をくっつけてる

 

本当は そここそ

責任放棄してる場合じゃないのに

 

私が 私を愛するために 

どう「あれば」いいのか

そっちの練習が必要なんだよね 

できるできないじゃなくて

そうあるか どうか

寝たきりだって 練習できることだ

 

他者は関係なく 単純に 自己との関係が

「良い」と感じられるためには 

何をどう捉えたらいいのか

 

そこを 無視するから 

あるいは何かを達成しない限り自分を嫌う から

話が ややこしくなる一方なんだ

 

見たくないものに蓋をかぶせるべく

蓋になりそうだわと 自分で思い込めそうな理由を

どんどん見つけて

自分にくっつけ それだけを元に

他者に 無理だ ダメだ

自分に 無理だ ダメだ

と 相対性の世界だけで やり取りしては

自分との関係を さらにこじらせていく

 

だから いつまでたっても 

他者に自分をなんとか させようとするんだね

自己を無視したうえに こじらせ

そのうち もう 

こじらせていることさえ見たくないから

他者との間でだけ 問題点を埋めるため 

駆け引きも生まれていく

そうやって 自分自身に嘘をついてでも 

自分を認めさせようとしたくなるのだね

 

なんだか このところ ネットでもリアルでも

いろいろな角度からのいろいろな例を見せていただけて

(あ 好む好まざるに関わらず そんな感じ)

やっと少し つかめてきたのかも

 

ああ 自分の感覚を 信じずに

無視するときって

ハートでなくて 頭で 

脳みそでやってるんだわ

計算して 駆け引きしてるわ って ことをね

 

いちばん最初に 自分を大切にする

これをなぜ ここまで 無視するのだろうと思ったら

どうやら 怖いから……みたいだ

 

その怖さの元を ひも解く勇気があれば

「他者が相対的にどうしてこようと」

私は私であっていいと

やがては 柔らかく貫けるのだけれどな……

ガチガチになって激突して闘うのでなく 自然に

それは自信ではなくて

勇気の必要な でもただの 練習 なのだけれど

 

そこに気づき始めると 強く思われたり

周囲が勝手に 信頼してくれたりも 起こるのだ……

自分としては全然 弱々のままであってもね

 

うーん 難しいかな

あのね 自分自身に嘘をつかないことから 

始めてみれば?

 

自分にとって心地よいと思えることのほうを

選んでみれば?

 

そこまでされたら 私には無理だ

受け止められないわ って

きちんと「普通に」伝えてみたら どうかな?

争い……優・劣  正・不正でなく 自分との「違い」を伝えるだけ ね

 

2016_04_20

Photo by Hans
Pixabay